炎の祭司

 火の国、ザンティア──
 白い肌に火の色の髪、それを制する水の色の瞳を持つ人々の国。
「神」というものを持たないこの世界では、自然が不可思議であり、「神」であった。
 そして、この国にはただ一人、「水」を持たない男がいた。
 瞳の色も火の色をしている。彼は十数年前にふらりと現れ、そしてザンティアの信仰の要、「聖火」を守る祭司となった。
 彼は炎の祭司と呼ばれ、その本当の名を知るものは誰もいない。

 ザンティアの首都、ザンク。
 そこには巨大な建物が二つあった。一つは、言うまでもなく王城である。王城はかなり古く、堅固であった。
 この世界では比較的古いダイルよりも更に長い歴史を持つザンティアには、その昔から燃え続けているという炎、「聖火」があり、ダイルという国が産声を上げたのと同じ頃、それを祭る聖火堂が造られた。それがもう一つの巨大な建物である。
 各地にはそこから分けられた分聖火を祭る、規模の小さい聖火堂があり、それを守る祭司は分火の祭司と呼ばれた。
 そしてそれぞれの聖火堂には聖火の光に引き寄せられた男や女が修行を積んでいた。
 その数は当然、建物の大きいザンクの聖火堂が一番多い。彼らを教え指導するのが祭司長の役目の一つであった。
 聖火堂の中の組織を分けると次のようになる。
 まずは炎の祭司又は分火の祭司。中でも炎の祭司は国王の次の権力者でもあった。原則として男である。
 その次は祭司長で、祭司をまとめ、祭司になろうとするものを教え導くのが祭司長の仕事である。祭事を行う時の準備の責任者も、炎・分火の祭司の留守も祭司長が勤める。男性よりも数は少ないものの、女性の祭司長も珍しくはない。
 その下に祭司がおり、炎・分火の祭司や祭司長に教えを受け、修行する。そしてこれから祭司になろうと志す者達──彼らは大半は自らやって来るのだが、稀に祭司長や炎・分火の祭司が拾ってきた者もいた。
 ザンクの女祭司長、エルドもそんな一人である。
 彼女は生まれた時から目が見えなかった。十二年前、彼女が八歳のときに、就任してそれほど経っていない炎の祭司が家にやって来て彼女を聖火堂に連れ帰り、見習いとして引き取った。両親とはそれ以来、数えるほどしか会っていない。けれど、炎の祭司の目は確かだったのだろう、二十歳の今、既に彼女はザンクの聖火堂の祭司長である。
 エルドは留守にしている炎の祭司の代わりに聖火の前で朝の勤めを行っていた。
 王に次ぐ地位と権力を持つ彼は、ベクラに行っている国王の代理でダイルの祝典に出席する為、ザンティアを離れている。今日か明日には帰るはずだ。
 エルドには聖火を見ることは出来ないが、感じることは出来る。その熱のせいではない。熱の感じられる程近くでなくとも、聖火の存在を感じる。暗闇の中にその光が見えるのだ。
 聖火堂に来たばかりの頃、当時の祭司長の制止を振りきって炎の祭司に尋ねた事があった。その時、彼は優しい声で答えてくれた。
「それは心眼というものだよ、エルド」
 エルドには良く判らなかった。本当はそんなことを聞こうと思っていたのではないのだ。
 本当に聞こうと思っていたのは、どうして炎の祭司様も聖火と同じように光として見えるのかということだった。
 だが、聞けなかった。暗闇に慣れた彼女にとって、すぐ近くで光が声を聞かせてくれるのは言葉を失わせるのに十分だった。そしてその後は、炎の祭司ともなればそれくらい聖火に近い本質になっているのは当然なのではないかと思うようになった。
 それだけにエルドは炎の祭司に憧れ、尊敬していた。分火の祭司にも何度も会ったが、声と気配でしか存在を確認できなかったからだ。
 目の見える周囲の人々が彼だけは水の瞳を持っていないと言っていたのを聞き、そのせいかもしれないとも思った。
 ともあれ、自分は女だから余程のことがない限り分火の祭司にはなれない。ましてや炎の祭司などもってのほかだ。このまま祭司長として、炎の祭司の下で働き続けるのが彼女の望みだった。


「祭司長。炎の祭司がお戻りになり、祭司長をお呼びです」
 一人の祭司がやって来てエルドに告げた。
「炎の祭司のお部屋に?」
「はい」
「わかりました」
 エルドは立ち上がり、聖火に一礼してその場を後にした。
 随分と早いお帰りだとエルドは思った。
 ダイルとの距離を考えれば、早くとも今日の夜だと思っていたのにまだ昼前だ。何か事故でもあって引き返してきたのだろうか。
 エルドは炎の祭司の部屋のドアをノックした。
「エルドです」
「お入り」
 手さぐりでノブを探し、ドアを開けた。
「失礼します。お帰りなさい、早かったですね」
 炎の祭司はドアを閉め、エルドを導いて椅子に座らせた。
「そう。大急ぎでね。城からつけてもらった護衛を置いてきてしまって、悪いことをした」
 いつもと変わらぬ、落ちついたゆったりとした声で彼は言った。慌てた様子はない。
「まあ、どうしてそんな」
 エルドの言葉を彼は遮った。
「エルド。ところで私は君に話があって呼んだのだけれど」
「ああ、はい。何でしょう?」
「君を今日、今この時より炎の祭司とします」
 彼の口調は変わらなかった。日頃の会話と何一つ変わることのない調子で、さらりと告げた。おかげでエルドはその内容を理解することが出来なかった。
「あの……?」
 暗闇の中、真正面に光があった。幼い時、この聖火堂に来たときからずっと、この光に従って生きていこうと見えぬ目で追いつづけてきた暖かな光が。
「これからは君が炎の祭司だ。国王にもそう使者を出した」
「あの、よくお話が掴めないのですけれど、つまり私は分火の祭司になるんでしょうか?」
 戸惑い気味にエルドは尋ねた。突然のことでとても信じられない。でなければこれは彼の冗談に決まっている。
「いや、炎の祭司だ」
「それでは、現在の炎の祭司たるあなたはどうなるというんですか? 戯れもほどほどになさってくださいね」
 エルドが本気にしてくれないので彼は困ったようだった。
「どうやら最初から順を追って話さないといけないようだね」
 時間はあまりないのだけど。
 そう言って彼はエルドを連れて部屋を出た。


 聖火のところに向かっているのだとエルドはすぐに気付いた。
 目は見えなくとも、ここには十二年も住んでいる。どこに何があるのかよく知っていた。
 はたして、炎の祭司が扉を開けるとそこには聖火の光があった。炎の祭司と同じように。
「さて、何から話せばいいかな……」
 彼は祭司たちに祭司長と大事な話があるので誰も近付かないように言い含めると扉を閉め、しばらく考えているようだったが、やがて歩み寄ってきてエルドの肩に手を置いた。
「君は聖火を<見る>ことができるんだったね?」
「──はい」
「よろしい。では聖火のほうに行ってごらん」
 言いながら、彼の手が額に近付くのを感じたその瞬間、全ての感覚が遮断された、そんな気がした。
 エルドはよろめき、けれど何とか踏みとどまり顔を上げた。知覚が甦ってくる。今のは一体──?
 けれどそのようなことに気を取られてはいられなかった。この、ほんの少しの間に炎の祭司は彼女の傍らからいなくなっていた。彼女から同じぐらい離れたところに光が二つ。どちらも同じように見え、どちらがどちらかわからない。
 どうして、聖火と炎の祭司とはこんなに似ているのだろう。今更ながらそう思った。少しでも炎の祭司が動いてくれれば、それとも何か言ってくれればわかるのだが、そんな気配は一向にない。
 仕方なく、二分の一の確率に賭けてエルドは左にある光を目指して歩きだした。ゆっくりと石の床を踏みしめ、まっすぐに。
 近くまで来て間違いに気付いた。炎の熱がない。エルドはそこで向きを変え、もう一つの光に向かおうとした。
「もういいよ」
 エルドの腕を炎の祭司が掴み、それを止める。
 情けない。いつになっても自分は彼の期待に応えることさえできない。人である炎の祭司と聖火の、ほんの少しぐらいはあるはずの違いを見分けることすらできないなんて。
「申し訳ありません。修行不足です」
 だからどうか、冗談でも自分を炎の祭司にするなどと言わないでほしい。
 エルドはうなだれた。
 けれど、そんな彼女に投げかけられた言葉は優しい、温かいものだった。
「この間違いは君のせいじゃない。つまりそういうことなのだから。君の中では聖火も私も同じに見える。そうだろう?」
 エルドは頷いた。彼は何を言おうとしているのだろうか。
「それは私が本当に聖火と同じものだからなんだよ」
 彼は笑って、口もきけなくなった彼女を壁際の椅子に座らせた。そうして自分はその側に立ち、話しだす。
「国中の者を今まで騙してきた。私はこの国の人間ではない。……いや、それどころか人間ですらない。それがダイルでばれてしまってね、その噂がザンティアまで入らないうちに消えようと思う」
 悪びれたところはその口調からは感じられなかった。彼にとってそのようなことは取るに足りぬことだとでもいうように。それでもエルドは、彼に悪感情を抱くことが出来なかった。ザンティアの民の血を引いていなかったからといって、それが一体何だというのだ。彼は誰よりも聖火に近い。その事実の前にあっては全ては無意味だ。
 エルドはようやく口をきくことができた。
「ダイルで何があったのですか?」
 本当はそんな事が聞きたいのではないけれど、きっと彼は話してくれる。だから少しずつ、少しずつ。
 その思いを読みとったのか、彼は優しく笑った。エルドに見ることは出来なかったが、空気が優しく和む。心をくつろがせてくれる空気。
「いい娘だね、エルドは。ザンティアは火の国だ。それではダイルは何の国だい?」
妖精エルフの国です」
 即座にエルドは答えた。ダイルには国が危機に遭った時、それを救うために黒い翼持つ妖精が現れるという。
「そう。そのエルフがダイルに現れた。そしてそのエルフは私の友人の息子でね、面倒事に巻き込まれていたので彼を助けたんだ」
「ダイルは滅亡の危機にあっていたのですか?」
 エルフが現れたということは、そういうことだ。もしも伝説が本当ならばだが。
「国の危機と言うよりは皇帝の危機、だったのだろうが、あの国は上層部にいい人材がいなくてね、結局は国が破滅するところだった。……しかし、おかげで私はダイルの王宮で人間でないことを知られてしまった。しかも炎の祭司として顔を知られているのにだ」
 彼は苦笑し、続けた。
「つまり、それがこれ以上ザンティアにいることも、ここで炎の祭司を続けることもできない理由だ。エルド、私の代わりに聖火を守ってくれるね?」
 彼の言うことはわかったような、わからないような……けれど、エルドを炎の祭司にしようというのは本気のようだ。エルドは困惑した。
 自分にはそんな役目は勤まらない。
「ですが、眼も見えぬ上に二十歳の若輩の私など、国王陛下も納得しては下さらないと思います」
 炎の祭司はそれを聞くと、彼女の手を取って立ち上がらせた。
「そんなことはないよ。若いほうが皆安心するんだ。年寄りに熱く燃える炎は似合わない。若さがよく似合う。私が何故十二年前にエルドを連れてきたと思っているんだい? その、真実を見抜く目だ。目が見えないことに引け目を感じちゃいけない」
 慰めるように諭すように、しかし断固として発せられた彼の言葉がエルドの中に吹き込まれる。それでも……。
「でも、他の皆に迷惑をかけます」
 それでもほぐれない彼女の心に彼は舌打ちした。
「わからない娘だ」
 炎の祭司は左手で彼女の肩を掴み、指先をそっと彼女の両の瞼に触れた。その途端。
「あ……っ! いた……痛い、…熱い!」
 両目を焼けるような激痛が襲った。
 何という痛み! 本当に目が燃えているのだと思える程の、熱だか痛みだか、激しすぎてわからない。
「いやあっ!」
 この痛みから逃れられるのなら、どうせ視力のないこの眼などえぐり取ってしまいたい。それなのに!
「放して、ください! お願い……っ!」
 それなのに、炎の祭司がエルドの両手を彼女の背中に回して押さえていた。
「祭司長!?」
 外から誰かが呼びかける。それに応えて炎の祭司は叫んだ。
「入るな! 何でもない!」
「痛い……いや! 助けて……!」
 悲鳴を上げるエルドの頭を、彼は自分の胸に押しつけた。
「これはお前が望んだことだ。癒しは専門外だっていうのにやらせるんだから、仕方ないだろう?」
 状況に不似合いな冷静な声で彼が言うのが聞こえる。
 けれど、痛い、動けない。それだけしか彼女にはわからなかった。彼の言葉は頭には入らない。そんな余裕がある筈もなかった。
「いやあああ!」
「大丈夫だから、我慢するんだ。すぐに終わるから!」
 やがて──突然痛みが止まった。嘘のように消える。
 抵抗をやめた彼女の手を放し、炎の祭司は尋ねた。
「大丈夫か?」
「はい──はい。申し訳ありません」
 エルドは慌てて彼の腕の中から抜け出した。
「目を開けてごらん、ゆっくりと」
 言われた通り、そっと目を開けた。
 光が飛び込んでくる。これは、彼? 眩しさに眉をひそめつつそう思った。
 だが、違う。闇がなかった。一面の光が彼女を迎えた。
「俺が見えるか?」
 目の前の人物に焦点を合わせる。
「炎の……祭司?」
「それはもう、俺じゃない。エルド、お前だよ」
 彼は笑った。
「私、目が見えてるん、ですか?」
 信じられない思いでエルドは彼を見つめた。それさえも生まれて初めての経験。
「そうだよ、エルド。これが世界だ」
 どうして、という疑問よりも先に喜びが胸にあふれた。
「ああ……」
「泣くな。涙でぼやけてしまう。ちゃんと、その目で周りを見るんだ」
 一生懸命涙をこらえ、エルドは辺りを見回した。身体になじんだ空気をもつ、けれど初めて見る天井、初めて見る床、そして初めて見る人。壁もドアも椅子も、彼女が生まれて初めて見るものだった。そして、あれは──
「あれが、聖火ですか?」
「そうだよ」
 炎の祭司とは、全然似ていなかった。けれど目を閉じるとやはり、同じ光だ。
「さあ、話の続きをしようか。新たな炎の祭司にもう少し、聖火について教えておかないといけないからな」
 もう断ることは出来ない……? では、自分が炎の祭司になったら、彼は? 彼の側にはいられない。聖火と同じ光の持ち主、偉大なる彼女の理想。
「それはもう決定事項ですか?」
「そうだよ。もう国王も知った頃だ、嫌だと言ってももう遅い」
「そんな……」
 絶句する彼女に、彼はからかうように続けた。
「ただ、エルドがもうここにいるのは嫌だ、ただの人として生きて行きたいと言うのなら聖火堂を出るのを許すけど。外を歩くのももう危険じゃないしね」
「それはありません」
 エルドは断言した。ここの生活が好きだった。炎に仕えるのが彼女の誇りでもあった。
「ならきまりだな」
 うれしそうに彼が頷くのを見、エルドは首を傾げた。いつもはもっと、何というか大人の感じがしたが、今は何となく明るい少年のような感じがする。
「あの、祭司? いつもと少し雰囲気が違いますのね、言葉遣いも。私の気のせいでしょうか」
 彼は笑顔を絶やさない。エルドが見ることが出来なかったときも、こんな風に笑みを浮かべていたのだろうか。心が休まる。
「炎の祭司はエルドだと、何度言えばわかるんだ?」
 エルドは顔を赤らめた。
「だって十二年もそう呼びつづけて来たんですもの。それに私、名前を知りません」
「名前は、ない。でも炎と呼ばれているよ」
「エン。不思議な名前ですね」
 この国の言葉ではない、それどころかこの世界の言葉ですらないのかもしれない、響き。
「意味は火と大して変わらない。ところでエルド、エルドは火の精の存在を信じるか?」
 言うまでもない。これを信じない人間はザンティアの民ではない。
「聖火を祭るこの聖火堂で、そんな事をおっしゃいますの? 当たり前じゃありませんか」
「その、火の精霊が俺だと言っても、当たり前だと言えるか?」
 エルドは黙って彼を見つめた。
 彼の後ろで燃えている聖火の炎を、そのまま糸にしたような色の髪。自分の髪を見てみる。生まれて初めて自分の髪の色を知った。彼女の髪はもっと茶色に近い赤毛だ。それを何色と表現すればいいのか、今まで色のない世界に生きてきた彼女は知らなかったが、彼と違うことだけは確かだった。
 そして彼の目。その瞳の色は見るたびに違う。赤かと思えば金、金かと思えば赤。その色の名さえ、彼女が知っていたわけではなかったのだが。他の自分を含めた人々は水の、青い瞳だと聞いている。青というのもどんな色かはエルドにはわからなかったが、きっとこの聖火の炎の色とは似ても似付かないのだろうと思った。
 火が、人間の姿をとったら彼のようになると思ってしまうのは、自分がまだ他の人間を見たことがないからだろうか? いや、きっとそんなことはないだろう。エルドはゆっくりと言った。
「あなたなら、ありえるかもしれません」
 その答えは彼を喜ばせたらしい。
「いい返事だ」
 そう言って微笑むと彼は言った。
「では俺と聖火が同じものだということが、どういうことかわかるな?」
 エルドは考えた。素直に考えればそれはやはり、聖火も火の精霊だということになる。だが聖火が人の姿をとったなどという話は今まで聞いたことがない。
 エルドの答えを待たずに彼は続けた。
「九百年前、こいつはほむらという一人の精霊だった。生まれたばかりのこいつに世界を教えてやったのは俺だったが、間もない頃にこいつは友人を──人間を焼き殺してしまい、自分を責めて閉じこもっちまった」
 彼は聖火のほうに歩み寄り、手を差しのべた。
 炎の燃える舌がその手に伸びてきて一瞬触れると、すぐに元のように燃え立っていた。
「俺はもう、こいつの顔も忘れちまった。人の姿をとることを拒否して、死ぬことは出来ないからその場でただ燃え続け、何百年か後に寿命が来て消滅することが出来る日をじっと待ってるんだ」
 だとしたら、それは何と哀しい生き方だろう。彼は続けた。
「ただの火ではないから水をかけても消えない。だけどエルド、これだけは絶対に忘れないでくれ。聖火に頼っちゃいけない。本当は、これはただの傷ついた魂なんだ」
 振り返った彼の顔は真剣だった。彼の思いに応えるべく、エルドは力を込めて頷いた。
「それからこれもここだけの話だが、分聖火には何の力もない。普通の…そう、暖炉の火と何ら変わりがないんだ。聖火だと思うな。そして、他に人がいない時にはこいつに優しい言葉をかけてやってくれ。そうすればこいつはきっと、心を開いてくれる。お前が聖火に触れても火傷をしないくらいにはね。こいつは二度と、人の姿をとることはないだろう。俺は初代と途中二三度炎の祭司を勤めたが、一度だって声すら聞くことは出来なかった。優しくしてやってくれ」
「力の限り、尽くします」
 決意を込めて力強く言った彼女を彼は抱きしめた。
「ありがとう。何百年か経って聖火が突然消えたとしても、火はこの国を愛しているよ。ザンティアが滅んでも、民は残る。火の国の民を火の精霊は決して見捨てないだろう。きっと、覚えておおき」
 今までのなかで最も身近に彼を感じる中、目を閉じると光に包まれた錯覚があった。
「はい……。忘れません、決して」
 彼はエルドを離し、とびきり優しい笑顔で言った。
「さよなら、小さな俺の拾いっ子」
 シュンとその姿は聖火そっくりの炎に変わり、次の瞬間には消えていた。
 エルドはしばらく立ち尽くしていたが、やがて自分を落ち着かせると聖火に向き直って話しかけた。
「エルドです。今日から私が炎の祭司です。よろしくお願いしますね」
 一瞬、聖火は高く燃え上がった。
 炎の祭司はドアを開けると、一人の祭司を見つけ出して側へ呼んだ。
「クリム祭司を呼んでくれますか?」
「クリムは私です。炎の祭司が何か……祭司長!? 瞳の色が、炎の祭司と同じ色に変わっています!」
 エルドはもう驚かなかった。代わりに微笑む。
 見ることの出来る火の色の瞳と引き換えにしたものが何も映すことのない水の瞳だったなら、これほど光栄なことはない。ああ、彼には感謝してもしたりない。二度と会うことはないとしても、私をここまで育ててくれた私の憧れ、火そのものの炎の祭司。
「彼が、私の目を見えるようにして下さいました。クリム、あなたが今日から祭司長です。私などが炎の祭司となって、迷惑をかけますが私の助けとなってください」
「は……? はいっ!」
 新しい生活が、始まろうとしていた。

END    



これは学生時代に書いたものです。
関連作載せてないけどこれだけ読んでもちょっと判りにくいでしょうか?
Dark Sphere」のアレクスが話題にのぼっています。
世界が変われば妖魔の呼び名も妖精に変わるという事です。



Absence.
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