Vampire Bat 番外編   Burglar Alarm


 目覚めた時に美夜はいなかった。
 それはいつもの事で気にする必要はなかった。人間は衣食住を手に入れ、快適な生活を維持する為には働いて金銭を得なければならない。美夜は日中働いて大抵帰りは夜になる。
 俺は棺桶から出ると蓋を元通り閉め、そこに座った。
 部屋の中は既に暗くなっている。今日は少し起きたのが遅かったようだ。
 天気の良い夜は外に出るのが日課だが、それは美夜が帰ってきてからだ。美夜が寝る頃に外出する事が多い。
 何しろ美夜は自分よりはるかに小さくてしかも男前な俺様(ここはやはり様をつけさせてもらう)を愛玩犬か何かと勘違いしているので、美夜が帰った時に俺がいないと心配して部屋中探したあげく、後で戻ってきた俺に文句を言うのだ。
 起きたらすぐに出掛けたい訳でもないし、寝床の確保と美夜の血を定期的に得るためだと思えば別にそれぐらいの事では腹も立たないどな。それだけ好かれれば正直悪い気はしないし。
 とにかく美夜の血は美味いので、多少の事はまったく気にならないってのが実情だ。
 美夜はわかっていないんだろうけどな、自分の血がどれだけ美味いかなんて。
 週に一度の食事をどんなに俺が楽しみにしているか、何もわかっちゃいない。それは美夜の妹も同じ事だけど、美夜は妹と違って俺への嫌がらせにわざと不健康に血を不味くしたりはしない(あのガキは本当にタチが悪い。せっかく本来の味はいいのに罰当たりな奴だ)。
 今のところ、美夜の血が飲めなかったのは美夜が風邪を引いて薬を飲んでいた時だけで、その時は近くの家で適当に補給した。二週間我慢して、久し振りに美夜の血にありついた時はまさに人間が言うところの「天にも昇る」心持ちってやつだった。美夜は美夜で吸血のみに意識を奪われている状態の俺を眺めているのが好きらしい。変わった女だ。
 俺が血を吸う箇所として好むのは首筋だが(美夜は迷惑そうだったが、最近は言っても無駄だと諦めたらしい)、別にそこにある太い血管まで切っている訳じゃない。まあ、当然だけどな。
 血を吸う場所はどこでもいいんだから、首筋にこだわるのは吸血鬼としてのポーズだと美夜は思っているようだ。確かにどこからでも血は吸える。どこでもいいと言えばいいし、吸血鬼としてのポーズというのも多少はあるかもしれないけど、太い血管を血液が流れる音を聴くのも好きなんだよな。
 太い血管が皮膚に近いところにあるのは首だけじゃないが、血を吸うのに都合のいい場所と言ったらその辺りだ。他はというと、手首は時々使う(使うって表現はどうなんだ?)が、足の付け根は断固拒否された。その場所だと美夜に横になってもらわなきゃならないけど、そっちの方が傷が他人に見えないしいいと思うんだが。何が不都合なのか俺には良くわからない。
 見えないと言えば、胸元も拒否されたぞ。色々拒否された結果、残ったのが首筋と両腕だったという訳だ(ちなみに腹は「なんとなく痛そう」というのと「傷がなかなか消えなそうな気がする」という曖昧な理由で拒否された)。
 血を吸う箇所というのでなく音という観点で見れば、もちろん心臓の音も聴くのは好きだ。というか大好きだ。
 美夜が眠っている時にそっと胸の上に降り立ち、目を閉じてその鼓動に耳を澄ませる。とくとくとその身体に血を巡らせるために動き続ける心臓の音を聴きながら、美酒のような極上の血に身を浸す想像を俺がしているなんて、美夜は考えた事もないだろう。
 むせかえるような血の匂いの中で、鮮やかな赤に包まれる。新鮮で温かな血潮。
 もちろんそんな事をしたら死ぬからやらないが、想像するだけなら自由だろ? それに掛ける布団の厚い冬場は鼓動を聴く事も出来ないし、美夜が目を覚まさないように細心の注意は払っている。
 要するに、この国にいる間はずっと美夜のところにいてもいいかなと思う位俺は美夜の血を愛してると、そういう訳だ。一生いるつもりもないけどな。

 美夜には昨夜血を貰ったから、また次に食事にありつくまでは日数がある。昨夜の吸血はもちろん俺にとっては至福の時で、今だって俺はエネルギー満タンといったところだ。
「ん?」
 そこまで考えてようやく気付いた。そうか、昨日は金曜だから今日は土曜で美夜は休みだ。ということは、今日は会社ではなくどこか別の所に出掛けているらしい。
 もう真っ暗になっている窓の外に目をやると、ベランダに洗濯物が干してある。平日の夜に洗濯した時は室内に干しているが休日はベランダだ。いつもなら干しっぱなしでなくもっと早く取り込んでいるのに、珍しいな。
 そう思った時、ベランダに黒い影が現れた。

 美夜……ではないよな。
 俺はのんびりと考えた。マンション二階のベランダに、部屋通らずに外から侵入するというのは、まともな人間ではないだろう。この国ってあんまり泥棒とかいなそうだけど、一応出る時は出るってことか。
 部屋に入ってくるまで放っておいたら、俺は人間の前に出る訳にいかない以上美夜も文句は言わないだろうが、後でひたすら愚痴を聞かされそうだ。
 俺はふわりと浮き上がるとキッチン横の小さい窓を開けた。この窓はいつもの俺の出入口だ。ベランダの窓は大きくて俺では開けられないが、小さい窓なら動かせる。
 外に出てベランダの方に回って蔭からそっと見てみると、黒っぽい服を着た男が一人、洗濯物を物色している。
 なんだ、目当ては部屋の中の金銭じゃなくて洗濯物なのか? 物好きな奴もいたもんだ。
 だからってそのままにしておくのもなあ……。
 面倒だが仕方ない。
 すう、と俺は大きく息を吸った。

 キイイイイイ──!

 金属音にも似た高音が、すさまじい大音量で辺りに響きわたった(というか響かせたのは俺だ)。
 慌てて逃げ出そうとベランダの手すりを乗り越えた男が足を滑らせて落下する。
 そしてどさっという音とともに落ちた男が、どうやら他の家からも持ってきたらしい洗濯物まみれになっているのを階下の住人が見つけて騒ぎ始める。それを確認すると俺は悠々と部屋に戻った。


 買い物に出掛けた先で友人とばったり出会ったとかで、自分で予定していたよりも随分遅い時間に帰ってきた美夜は騒ぎが収まって落ち着いた後、ようやく俺に声を掛けてきた。
「なんなの、あの超音波」
 あの声(人間にはあれが声だとは判らないだろうが)は電車を下りて帰宅途中の美夜の耳にも届いていたらしい。多分、相当広い範囲まで聞こえただろう。
「聞こえたんなら超音波じゃないだろ」
 彼女の前に降り立つと、にやにや笑って俺は受け流した。
「どこであんな防犯ベル買ったのか聞かれて、ごまかすの大変だったんだから」
 そうはいいつつも、俺を責める筋合いじゃないということは承知しているので美夜の勢いは弱い。
 当然だ。盗まれずに済んだのは俺のおかげだぞ。文句言われてたまるか。
「犯人捕まったんだし、お前のは無事だったんだから良かっただろ?」
 美夜が干していた洗濯物はもう少しで盗まれるところだったが、男が慌てて逃げ出す際にベランダに落としていったので無事だった。
 そしてそれは今、俺と美夜の間に置かれている。
 三組の女物の下着だ。
 女物のといちいち言う必要もない。ここに人間の男はいないし、来る事も今のところないからな。
 それに目を落として美夜は溜息をつく。
「ここ二階なのに……。特別派手な訳でもないし干す時だってタオルで目隠ししてるのに……」
 俺にはなんだか良くわからないがショックを受けている。
 どうやらあの泥棒は「洗濯物」を狙った訳じゃなく「下着」、それも女物だけを狙っていたらしい。一階の住人もやられていたようだ。まあ、下のベランダから二階に登って来たみたいだったしな。
「それにしても、下着盗んで何が楽しいんだ?」
 男が持ってて面白いのかね。中身と言うか本体である肉体がなきゃ何の意味もないと思うんだが。人間ってわかんねえ。
 まあ俺の場合は長生きしてる分子孫残す事にガツガツしないで済むし、第一自分と同じサイズの吸血鬼なんかほとんど会った事ないからそういう感覚から最近縁遠いしな。自分の十倍以上でかい美夜は問題外だし。
「私に聞かないでよ」
 変態の気持ちなんかわかんないわよと美夜に怒られた。そりゃそうか、オスでしかも人間社会の中で犯罪とみなされるレベルの嗜好なんか美夜の知った事じゃないよな。
 同じ人間で性別が違う美夜と、性別が同じでも種が(大きさも)違う俺とじゃどっちが下着泥棒の思考回路に近いんだろうとふと考えたが、どっちも遠過ぎて考えるだけ無駄かと思い直した。
「それにしても、これどうしよう」
 盗まれずに済んだ下着を前に、困ったように美夜が呟く。
「何が」
「盗まれなかったとはいえ、変な男に触られて掴まれたんだよ。もう一度洗ったって身につけるの気持ち悪いじゃない」
 そういうもんか?
「気にし過ぎだろ、それは」
「何よ、ロードだってもし……」
 美夜は言葉を切り、上手い例えを考えていたが少しして続けた。
「私の血を他の吸血鬼が注射器で抜いて、その注射器を取り返したとしてそれ飲みたい?」
 そんなの、飲みたいに決まってるだろう。
 そう言うと、美夜は目に見えて脱力した。
「……注射器じゃなくて、吸血鬼が吸って、飲み込む前に吐き出した血だったら?」
 それでも飲むぞ。もったいないだろうが。
 俺の答えに美夜は呆れて口を噤んだ。
 美夜には言わないが、吸血コウモリは飢えた仲間に自分の吸った血を吐き出して与えたりもするからな。他の吸血鬼はどうか知らないけど俺は別に抵抗がない。だからといって他の吸血鬼と供給源としての美夜を共有するつもりはさらさらないが。
「そんなに嫌なら捨てて買い替えればいいだろ」
 目の前の下着を見ていたら利用法を思い付いた。
「これは俺が敷布団として棺桶の中で使ってやるから」
 俺は三組の下着のうち、黒いブラジャーをひっくり返して片方のカップの中に入って横になり、身体を丸めた。頬杖ついて見上げると、美夜は怒りのあまりしばらく言葉を無くしていたようだった、が。
「馬鹿ー!」
 美夜はいきなりブラジャーを掴むと、中にいた俺は宙に放り出された。もちろん俺は壁に叩きつけられる前に自力で止まり、それが気に入らなかった美夜は改めて俺を布団の上(一応気をつかったらしい)に叩きつける事で憂さを晴らしたのだった。まったく女ってやつは。


 結局美夜はその下着を着る気になれず処分した。神経質だと思うんだが、本人が嫌だと言うなら俺がとやかく言う筋合いじゃない。
 そして俺は後日美夜が黒い布を買って来て手作りした、棺桶にぴったり入るサイズの六角形の布団を手に入れた。
 なんだかんだ言いながらまめな女だよな。
 俺は密かに笑いをこらえた。

END      
(2009.2.3)

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