Vampire Bat 番外編   Halloween and a Burning Coal


 とある十月三十一日、水曜日の夜の事だった。
 締めの作業で連日残業が続き、明日明後日はとりあえず早く帰れる予定だけれど身も心もすさみ始めた私が帰宅したのは夜の十時半の事だった。これでもここ数日では早い方だ。
 夕飯は会社近くのお弁当屋さんで買ったお弁当を休憩がてら会社で既に食べている。
 お風呂入って寝よう、と思いつつ私は部屋のドアを開けた。
「た、」
 ただいま、と言おうとしたその瞬間、ぽすっと肩に小さい黒いものが体当たりしてきた。
「血をくれないといたずらするぞ!」
 …………。
 脱力した。
 そう言えば世間はハロウィンなのよね。色々なお店が黒とかオレンジに彩られている。
 ハロウィンってどうもいつだか覚えられないのよね、私。二十五日(これはクリスマスのせいで思うのかも)のような気もするし、十一月一日のような気もするし。周囲にハロウィンカラーは溢れてるけど、クリスマスほどの地位はこの国では確立してない気がする。今日だったのね。
 でもごめん、今そんな気分じゃないし、週末の食事にはまだ早いよロード。
「Trick or Treat……?」
 私のテンションが低いのにロードも気がついたらしく、私の肩口に座って様子を窺うように首をかしげて微笑んだ。
 思わずその笑顔に和んでしまいそうになったけれど、だめだめ、そうはいかないわ。
「あのねえ、私は純日本人なの。ハロウィンの存在は知ってても、真面目にそういうイベントこなす気はないの。それに仮装して家を回るのは小さい子供でしょ? 大人が仮装してその辺の家にいきなり行ったら警察呼ばれるわよ」
 そう言って私は玄関の鍵を掛け、パンプスを脱いで部屋に向かった。
「誰もお前に仮装しろなんて言ってないだろ。お前はただ、俺の前に首筋差し出せばいいんだよ」
 さらりと血を吸う所まで指定したわね、ずうずうしい。
 吸血鬼がトリックオアトリートとか、どの口で言えるのかしら。だいたいロードのは仮装じゃないし。
「だから、そんなの私の知った事じゃないって言ってるの。もう今日疲れてるんだからいい加減にしてよ。ハロウィン楽しみたいなら明日飾り用の黄色いカボチャ買って来てあげるから、一人でくり抜いて遊んでよ」
 バッグの中からハンカチを取り出し、後で洗濯機に入れるために脇に置くと意外そうなロードの声。
「なんだ、そんなの欲しいのか?」
 ロードが私の肩からテーブルの上に飛び降りて私を見上げた。
 別に特別欲しくはないけど、あってもいいっていうか、ロードがそれでおとなしくしてくれるならいいっていうか……って、ロードなんか嬉しそう? 嬉しそうっていうか、楽しいのかな。
「はいはい、欲しい欲しい。作って欲しいなー、ジャック・オー・ランタン」
 私はかなり適当に言って、でもロードが血をよこせと言うのをやめたのに満足してお風呂に湯を張りに行き、それからその間お茶でも飲むかと台所でお湯を沸かした。
「あのランタンて、お前無茶言うなあ。ここ日本だぜ」
 面白そうにロードが笑う。
 そう、ここは日本。それなのに血をよこさなきゃいたずらするって言ったのどこの誰なの。
「日本だって今の季節は黄色いカボチャくらい売ってるわよ」
「いやそうじゃなくて……。まあまだ間に合うからいいけどさ」
 何か考えながらロードは一人で納得している。
「何が?」
「ハロウィンて十一月二日までだろ正式には」
「そうなの? 今日だけじゃないんだ」
「知らないのか?」
「お盆の細かい日程すら覚えてないのに、そんなの私が知る訳ないじゃない。ロード紅茶飲む?」
 マグカップを出しながら私は訊ねた。ロードは砂糖もミルクもレモンも無しで飲む。ちなみに、一人暮らしの私の所にレモンなんてものは存在しない。買っても使いきる前に駄目になってしまうので、レモンティーという選択肢はなくてストレートかミルクティー。紅茶と言ってもティーバッグだけどね。
「飲む。これだから無宗教の日本人は……」
 ほっといて。
 それにそんな事吸血鬼に言われたくない。私が敬虔な仏教徒やクリスチャンだったら、ロードをここに居させてあげてないわよ。
 何はともあれ、こんな風にハロウィンの夜は何事も無いまま終わったのだった。

 翌日、お花屋さんの店先でもカボチャを見かけたけれど、確か近くのスーパーでも売ってた筈、と思って買い物ついでにスーパーで探すと黄色いカボチャはちゃんとあった。まだ売ってて良かったわ。
 あ、ハロウィンは二日までなんだっけ。でも日本的には昨日までよね多分。
 買ったのは直径十センチ位の小さなカボチャ一つ。
 ロードが自分でくり抜くならこの大きさが限度かな。
「ただいまー。はいこれお土産」
 まだ起きて間もない感じのロードに買い物袋の中から取り出したカボチャを渡した。正確には手渡した訳じゃなくて、ロードに見えるようにテーブルの上に置いたのだけれど。
 今日は帰りが早かったし買い物もしたので、着替えてから洗濯機をセットして、簡単に夕飯を作りにかかる。
「ロードこれどうやってくり抜くの?」
 我ながら素朴な疑問。
 だって包丁とかナイフとか持てないわよね。
「上からくり抜くと吊るせないよな。まあこれ持ち歩く訳じゃないからいいか。とりあえず上だけちょっと丸く切るっていうかくり抜いてくれるか?」
 やっぱり、結局私がやるのかしら……。
「心配するなよ、あとは俺がやるから」
 小さいから私やってもいいんだけどね。大きいカボチャくり抜く元気はないけど。
「それとティースプーン出してくれ」
 本当にやる気みたい。大丈夫かな。
「今台所使うから後でやってくれる? 向こうでやると散らかりそうだし」
「了解、お前が寝てる間にやるから大丈夫だ」
 最近聞き分けいいわね、ロード。家内円満……ちょっと違うか。
 でもいいことよね、うん。
 寝る前にそっと台所を覗くと、ロードがティースプーンに片足を掛けてカボチャの実に埋め、スプーンをシャベルのように使って中身を掘っていた。少し離れた所にはロードにちょうどいいサイズのナイフが置いてある。
 ……ひょっとして、服と同様にそういう小道具も作り出せるの?
 なーんだ、心配して損した。
 私はちょっとほっとして、ベッドに入ると目を閉じた。


 目が覚めると、ロードの棺桶の上に完成したカボチャが置いてあった。
 今日は十一月二日、ハロウィンの最終日。
 左右の目の穴の大きさも違えば、口元も片方上がった歪んだ微笑を浮かべている。うーん、なかなか前衛的。
 あ、でも今ロウソクないのよね。どうしようかな、帰りにロウソク買って来ようかな。でもランタンにするにはこれ小さいし、中に灯が入るとどうなるか見たい気もするけど、このままでいいか。
 そう考えてからふと気付いた。これ上に置いたままでどうやって棺桶の蓋閉めたのかしら、ロード。
 カボチャを手に取り、そっと棺桶の蓋を少しだけ持ち上げて中を覗いた。
 ……あれ?
 私は蓋を全開にする。棺桶の形のジュエリーボックスを私が改造したロードのベッドの中は、空っぽだった。
 カボチャくり抜いてから夜の散歩行って、夜が明けちゃったのかしら。別にロードは朝日浴びて灰になるわけじゃなくて平気らしいから心配することもないだろうけど、珍しい。
 夜になって身動きとれるようになったら帰って来るわよね。帰って来なかったらまた考えようかな。どっちにしても今はロード探す時間ないわ。
 私は時計を確認してから棺桶の蓋を閉めると、元通りその上にカボチャを置いて会社に行く準備に戻った。

 もうロード帰って来てるかな。
 夜七時頃、私は駅からマンションに向かって歩いていた。
 このタイミングで私の血に飽きたから次を探しにっていうのはない筈だから、戻っては来るわよね。
 外だと昼間どこに隠れてるんだろう。
「お帰り」
 聞き慣れた声が不意に聞こえて、一メートル位先の民家の塀の上からぽんと黒い塊が飛んできた。
「……!」
 び、びっくりさせないでよロード!
 それはもちろんロードだった。危うく悲鳴上げるところだったわ。
「ちょっと、隠れてよ」
 私はロードを捕まえると小声で叫び、バッグの中に押し込んだ。
「……いて」
 携帯電話に本に財布、化粧ポーチなどが入ったバッグの中にいきなり無造作に突っ込まれたロードの声が何か聞こえたけど、無視することにした。
 外から見えないように、ロードのマントを引っぱって上から被せ、更にその上にタオルハンカチを乗せる。
 それから辺りを見回したけれど、前にも後ろにも人はいなかった。一応見てから出てきたみたいね。
 それにしても心臓に悪いじゃない、まったく……。
 私は溜息をついて残り僅かな距離を足早に過ぎ、マンションの部屋に帰って玄関の鍵を掛けた。と同時に、バッグの中からロードが飛び出した。
「もうちょっと丁寧に扱えよ、物じゃないんだから」
 だったらもうちょっと普通に登場してきてよ。
 そう思いつつ、私は家庭平和のために殊勝に謝った。
「いきなりだったからつい。ごめんね」
 出端をくじかれたようにロードは紫がかった目をぱちぱちさせてから、少し肩を落とすと「わかればいいけど」と呟いて引き下がった。私の勝ち。
「カボチャ見たよ。ハロウィンっぽくていいよね」
 言いながら室内に入ってバッグを置くと、後からついてきたロードが床からジャンプして棺桶の上に着地し、カボチャの上に腰掛けた。
「いい出来だろ」
 足を組んで腕組みすると得意気に笑う。ジャック・オー・ランタンの上に座った黒ずくめの吸血鬼っていう構図はやっぱり絵になるものなのね。
 ……なんだか、ハロウィン用のメッセージカードについていそう。
「まだ早いだろうから後で火入れようぜ。火持ってきたから」
 上機嫌でそう言うロードの手には何もない。
 少し疑問に思ったけれど常識の通用しないミニ吸血鬼相手に考えても仕方ないので、その時はとりあえず忘れる事にして私は夕食の支度を始めたのだった。


 夕食の片付けも終え、お風呂から出てくるとテーブルの真ん中に人の悪そうな笑顔のカボチャが鎮座していた。
 その脇に座っていたロードが私を見て立ち上がる。
「火入れるぞー」
 ちょっと待ってよいきなり。
「そのカボチャ燃えないかな? 大きいカボチャならともかく小さいし。私自分の部屋から火事出すの嫌よ」
「平気だって。お前も変な所で心配性だな」
 ロードが少し呆れた声を出す。
「じゃあ皿にでも乗せればいいだろ」
 そうね、そうしよう。
 私は少し大きめの白いお皿を出してくると、その上にカボチャを置いた。ロウソク買わなくて良かったわ。でも最初から火は点ける気だったのね、ロードは。
 ロードはお皿の上を歩いてカボチャの横に行くとコホンと小さく咳払いをし、カボチャの頭の天辺の蓋を外してカボチャの後ろに置いた。
「これがジャック・オー・ランタンのものとほぼ同じ火だ」
 彼がぱちんと指を鳴らすと、その指先の少し上の空中にポッと小さな火が現れた。わ、すごい。
 良く見ると火はその中に小さな塊を包んでいて、それが燃えている。
 何だろう……炭……かな?
 私は火の中に目を凝らしてそんな推測をした。ロードは指先をカボチャの穴に向け、それに操られるように小さな火は炭ごとふわりと中に入った。炭が入ったって言う方が近いのかも。
「さすがに日本の仏教概念の地獄に行くの無理だったから別んとこから持って来た。まあハロウィン限定だけどな。それに元々はカボチャじゃなくてカブだったんだし」
「ふうん」
 意味は全然解らなかったけど、ランタンの光に見入っていた私は適当に相槌を打った。
 燃え盛る小さな炎がカボチャの内側から照らし、部屋の明かりを消すと個性的な顔が浮かび上がる。
「小さくてもそれなりに趣あるね。趣っていうか、怖いけど」
 そう言って感心する私の前にロードは浮かび上がると、小さなジャック・オー・ランタンの光にぼんやり照らされた顔でいたずらっぽくにかっと笑った。
「じゃ、そういう訳で『Trick or Treat?』」
 またそれなの。血をくれなきゃ、って?
「あのねえ……」
 ちょっとうんざりしながら口を開こうとすると、鬼の首を取ったような笑顔でロードが胸を張る。
「だって今日金曜日だろ」
 え?
「え。あ、そうか……」
 カレンダーを見るまでもなく、今日は確かに金曜日だった。
 で、今週は土曜じゃなくて金曜に血を吸いたいと。筋は通っている。でもなんか騙されたというか嵌められた気分。
「わかった。でも首じゃなくて今日はこっちね」
 諦めて、それでもパジャマの袖をまくると、「ケチだなー」とぶつぶつ言いながらもロードは嬉しそうに左手首の下あたりに噛みついた。痛。
 ジャック・オー・ランタンを乗せたお皿を少し端にずらしてテーブルの上に片腕を置いて、これっていつも思うけど病院で採血したり血圧計る時の体勢にそっくりと、毎度の事ながら考えつつロードを見つめる。幸せそうよね、いつもながら。
 暗いので何も出来ないし、この状態では電気を点けに立ち上がる事も出来ないので右手が手持ち無沙汰になってしまった。なのでなんとなく、夢中で血を舐めてるロードの髪を指先で撫でる。ああやっぱり小動物を愛でる気分だわ。
 ロードは一瞬こちらを見たけれど、さして気にも留めずに吸血作業に戻る。
 ランタンからは大きいカボチャで作らなかったせいか、火に炙られてカボチャのいい匂いが少し流れてきていた。
 暗い部屋で小さな吸血鬼に血を吸われながら小さなジャック・オー・ランタンの小さな光に照らされて、でもなんだかほっこりした気分になっている私はちょっとロードに影響されすぎかもしれない。
 でもいいよね。今日のところは可愛いペットの怪しい手作りプレゼントに感謝。
 そして、今年のハロウィンが終わった。

 後でちょっと調べたら、ジャック・オー・ランタンっていうのは結論だけ言うとこういうものだった。
 地獄にも天国にも入れずに彷徨う事になったウィル(ジャック)が中に入れずに地獄を去る時に、暗いので道を照らすために悪魔がくれた地獄の火(が燃える石炭)を蕪に入れてランタンにしたっていう話が元々みたい。ジャックってくり抜いたカボチャの名前じゃないのね。
 カボチャがジャックという人(?)じゃないのなら、わざわざ顔にしなくても良かったんじゃないのかしらと思ってからふと気付いた。
 地獄の火って……。ロード、どこからあの炭持ってきたの?
 日本の仏教概念の地獄に入れなかったって、どこに行ってたのよ!?
 日付が変わって三日になったと同時に火の消えた小さなひとかけらの炭は、まだカボチャの中に入ったまま。取り出して木炭なのか石炭なのかもう一度良く見る気力は湧かない。カボチャは埃にならないように透明なビニール袋に入れてからカーテンボックスの上に置かれ、微妙な笑顔で正面の壁を見つめている。
『ハロウィン限定だけどな』
 そう言ったロードの言葉を思う。
 まさか来年の十月三十一日に突然火がついたり……しないわよね?
 月の光の下、ロードは笑う。
「さあな」
 素知らぬ顔で悠々と、今日も小さな吸血鬼は夜の散歩に出て行った。

END      
(2007.10.28)

TOP



RAY's TOP
INDEX

web material by “FULL HOUSE