Vampire Bat 番外編 Shining Morning
土曜日の深夜の事だった。
おれは部屋のテレビの電源を切ると欠伸を一つ。さすがに夜中の二時を過ぎると眠い。
一人で友達に借りたビデオ見ながら夜更かし出来るのなんか金曜か土曜の夜くらいだ。一応受験生だし。
おれの部屋のテレビはビデオデッキと一体化しているやつで、DVDは一階の居間じゃないと見られない。不便ではあるけどしょうがないな。
さて寝るかと思った時、窓の外でこつこつと小さな音がした。
朝とか昼間だとよく庇や電線を鳥が歩いてて音がするんだけど、こんな夜中に鳥はいないだろうし、猫じゃないし人でもない。
まあ、いいか。
あまり気にせずおれは部屋の電気を消してベッドの掛け布団をめくった。明日は早起きせずにゆっくり寝ていよう。
布団に入ろうとした時、再びこつこつという音。……なんか、窓を叩くような音だよな。
眉をひそめると、男の声がした。
「ちょっと待て美夜! 寝る前にこの窓開けろ!」
うわなんだそれ!
おれは窓に駆け寄りカーテンを開けた。いつも雨戸は夜でもなんとなく一枚しか閉めないから半分はガラス窓だけになっている。
「あれ?」
誰もいない。
「なんだ……?」
気のせいか? でも気のせいであんなにはっきり声が聞こえるか? 大声じゃなかったけどすぐ近くだったぞ。
しかも上の姉の名前が聞こえた気がする。
首を傾げた時、窓枠の下に小さな塊を見つけた。
小さい、人の形をしたモノ。
おれは声もなく、ぽかんと口を開けてそれを見た。
手のひらに乗る位の大きさの、黒い服を着た男の小人だ。
目が合うと、それはしまったという顔をした。おれは我にかえって慌てて窓を開けた。
「間違えた! 見なかった事にして忘れろ」
小人はそう言うとふわりと浮かび上がる。何だこれ、喋る上に動いて飛ぶのかよ。その背には黒いマントがひらひらとはためいている。
「ちょっと待て」
くるりと空中で背を向けた小人のマントをおれは素早く掴んで引っぱった。地味だが卓球部で養った動体視力をなめんなよ。じたばたするその生き物を、もう一方の手を伸ばして捕まえる。
「何しやがる。オスに用はねえぞ」
女なら用があるのか? つうか、男でもなく「オス」って何だ。
「おまえ、何?」
窓を閉めてカーテンを引き、おれは訊ねた。返答いかんでは標本にして学校か博物館に持ってくぞ。
「誰が言うか。離せって!」
そいつは、自分を握り締めているおれの手にがぶりと噛みついた。
「って!」
思わず手を離しちまったが、反射的にもう片方の手で床へ叩き落としていた。やるじゃんおれ。
結果に満足してから左手を見ると、しっかり歯形がついていた。歯形というか、穴が開いて血が出ている。
あー血が出た! 思いっきり噛み付きやがって!
「……」
絨毯の上にぼとりと落ちたそいつは思いの他ダメージがでかかったらしく、口元を拭いがくりとうなだれると呟いた。
「不味い……」
……おいおい。
とりあえずおれはもう一度部屋の電気を点けると、その小人のマントを再び掴んで逃げられないようにしてみた。さすがにまた噛みつかれるのは嫌だったんでそれだけだけど。
小人は苦虫を噛み潰したような不機嫌そうな顔でおれの目の高さに浮かんでいる。
「何なんだよ。お前だって俺に用はないだろ、このクソガキが」
なんでこんなミニサイズの小人にクソガキ呼ばわりされなきゃいけないんだ?
「用はある。博物館に持ってくとかテレビ局呼ぶとかさ、色々出来そうじゃん。で、おまえなんなんだ?」
おれの言葉をそいつは鼻で笑い飛ばした。
「出来るもんならやってみろ。お前の姉貴が黙ってないぜ。まあ、その前に逃げるけどな」
お、いきなり余裕ありげな態度。でもなんで姉貴?
そう言えば、美夜姉の名前呼んでたな。どうなってるんだ。
怪訝なおれの顔に満足したのか、そいつはにやりと笑った。……気に入らない。
「どういう事だよ」
「美夜が家を離れて一人暮らししてると思ったら大間違いだぜ。今は俺がいるからな」
待て待て待て。
「参ったよなー、明かりが点いてたし美夜の部屋だと思ったのに、よりによって弟の部屋だなんてな。もっとちゃんと確認すれば良かったぜ」
美夜姉の部屋はおれの部屋の対角線上にある。窓だけ見れば確かに似てるかもしれないけど、南西の角と北東の角間違えるなんてずいぶん間が抜けてる。
「おまえ、なんなんだ?」
この問いは何度目だろう。おれは小人に訊ねた。対するその返事は──
「見てわかんねえのか。吸血鬼だ」
一目見て判らないなんてお前アホだろと言わんばかりに正々堂々と、そいつは偉そうに告げた。
「……。」
なんつーかもう、最初のこいつの希望通り何も見なかった事にして窓の外に放り出したくなった。
「あれ?」
ふっと、いきなり手の中から小人、もとい自称吸血鬼のマントが消えた。
「いつまでも捕まってるかって」
からからと笑ったそいつの背にマントはない。
そして空中に浮かんだままぐるりと部屋の中を見回すと、机の上に着地し、端に腰掛けて足を組んだ。マントそのものに飛行機能があるわけじゃないんだなとおれは変な所に感心する。おまけに着てるものが出し入れ(って言うのか?)自由って、どんだけ能力あんだよこいつ。
それよりも、この吸血鬼と美夜姉になんの関係があるんだ?
「おまえさっき美夜姉がどうって言ってたけど……」
「ああ。今美夜の部屋に住んでるし毎回美味しく血をいただいてるぜ」
やつはこともなげに笑って言ったけど、おれは冷や汗の出る思いだった。手元を見下ろすと、左手の人差し指には小さな二つの咬み傷がある。
灰にしてやろうか、こいつ。
「なんでそんな事になってるんだよ」
呟いたおれの言葉を質問と受け取ったのか、簡潔な答えが戻ってきた。
「血が美味いからな」
にやにやと笑うこの吸血鬼を、なんで美夜姉は平気で受け入れてるんだろう。本気でわからない。
「わかんねー……」
ベッドに腰掛けて頭を抱えるおれをしばらく面白そうに見ていた吸血鬼は、ひょいと机から飛び降りるとそのまま床を蹴ってジャンプし、ベッドの背板の天辺に移るとそこに座った。
「お前さ、俺が常にこのサイズだと思ってる訳?」
「え……?」
顔を上げると吸血鬼の紫色の眼がこっちを見ていた。面白そうに、意味ありげに。
「どういう……」
「ここは美夜の実家で人が多過ぎるからこの大きさになってるだけで、帰れば別に人目も無いし二人きりだからな」
おれは首を傾げた。大きさまで変わるのか、こいつ。それとこれと何の関係が……ってか、人間サイズの吸血鬼と同居って普通にやばいだろ。
「おい……」
思わせぶりに小さな吸血鬼は口を噤んだ。そうやって鋭い牙が見えないとそれなりに整った顔してるよなこいつ。美夜姉外人趣味はなかったと思うんだけど、この人間離れした紫色の眼は割と反則かもしれない。何か嫌な予感。
「男と女が一緒にいたらやる事なんか一つだろ」
ちょっと待てー!!
人間の男ならともかく吸血鬼だろ!
「ギブアンドテイクってやつだ。お前みたいなガキには理解出来ないかもしれないけど」
赤くなったり青くなったりしながら口をぱくぱくさせるおれを尻目に、やつは床に放り出してあった漫画本の横に立って両手でページをめくる。
「やっぱガキだな、おまえの年で絵本なんか読むのかこの国じゃ」
「それ絵本じゃねーし! つーか勝手にいじるな!」
「気にすんなよ」
吸血鬼はあっさりとおれの抗議を流し、さっき取り出して置いたビデオテープに目を留めた。ちなみにそれは狼男の出てくるB級ホラー映画だ。友達の兄貴がB級ホラーが好きで色々集めてるらしい。
「これ何だ?」
「ビデオだよ。って、だからそうじゃなくて」
「これ見せろよ。どうせ美夜の部屋に戻っても寝てるからつまんねえし」
それ今見終わったんだよ、というおれの言い分も虚しく、何故か再びビデオをセットするはめになっていた。
「不満そうな顔すんなよ。いつか吸血鬼の女に会ったらお前紹介してやるから」
お断りだ。
「俺はオスの血は不味くて飲めないけど、女には美味いんじゃねえの、美夜のはかなり俺好みだし」
間違っても吸血鬼向けグルメマップとか作るなよ、迷惑だから。
「うわ、くだらねえ」
ビデオを見てなんだかんだけなしながらも楽しんでるらしい吸血鬼を横目に、おれは暗くても見えるだろうと部屋の電気を消し、ベッドに入った。
マントが消えた黒スーツの状態で悠々としている様子は、吸血鬼というよりはスレてないホストか? 本物見た事ないけど。
美夜姉は何が嬉しくてこんなのと一緒にいるんだろうな。
何って……ナニ?
おれは頭に浮かびそうになったイメージを振り払う。
外人趣味はないけど人外趣味はあったってか。そう思ってから言葉遊びやってる場合じゃないだろうとちょっと自己嫌悪。
画面の中では、満月の下でいかにも着ぐるみという感じの狼男に変身した主人公がゾンビに向かって吠えていた。吸血鬼ものじゃなくて良かったんだか、悪かったんだか。
「お前さ、名前なんての?」
ふと思いついたように吸血鬼が訊ねる。
「朝輝」
おれは不貞腐れてそれだけ答えた。
「意味とかあんのか? 美夜は美しい夜だろ」
「漢字の意味なら、朝の輝きとか、輝ける朝とかそんな感じかな」
布団の中から答えると、吸血鬼は笑った。
「最悪だな」
そりゃ吸血鬼からすればそうだろうよ。おれは黙り込んだ。
それにしても眠れない。早く出て行かないかな、こいつ。
ああ、それともこういうのはどうだろう。
「吸血鬼って、朝日浴びたら灰になるのか?」
馬鹿にしたような声音が飛んでくる。
「それくらいでならねえよ」
伝承は嘘かー!
このまま灰になってもらうのもいいと思ったんだけどなあ。
「眩しいから嫌いなだけ」
深海魚かこいつは。
結局おれは吸血鬼がビデオを見終わるまで眠れなかった。
既に外も少し明るくなってくる頃吸血鬼はおれに窓を開けさせた。
窓枠に飛び乗ると、吸血鬼の背に黒いマントが現れる。これ多分、人間サイズだったらなかなか絵になるのかもしれないけど……それを毎日見てる訳か、美夜姉は。
小さな吸血鬼はマントの端を掴んでばさりと振ると、美夜姉が帰ってくる時はまた一緒に来ると言って機嫌良く出て行った。いやもう来なくていいから、留守番してろよ。
「なんなんだよもう……」
おれはそれを見送って肩を落とした。
まだ朝までは間があるけど……。気になって眠れるかっての!
結局、頭の中をぐるぐるといろんな妄想が巡って一睡も出来なかった……くそ。
ああ朝日が眩しいぜ。
美夜姉は朝早く帰るって言ってたんだよな、帰って洗濯するとかってことで。
起きて階段を上がったり下りたりばたばたしてる気配があったので、眠いけど今は寝るのを諦めておれも部屋を出た。後で昼寝しよう。隣の部屋のもう一人の姉はまだ寝ているみたいだった。
一階に降りると何やら色々入った荷物が置いてある。家に置いてあった服とか、母さんが持たせた食べ物なんかが主な荷物らしい。
「おはよう、珍しいねもう起きてるの」
リビングからバッグを肩に掛けた美夜姉が出てくる。
おれは黙って頷いた。うん寝てないから、とは言えない。
「もう帰んの」
「うん、色々やらなきゃいけないしね」
腕時計に目を落とし、時間を確認してから姉はパンプスに足を入れる。
ふと気になって首筋に目を向けると、今日はハイネックだった。なんとなくショックだ。
「それ取って」
言われて置いてあった紙袋を持つと、おれはスニーカーを履いて一緒に玄関を出た。
「ありがと……何?」
「昨日おれんとこにちっこいのが来たんだけど」
声をひそめて言うと、予想していたのか小さな声で返してきた。
「ロードの事ね?」
ロードってのがあいつの名前なのか。そう言えば聞かなかったな。
「ロードっていうんだ、道って変な名前だな」
「違うよ」
くすくすと美夜姉は笑う。
「可愛いでしょ。私の癒しなの」
かわいいのか? あれが? しかも癒しなのか!?
「ごめんね、迷惑掛けて。お父さんとお母さんと暁良には絶対内緒にして、お願い。今度好きなゲームソフト買ってあげるから」
ゲームソフトに釣られるおれ……。
「いいけど……」
口ごもるおれに美夜姉はきょとんとした顔。
何でそんなに平然としてんだよ。おれはちょっと泣きたくなる。
「どしたの」
「……身体平気?」
やっとの事でそれだけ聞いた。とてもじゃないが年の離れた実の姉にそれ以上はっきりとは聞けない。
だけど例え外人でも人間ならまだしも相手は吸血鬼だぞ。どんな悪影響があるかわかったもんじゃない。
それを聞いて姉は小さく笑った。
「平気平気、週一だし」
って、ナニがー!?
「ボランティアみたいなものよ。心配してくれてありがと。じゃあまたね」
茫然とするおれの手から紙袋を取ると、姉はパンプスの足音も軽やかに歩いて門を出て行った。
頼むよ……付き合うならどんなのでも口出ししないから人間の男にしてくれよ美夜姉。
おれは姉の(多分)大きな秘密を不幸にも偶然共有させられてしまったのだった。
受験生にストレス与えんなよ、もう泣きたい。
「ちょっとからかい過ぎたか?」と、どこかで誰かが呟いた。
番外編です。
「Beautiful Night」だとまだこれから書く部分。
相変わらずこのシリーズはかなり気の抜けた話ですが、今後もずっとこんなスタンスで。
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