海の子供


 僕がそこに初めて行ったのは、十歳の夏休みだった。
 波にさらわれて流れ着いた暗い穴の中、僕よりも小さな子供がたくさんいたことを覚えている。
 そこで何があったのかよく覚えてはいないけれど、夕方になって僕は大人達に捜し出された。
 何故他の子供達は助けられなかったのだろう。あんなにたくさんいたのに、大人達は彼らを無視して僕だけをそこから連れ出した。
 その謎は十六になった今も解けていない。尋ねようにもそこの海にはそれ以来一度も行っていなかったからだ。あんな「事故」があったのだから両親がそこを避けたくなったのも当然かもしれない。
 両親はそこに子供などいなかったのだろうと言って僕の話に取り合おうとはしなかったけれど、自分はそうは思えなかった。あの海には確かに沢山の子供がいたのだ。
 僕は夏休みに一人でそこに行く計画を立てた。
 そして僕はここにいる。


 高校に入ってからバイトを始めて、一応はまだ金があるから数日は滞在出来るはずだ。
 海が見えてきた。
「おお、やったね!」
 道に迷わないで着いた幸運を喜ぶ。言い忘れていたが、僕は自転車でここに来ている。むろん旅費を少しでも減らすため。
 とりあえずあたりの人に旅館の場所を聞いて、ぼろっちい、もとい情緒豊かなそこに荷物と自転車を預けた。旅館を決めた理由も言うまでもなく金銭的事情による。親には別の所に旅行に行くと言ってあるし、親からはろくに金が出なかったのだから仕方がない。
 砂浜におりてみた。大分さびれた所で、ほとんど人がいない。
 あの時、僕が流れ着いたのは左手に見える黒いごつごつした岩山──そこにある岩穴だった。意外と海岸に近い。特別やることが決まっているわけじゃないし、行ってみようか。
 そこに向かって歩き出した時、どこからか現れた七、八歳の女の子が僕のシャツの裾を引っ張った。
「……?」
「遊ぼう」
 他にも小さな子供達が沢山やってきて僕にまとわりついては、先に進むのを妨げる。
「おにいちゃん遊ぼう」
「遊ぼうよ」
「遊ぼう」
 気が付くと波打ち際は子供でいっぱいだった。
 僕は六年前のあの場所に行きたかったけれど、とてもそんな事が出来る状態じゃない。
 そして不思議な──などと落ち着いてはいられないのかもしれないけれど──事が一つ。
 子供達は海からやって来るのだった。
 波間から歩いて出てきては「遊ぼう」と言って僕を海の方へと導くのだ。水の、海の中へと──
「遊ぼう」
「お兄ちゃん、遊んでよ」
「遊びに行こうよ」
「ねえ、遊ぼう」
 感情の読み取れない無表情で、盲目的に僕にまとわりつく。
 けれど、不思議と恐怖感はなかった。
 僕にまとわりつく子供は僕の近くにいるものだけで、少し離れてしまえばまったくこちらには無関心になり水際をうろうろしている。
 これって、普通じゃないぜ。僕は引き返しながら考えた。
 水ん中にいる妖怪って河童だろうけど、違うよな。河童は川にいるもんだろうし、そうだとしてもおかしい。
 そうして、決定的な違和感の原因に気付く。ああ、そうか。
 活気がないんだ。この子達は笑い声を立てないし、笑顔も見せない。
 僕にかける「遊ぼう」と言う言葉以外ほとんど彼らは音というものを立てなかった。
 僕の耳に入るのは感情のこもらない子供達の声と、静かに打ち寄せる波の音。
 海も砂浜も、子供達で埋めつくされている。
 端から見ればこれはなんて不気味に静かな集団だったろう。
 その時、向こうから別の音が聞こえてきた。荷車を牽いて歩いてくる人がいる。載せられているのは多分魚か何かだろう。いかにも地元の人、という感じの女の人だ。
 僕は子供達の手を振り切ってそっちに走って行った。
「すいません、お尋ねしていいですか。あの子達はどこの──いえ、あの子達は何ですか?」
 五十代半ばのそのおばさんは驚いたように僕を見た。
「あそこに、子供? 子供なんて……」
 そして、海の方から僕へ視線を戻すと、僕が地元の人間では無いことを見て取り、何かを察したような顔になった。
「あれが見えるの? 若いんだねえ。あれは海の子供だよ」
 海の子供?
 僕が首を傾げるとその人は言った。
「大人には海の子供は見えないし、触れない。昔は彼らの事は何でも知っていたけれど、大人になって忘れさせられた。子供の事は子供が一番良く知ってるよ」
 海の子供だって?
 大人に見えないのならあの時僕だけしか助けられなかったのもわかるけれど、あそこにいた子供達は僕にまとわりついたりしなかった筈だ。
 どうしてだろう。
 僕は旅館に子供がいたのを思い出し、おばさんにお礼を言って引き返した。


 旅館にいた小学四年生の生意気そうなガキは、やっぱり生意気だった。
「海の子供? 兄ちゃんそんなのも知らないのかあ?」
 ……かわいくない。一応客だっていうのに。
「ま、よそもんだししょーがねーよなあ。教えてやるよ」
 旅館を出て再び海へ向かう。
 歩きながらそのガキ──もとい、名前は裕介だそうだ──は言った。
「兄ちゃんの年で海の子供が見えるはずないんだけどな。土地のモンじゃないから記憶消すの面倒でやめたのかな。あいつらはあの左の方にある岩穴の奥にあるものを守ってるんだってさ」
 岩穴って、あの岩穴か、ひょっとして。
「岩穴って、あの黒い岩山みたいなやつの向こう側にあったへこんだ所か?」
 僕が言うと裕介はニヤッと笑った。
「なんだ、兄ちゃん知ってんじゃねえか。じゃあ何があるかも知ってるか?」
 僕は首を振る。
 記憶が曖昧で良く覚えてない。
「おれも知らない。海の子供はそこまで入れてくれないのさ」
 砂浜におりると、子供達はまた海の中から出てきた。裕介には寄りつかない。
 群がってくるのは僕の方だけだ。
「遊ぼうよ」
「遊んでよう」
「お兄ちゃん遊ぼうよ」
 裕介が人垣の向こうから叫んだ。
「だめだ! こいつら兄ちゃんを子供……仲間として見てない。逃げろよ、引きずりこまれたいのか!?」
 ちくしょう……。
 僕は階段に向かって走った。
 階段を駆け上がって道路に出る。
 裕介が追って来た。
「あきらめないからな……!」
 僕は呟いて、道路沿いに岩山の方へ歩き出した。
 あきらめないからな、謎と思えるものは全部解かないと帰らないって決めたんだから。
「おれ、もう知らないからなー!」
 裕介が僕の背に向けて叫んだのを無視して歩いた。
 見ると海の子供はもう海の中に戻っていくようだ。波間に彼らの頭が見え隠れしている。
 まずいことに岩山の方には砂浜に降りる階段がなかった。道路の下はテトラポッドがごろごろしていて、僕はその上に降り立った。
 そこから砂浜までは約二メートル。下は砂浜だし大丈夫だろうと、僕は砂浜に飛び降りた。
 下が砂浜でなければ躊躇したかもしれないけれど。
 もちろん無事に着地した。
 すぐに子供達が顔を出す。海面にぽかりと浮かび上がってくる小さな頭。
 海に入らないとあそこには行けないんだし、来るなら来いってんだ、海の子供め。
 僕は少し考えて、靴と靴下とTシャツを脱ぐと海に入った。
 着替えてきた方が良かったな。
 何のために海パン持ってきたんだという考えが頭をかすめたけれど、もうそんな事に構ってはいられない。
 あの中には、あの奥には何があるのか、すぐそこに答えがある。
 そんな興奮と冒険心でいっぱいで、引き返すことなんて出来る訳が無い。
 やっぱり海の子供はまとわりついてきた。
 良く見るとかすかに見覚えのある顔がいくつかある。六年前、あそこにいたのと同じ子供が何人か。彼らは成長することはないんだろうか。
 その中の一人の女の子が僕に近付いてくる。
 投げ掛けられた言葉は「遊ぼう」じゃなかった。
「来ちゃだめだって、言ったでしょ」
 そういえばあの時、そんな事を言われた気もする。
 僕は記憶を探ってみた。あの時と同じ場所に来たせいか、いつもよりも思い出すのが楽な気がする。
(もう二度とここに来ちゃだめだよ)
(来たらたぶん、ぼくたち君を殺すよ)
(ここには……がいるんだから)
 あの時、なんて言われたんだっけ。
 そんな事を考えている間にも彼らは僕を海の中へ引きずり込もうとしている。
 抵抗しながら岩肌にそって進んだ。
 もう少し……かな?
 そう思った時、グイッと足を引っ張られて水中に没した。
 その時に見た海の中。
 げっ!
 もう少しで僕は叫ぶところだった。肺の中の空気を死守しなければならない状況でなければ叫んでいただろう。水の中にもこんなに子供がいるなんて。
 水中にひしめく、海の子供、子供、子供!
 僕が最後に見たのは、彼らの少し怒ったような、悲しそうな顔だった。
 薄れていく意識の中、波の音を聞いた気がした。


 海の子供が守っているもの。
 それは海の子供だけが知っている。
 それを守るためならば、彼らは人を海の底に沈める事さえいとも簡単にやってのけてしまう。
 暗い岩穴の奥深く、そこには『海の大人』が眠っていた。

END      





 これを書いたのは高校生の時です(何年前とか聞くな)。
 これは、静かにまとわりつく子供達を振り切りながら、ただひたすら海岸を歩き続ける夢を見まして、それを形にしたらこんな話になりました。
『海の子供』もあれだが『海の大人』ってネーミングはなんとかならなかったのでしょうか、当時の私。
 まあせっかくなのでそのままにしておきます。

et cetera
RAY's TOP
INDEX

web material by “トリスの市場”