彼女に捧ぐ星


 暗い夜の中を、僕は星を集めて歩く。
 一つ、二つ、三つ。
 白金の光を放つ小さな小さな星を探して掴み取る。
 四つ、五つ、六つ。
 これは、彼女を飾る光だ。眠れる人を飾るための那由他の星。
 僕は、夜の空の中で星を集める。

 僕が物心着いた時、既に彼女はそこにいた。
 炭酸水のような透明な河の中。
 誰も彼女に触れようとしない。汚れ無く眠り続ける美しい人。
 淡い金の髪が白い衣を纏った彼女の体を縁取り、柔らかく閉じられた瞼と金色の睫毛。
 彼女の穏やかな眠りのために、僕に何が出来るだろう。僕は何をすればいい?
 生まれる星達を眺め、きらきらと輝く星を手に取った。
 白い光、金の光、青白い光。この輝きを彼女に捧げよう。


 それぞれの銀河には彼女のような銀河の作り手たる母がいる。
 その中でも眠ったままなのは僕が知る限りでは彼女一人だった。僕の仲間によると彼女が最も長命で大きな力を持つ偉大な母であり、彼女が活動する事はこの空間に与える影響が大き過ぎるのだという事だけれど、何の事か僕には良くわからない。
 そして彼女達の下には僕らのような星の管理者がいる。もっとも、僕はもっぱら彼女のための星を集めるばかりで、星の管理は他の仲間が行っている。勿論僕も時には手伝う事もあるけれど。
 銀河の作り手は言うまでもなく、管理者達が各々の銀河から出る事も滅多にない。出たとしても他の銀河に立ち寄る事は皆無と言っていい。
 彼女が目を覚ます時、この銀河は死ぬのだと言われている。そして彼女は新しい銀河を創り、再び眠りにつくのだと。
 僕は彼女が目を覚ましても、眠ったままでもどちらでも構わない。ただ、この河で眠り続ける彼女を美しく飾りたいだけなのだ。
 星々の中に奇跡のように存在する、命を宿すいくつかの星から見れば永遠にも等しい彼女の眠り。
 彼女の眠る河に僕は星を落としてゆく。
 一つ、二つ、三つ。
 けれど星の光はあまりにも小さくて。
「いつまで続けるつもりだい?」
 星々を管理する仲間が問う。
 僕は黙って、近くを流れて行く星に手を伸ばす。ああ、掴み損ねてしまった。尻尾の付いた綺麗な星だったのに、もう、手が届かない。
「いつまでだろうね」
 僕は透明な笑みを彼らに返した。
 彼女が目覚めるまで?
 僕が力尽きるまで?
 どちらでもいい。
 四つ、五つ、六つ。
 しゃらしゃらと彼女の周りで星々が波打ち、小さな音を立てた。
 透明な河は炭酸水か気泡の入った硝子のようで、けれどそこには実際は何もない。そこに横たわる彼女を濡らす事もない。彼女が河を創り出し、僕は彼女を星で飾る。
 彼女の髪が散りばめられた星の光で淡く輝く。
 けれど、彼女を飾るにはまだまだ足りない。
 光を失ってしまう星もある。もっともっと、星を集めなければ。


「ほら、見てご覧」
 星には僕らが手出し出来るものと出来ないものがあって、これは誰も触れてはならない星の集まりだ。
 小さな、奇跡の青い星。
 ここには馬鹿馬鹿しい位小さな命がひしめきあっている。けれど、彼女はもしかしたらこの星が、この命がいつか生まれてくるようにとこの銀河を創ったのだろうか。
 そう思ってしまう程に彼女や僕らに良く似た形の、けれど肉眼では見えないくらい小さな命がこの星にいつしか生まれた。
 この星の近くにある輝く星、本当はこれで彼女を飾りたいけれど、きっとこれがなかったらこの青い星は凍えて死んでしまうのだろう。僕らに手出しは許されない。
「こんなものを見つけたんだ」
 僕の仲間が示したこの夜の空間に浮かぶ暗黒の湖面に、見慣れないものが映し出された。
「これは何?」
 おそらくそれは、この青い星の景色。だけどとても作り物めいていて、それでいて美しい。
「彼女に似ているだろう」
 河に横たわる女性の姿。
 だけど、眠れるかの女性ひとよりも、生きている気がした。
「これは、誰?」
「『オフィーリア』だよ。実在はしていない。この星の住人が生み出した芸術だ」
 芸術?
「一瞬で生まれ、消えていく存在でありながら、こうして絵画や音、光の芸術を作り出すこの星に住む小さな僕らのイミテーションは、ある意味では僕らよりも優秀で奥深く深遠だ」
 僕には、星の光で彼女を飾る事しか出来ない。
 この「芸術」のオフィーリアという女性は、自ら河に身を沈めて死んだのだという。
 けれどこの暗い空間にたゆたう河に自ら身を沈めた彼女は決して死んでいるのではなく、永い永い眠りについているだけだ。
 僕は彼女の亡骸に縋って泣く彼女の兄でもなければ恋人でもなく、目覚めている時の彼女を見た事さえない若輩者で、彼女の姿を描く事も出来ずにただ星を運び続ける愚かな子供にすぎない。この指先に摘んで力を込めれば潰れてしまうような小さな星の住人にも劣る。
 それ以来、僕は時々この青い星に暮らしている人々の様子を覗くようになった。
 この星の小さな人々は面白い。
 地表だけでは飽き足らず、天に向かって塔を建てて高みに暮らそうとしてみたり、川の流れさえも変えようとする。かと思えば驚くほど精緻な彫刻をたった一人で黙々と作り上げる芸術家が潜んでいたりする。きっとこれは「オフィーリア」を生み出した者の同類なのだろう。
 漆黒の湖面から目を離せば、そこにあるのは指先ほどの小さな青い星だというのに、そこには目に見えない沢山の命が生きている。実に興味深く、一時の退屈しのぎとしては最高の星だ。
 けれどこの星の時の流れは早過ぎて、見る度に全く違う。僕の「オフィーリア」も風化してどこかに消えてしまった。「オフィーリア」が描かれる元となった物語も忘れ去られた。
 景色を染め変え食い尽くし、星の表面さえもこの星の生き物たちは作り変えてゆく。育む事を知らぬ尊大なる矮小な生命。
 彼らが滅ぼうともこの星は存在し続けるというのに。
「おまえ達はこの星の上で一つの時期を支配するだけの、この星の命の一部に過ぎないんだよ」
 僕は溜息と共に呟き、輝く星を彼女のために拾いあげた。
 一つ、二つ、三つ。
 河底に眠り続ける僕のオフィーリア。
 僕らに良く似たこの小さな命は、僕らにとって何か意味があるのだろうか? 彼女が教えてくれるといいのに。
 でもそれは無理な相談だ。
 ……四つ。
 それに、きっと意味なんて無い。
 五つ。
 僕の命にだって、意味なんて無いんだ。僕の存在は彼女のためだけにある。
 六つ。
 彼女以外の全ては、多分無意味だ。

 僕はまた眠れる彼女の元を訪れる。
 煌めく星達よ、彼女のために美しく輝き続けておくれ。僕は川面に星を投げ込んだ。
 一つ、二つ、三つ。
 しゃらん、りん、しゃりん。
 柔らかな光を振り撒きながら、彼女の周りで星が転がる。
 四つ。
 夜の河に沢山の星が光っている、美しい光景。
 五つ、六つ。
 もっと星を集めればきっと更にきらびやかな眺めになるだろう。そして彼女の深い眠りと彼女の夢を彩る一助となれれば、これほど素晴らしい事はない。


 時は粛々とこの夜の空間を流れて行く。
 そして生命に満ちた青い星から生命が消え去り、その先で燃え輝いていた星が凍れる石となってもそんな事はこの空間ではさして大きな事件でもなく、僕は変わらず星を集めては彼女の元に運び続けていた。
 一つ、二つ、三つ。
 星々がぶつかり合い、しゃらしゃらと音を立てるこの河の中で、彼女は美しいまま眠り続ける。
 四つ、五つ、六つ。
 白金の彼女の髪、腹の上で組み合わされた白い指。
 七つ。
 きらきらと、星の光が彼女の全身を飾る。
 八つ。
 彼女の指先がピクリと動いた。
 九つ。
 組み合わせた両手が離れ、僕がこれまでに彼女の元に運んだ数えきれない程の星々が一斉に飛び散り、僕らの上に降り注ぐ。
 微かに彼女の口が開いた。言葉も無く。
 僕のオフィーリア。
 彼女はオフィーリアではなかった。そう、もちろん。彼女はこの銀河の破壊と創造を司る偉大な母。心を病み、命を捨てた架空の女とは訳が違う。
「母上」
 僕の兄弟でもある仲間達が異変に気付き、河のほとりに集まってきた。
「目覚める時がきたのですね」
 星の光の洪水の中で、目を閉じたまま彼女が身を起こす。
 ああ……。
 僕はもう言葉もない。
 きっと、僕が今まで星を集めては彼女の処に運んできたのは、この瞬間のためだったのだ。この夜の空間の中で、こんな光の海は見たことがない。
 僕の手の中から最後の星がこぼれ落ち、川面でシャンと音を立てた。
 十……。
 大星母が目覚める。
 彼女の、長きに渡って閉じられていた金色の睫毛に縁取られた瞼がゆっくりと開いて……。


 そして、一つの銀河が死に絶えた。

END      
(2006.12.23)




「覆面作家企画2」に参加しようかなと思って書いてみたのですが、出来上がったら微妙な出来だったのでやめたものです。微妙だったのと、それとちょっと短めだったので。
 そして一旦やめたのですが、ぎりぎりでもう一作書いて提出しました。
 テーマは「星」でした。テーマが先にあって話を作るのは私にしては珍しいです。難しいですね。
 天文学的な部分は結構いい加減。

 あとついでに。
「オフィーリア」の絵は色々ありますが、ここで語っているのは多分一番有名なこれです。

et cetera
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