宰鬼が死んだ。
それは遠い昔、人の世では二つの朝廷が存在し、相争っていた時代の事である。
白鬼は宰鬼の身体を荼毘に付し、埋葬するのに立ち会っていた。死したのち火葬されるのは宰鬼白鬼と血脈を同じくする一族の鬼のみだが、それにはそれなりの訳がある。
白鬼はしばし一人になると溜息を一つついた。何よりも己に近しい兄弟である宰鬼の死はさすがにいささか応える。
そして宰鬼の寿命が尽きたという事は、白鬼の寿命も残り僅かという事でもある。
白鬼には、次の宰鬼と白鬼となるべき鬼を選ぶ仕事が残されていた。その資格は宰鬼又は白鬼、どちらかの血を引く男子にあり、その中から最も適した者を一人選ばなくてはならない。
白鬼は宰鬼の子と己の子らを集めた黒紅の間と呼ばれる広間に足を踏み入れた。
彼は通常白鬼専用の離れで生活しているが、これは離れでする話ではない。
座して待っていた鬼達が居住いを正す。白鬼はそれを見渡した。白髪に赤い目を持つ白鬼であろうと、その子らは黒髪黒目の常の色彩をその身に纏っている。宰鬼と白鬼が良く似ていたのだから当然と言えば当然だが、十五人ばかりの鬼達はどれもどことなく面差しが似通い、知らぬ者は白鬼の子と宰鬼の子を見分ける事は出来ないだろう。
「皆揃っているな」
白鬼は正面に腰を下ろした。
「宰鬼が死んだ今、我等の後継者を決めねばならぬ訳だが……」
彼は途中で言葉を切った。
居並ぶ鬼達の幾人かは、宰鬼と白鬼どちらかならば引き継ぐ事は可能と思われる。だが、両方をこなせるものでなければ鬼の要とはなれない。このしきたりは代々要の鬼を決める度に枷となってきた。血筋から資格を有する鬼の数は多くとも、真にそれに適しているかと言えばそうでもない者の方が多いのだ。
「白鬼」
まず口を開いたのは宰鬼の三男、黒羽だった。
「この中に相応しい者がいるとお考えですか」
「そうさな……、この中にいようがいまいが選ばねばなるまいよ」
白鬼は薄く微笑んだ。
ここにいる二人の息子達か、あるいはその子の中から決めるしかない。
「父上が今からでももう一人子を成せば良いのではありませんか」
そう言ったのは彼の五番目の息子だった。
「そのような時間は無い」
白鬼は一言のうちにそれを拒絶する。そこまでの時間はないし、それに今更そんな面倒な事はする気もなかった。
白鬼は己の子らを見た。
彼らはやれと言われればやるだろうが、白鬼の素養はともかく宰鬼としては危うい。それに元々継ぐのは宰鬼の子であると決めてかかり、己には関係無いと思っている節がある。
対して宰鬼の子らも白鬼に向いているとは言えない。白鬼は白鬼で常の鬼以上の精神力が必要となる。継がせるならどちらかと言えば己の子よりは宰鬼の子の方が適しているだろうとは思うが、どちらももっと早く若い時期に自覚を持たせる必要がある。そして、宰鬼と白鬼は二つで一つ。
白鬼は鬼どもを見渡した。ここにいるものはどれも不向きだ。白鬼にも宰鬼にもなりうる中庸の者は年が行き過ぎ、既に一人二人の子もいる筈だ。しばらく考えた末に、白鬼は適当な者が一人いる事を思い出した。
「時に、
白鬼は宰鬼の長子に声を掛けた。
「朔夜はどうしている」
それは、黒音の二番目の子の名前だった。
翌朝、朔夜は屋敷の裏手にある小さな堂に連れられていった。
この堂は奥行きはそれほどないが横に広い長方形で、十年程前に宰鬼の命で建てられたらしいがこれまで一度も使われた事がないという。
朔夜の左右と後ろには十人余りの一族の鬼がおり、その中には朔夜の父である黒音もいる。そして朔夜の前には常に近付きがたい空気を身に纏った白鬼が一振りの太刀を手に先頭を歩いていた。先だって亡くなった宰鬼とは話をした事もあるが、白鬼が表に出てくる時は常にその隣には宰鬼がおり、白鬼とはこれまでまともに口をきいた事も無い。朝靄の中を鬼の群れがゆく光景はなんとも不可思議だ。殊に、
開け放たれた堂の入口は正面の一つきりであり、開閉出来る小さめの格子窓が左右の高いところについている以外は三方が壁といっていい。昨日のうちに堂内は塵一つなく磨きあげられ、奥が一段高くなっているほかは何もなくがらんとしている。
白鬼に続き二人の鬼が朔夜と共に中に入り、彼の着物を脱がせてゆく。そして更に二人の鬼が四隅に香炉を置くと火を入れた。
四人の鬼が無言で白鬼に頭を下げて退出し、外から戸が閉められると、朔夜は身につけていた着物を全て取り払われた格好で白鬼の前に一人残された。
奥の一段高い所に座って目を閉じている白鬼の傍らには一振りの太刀が置かれていた。それは、この堂と同じ時期に宰鬼の命によりこの日の為に鍛えられたものであり、一度使った後は二度と使われる事はないのだという。
堂内の四隅には香炉が置かれ、彼の意識を何やらぼんやりと霞ませる。こんな狭いところに四つも置いてどうなるというのだろう、香りが強過ぎる。
「さぞかし不安であろうな」
裸のままそこに平伏すべきかと思った時、白鬼が目を開け、言った。
「いえ……はい」
不安を感じているのだろうか。自分では良くわからない。
何が起きるのかは薄々判っているし、その事に対して己の体に不都合が無い事は既に手荒な「試し」で確認出来ている。
だが、そう、己が真実次代を継ぐ鬼として適正な器であるのかは、確かに不安であるかもしれない。何しろ、彼はまだ八つになったばかりなのだ。
目元に朱を入れてその血色の眼差しを強調した白鬼の化粧は、もちろん日頃はしないものであり、朔夜を落ち着かない気分にさせる。
「そのまま向こうを向け」
言われるままに朔夜は白鬼に背を向け、戸口の方に体を回す。
「両手を頭にのせて、ついでにその髪を上に上げて押さえておけ」
後ろで結んだ真っ直ぐな黒髪を上げ、朔夜は頭の上に手を置いて押さえた。
「そのまま動かずに立っておれ。口を開くでない」
舌を噛むとまずいのでな、という白鬼の言葉に、朔夜は口と一緒に目も閉じた。
空気はひやりと肌を撫で、目を閉じていると香が纏いついてくるかのように思われる。
背後で白鬼が立ち上がる気配。
微かな音に、彼が太刀を抜いたのが判った。
そして次の瞬間。
朔夜の身体を熱いとも冷たいとも言い難いものが通り抜けて行き、彼は床に崩れ落ちた。
どうやら、そのまま一瞬意識を失ったらしい。床に身体を打ちつけたことは覚えている。腕を上げていたことで頭までは打たなかったようだ。
「朔夜」
己を呼ぶ声に彼は薄く目を開けた。
視界に白鬼の顔がある。
「生きているな」
言わずもがなの確認をする白鬼に彼は薄く微笑む。
「はい」
身体が上手く動かせない。
辛うじて動く目だけで周囲を見渡すと、離れた所に肌色と赤いものがあった。血に濡れた肉の塊。
「痛むか」
朔夜は少し考え、それから「いいえ」と答えた。
意識が飛ぶ瞬間、床に倒れた時は痛かったような気もするが、今は既に痛みはない。代わりに何かじわじわとした熱と、身体のどこかが疼くような感覚があった。
「このまま眠れ、目が覚めればお前は元通りの朔夜だ」
香に混じる臭いは幼い彼でも判るもの。だが白鬼の手が彼の目を覆い、「眠れ」と言う白鬼の声が彼を眠りの淵に引きずり込んだ。
先程見えたものは何だったろう。薄れゆく意識の中で彼は考えた。
ああ、そうだ。知っていたはずではないか。あれは、白鬼の手によって断ち切られた、己の身体だ。
朔夜の意識はそのまま闇に落ちて行った。
堂内は香と血臭が混じりあった何とも言えない匂いが立ち込めている。そして、臓腑からの異臭。
高いところに無双窓があるが、それくらいではこの中の臭いを薄れさせる事は出来ない。
白鬼は腕の中で眠りについた朔夜の上半身を横たえた。小さなその身体はいかにして生き延びるか非常な速さで判断し、肋骨の下で上半身と下半身の二つに分断された切り口は、既にそこから血を流すのをやめていた。
切ってしばらくの間は傷口を合わせれば跡一つなく元通りになるが、今回はそれでは意味がない。
分かたれた上半身と下半身は引き合って元に戻らぬよう、白鬼の手によりすぐに堂内の右と左、離れた場所に置かれた。上半身の朔夜は眠らせたし、下半身の方はまだ意識を持たない。見守る白鬼一人の長い時間がこれから始まる。
「損な役回りよ」
白鬼は小さく笑い、床に置いた血刀から朔夜の血を拭うと鞘におさめた。彼の白い狩衣は朔夜の血に染まっている。白鬼ほど同族の血を浴びる機会の多い鬼は他にいない。
一つの身体を半分ずつ分かち合った二人の差異は既に存在しており、そしてこれからは二つの個体の相違はどんどん大きくなってゆく。
母の腹より生まれ出てから今までの記憶は共有する同じものだが、二つに分けられてからそれぞれの身体が完成するまでの時間と過程を知るのは上半身からなる一人のみだ。
分断され血にまみれた己の身体を見る事が出来るのも、将来宰鬼となるその半身のみなのだった。だがそれは彼にとってさして有益な記憶でもないだろう。半身が生まれるまで眠っておれば良い。
対して下半身からなる一人の方は、頭まで完成し目が開くまでは見る事が出来ないが、頭の形が出来てからその細部が完全に成るまでの短い時間を眠って過ごす事は出来ない。
それは将来白鬼となる半身が通らなければならないものだ。白鬼自身もかつてそうして生まれたのだった。
同じ一人の鬼から似て非なる二人の鬼をわざわざ作り出すこの手法は他の土地の鬼すら眉をひそめるが、彼らは古来よりその最も結び付きの強い兄弟の鬼二人で鬼どもをまとめてきたのだった。
一旦床に流れた血が、吸いよせられるようにゆっくりと傷口に戻ってゆく。出血は心の臓を有する上半身の方が下半身よりも著しく多い。
そして、やがて断面に薄い桃色の皮膚が出来た。
下半身の方も断面から溢れた臓腑が元通り身体に納まり、流れた血の幾分かを取り戻すと、傷口を肉色の皮膚が覆う。どちらも今のところ順調、と白鬼は元いた正面奥に座して二つの身体を見守り続けた。
双方の断面から少しずつ肉が盛り上がってゆく。
昨日の「試し」では指一本落としたのみなので再生にさほど時間はかからなかった。落とした指の方は肉を盛り上げ、掌まで形作ろうとしていたというが既に火に投じられ、滅せられている。そうすればもう再生はきかない。指一本からでももう一人を作る事は不可能ではないが、それでは時間がかかり過ぎるし二人の地位を同等とするには釣り合いが取れない。それはあくまでも試しである。
弟の
この堂の外は幾人もの鬼が闖入者の無いように守っている。次代の宰鬼と白鬼の誕生に邪魔の入らぬように。
そして勿論、中では白鬼が最終的に「二人」を守っているのだった。
堂に入ってから半日以上が経ち、日没もとうに過ぎて月が高く昇った頃には、二つの身体が完全な形に近付いてきていた。
朔夜の上半身からなったものは未だ眠りのうちにあり、下半身からなる方の身体はもう少し時間がかかりそうだが伸びた両腕の先は五本の指が苦しげに小さく蠢きながら本来の長さまで伸びようとしている。そしてその丸い頭には耳になりかけた二つの瘤と、まだ閉じたままの両眼、更に鼻と口がゆっくりと形作られつつあった。
もう少しか、と白鬼はそちらに注意を向ける。
再生のための小さな動き以外はなかったその身体の、離れたところにあるもう一人のものと全く同じように出来上がった腕が動いた。そして仰向けになっていた身体を回し、うつ伏せになるとそれは獣のように身を起こした。
「ウ……アア……」
両腕を前に伸ばし床に爪を立てると、引き絞るように身体を後ろに引く。その顔は下を向いたままだ。
「……」
見守る白鬼の目の前で、その頭から骨色の角が二本ずるずると皮膚を破って伸び、それから驚くべき早さでばさりと白髪が生え揃う。その髪はもう一人のものと色こそ違えど全く同じ長さと質を備えていた。
「あ、あ……」
先程よりもきちんと声が出るようになったらしいその鬼が、獣じみた体勢のまま顔をあげた。
白鬼はその一連の光景に魅せられたように彼を見つめていた。
彼自身もそうやって生まれたのだ、遠い昔に。それ以前に一人であった時の宰鬼と共有する記憶も勿論あるが、彼の白鬼としての肉体が生まれたのはその時だった。
乱れた白髪の奥で、たった今生まれ
白い睫毛に縁取られ、無から生まれた血色の瞳はぎらぎらとした力に満ちている。おそらくは彼自身自覚のないままに。
「良い眼だ」
白鬼は微笑んだ。
立ち上がり、白髪の小鬼に歩み寄ると彼はそこに片膝をついて目線を合わせた。
二対の赤い眼が互いを認め、白鬼は小鬼に声を掛ける。
「気分はどうだ。どこかおかしな所はないか」
黙ったまま彼はそこに座ると腕を上げ下げしたり首を回したりし、それから後に声が出せるか確かめるようにそっと答えた。
「はい」
視界に入る己の髪が白い以外は、といったところだろう。
「朔夜、お前はもう今から朔夜ではないのだよ。それは判るな」
曖昧に彼は頷く。
「朔夜の名はお前の片割れにくれてやれ。お前の兄になるのだからな。お前の名は……」
白鬼はしばし考えた。
白鬼というのは彼の本当の名ではない。白鬼以外の名で彼を呼ぶ者はいないが、彼には
「一人が月の無い朔の夜ならば、月を置こう」
彼は独りごち、そして、告げた。
「お前は今から
もっとも、その名で呼ばれる事は生涯ないかもしれぬがと白鬼は呟いた。
そして、白月よりも多少早く再生を終えていた朔夜の方にも問題がない事を見て取ると、掌を二度、打ち鳴らした。
一つ目の音で眠っていた朔夜が目覚め、二つ目の音で入口の戸が外から開かれた。
「終わったぞ。二人とも大事ない。二人の身体を清めた後、広間へ連れて来い」
白い狩衣に付いた生々しい血の跡もとうの昔に乾いている。白鬼は室内に入ってきた鬼が二人の小鬼をそれぞれ抱き抱えて連れ出すのを見送ると、血まみれの狩衣を脱ぎ捨てた。そして彼は朔夜の身体を斬った太刀を手に取ると自らも外へ出て行った。この堂は役目を終えて不要なものとなったため、後日焼き払われる事になる。
白鬼は異臭の染みついた着衣を改め、ほぼ一日振りに食事をとった。その後二人の小鬼が揃ったと呼ばれて母屋の黒紅の間に行くと、そこには死んだ宰鬼以外のまだ生きている白鬼の兄弟も含め、一族がずらりと揃っていた。宰鬼白鬼の血に連なる鬼が外界に出ている者以外は全員集まったようだ。他の家系の鬼へは明日以降二人を披露すれば良いが、ここに居並ぶ鬼どもは二人の朔夜が無事再生を終えるのを堂の外でじっと待っていた者達だ。
白鬼は正面に腰を下ろした。
白鬼が座る上座に向かって一番前、揃いの
「恙なく二人を分け、再生を終えましたこと、おめでとうございます」
白鬼の弟でありこの場にいる中で最も年嵩の鬼である、鬼瀝の挨拶に白鬼は鷹揚に頷いた。
「朔夜」
白鬼が呼ぶと二人が顔を上げる。白月は当然ながらまだこちらの名にも反応してしまうようだ。
「二人は次期の宰鬼と白鬼だが、その役目を継ぐには早い。それを名乗るのも早い。当面はこちらを──」
白鬼は元の朔夜と変わらぬ黒髪の小鬼を示した。
「黒童子、そしてこちらを白童子と名付ける」
そして白月と名付けた白髪の小鬼を示すと、二人は平伏した。
それは次の宰鬼と白鬼となるべき二人の鬼に与えられる呼び名であり、白鬼もかつてその名で呼ばれていた。これは白髪の新たな名を得た方の鬼の意識を、もう彼のものではない以前の名から引き離す役目も果たす。そして周囲の者には二人の鬼をこれまで見ていた小鬼ではなく、将来鬼どもをまとめる事になる一対の鬼として認識させる事になるのだ。
そして二人は向きを変え、背後に揃った鬼どもに向き直る。
「死んだ宰鬼と我の後を継ぐ者だ。皆そのつもりでな」
童子と鬼どもが頭を下げる。
まったく、これだけの人数の鬼と向かい合ったのはどれだけぶりだろう。白鬼は心の隅で思う。
宰鬼がいないので面倒な事を皆己が引き受けねばならない。こんなことは白鬼である自分には向いていないというのに。
「白童子は今後我と共に向こうの離れで生活する。白童子が一人前になるまでは白鬼の役目を果たすが、宰鬼の代わりと黒童子を宰鬼として導くのはお前と黒羽に任せる。相談事があれば鬼瀝に、それでも何か問題がある時は我に声を掛けろ。良いな」
黒音は宰鬼の長子であり朔夜の父、黒羽は宰鬼の三番目の子だ。二人居ればしばらくの間は宰鬼がおらずともどうにかなるだろう。
黒音に言い置いて、白鬼は白童子を連れて離れに向かった。
「今日はお前も休むが良い、疲れておろう」
これまで使われていなかった室の一つに白童子を連れて行くと、彼は言った。そこは白童子に与えられる事になった一室であり、既に女達の手で調度が整えられていた。
「お休みなさいませ」
律儀に平伏し、白鬼が立ち去るのを待とうとする白童子に白鬼は苦笑する。
「この離れでそこまで堅苦しく挨拶する必要はない。お前は次の白鬼だ。恐れるものは何も無い、この白鬼さえ。覚えておけ、我が死んだらこの里の鬼どもはお前が支配し、黒童子が操る事になるのだ」
目の前にいる小鬼は彼と同じ白髪に血の色の目をしていたが、その中身は未だ朔夜と全く同じものだった。今自分が死んでも、これまでの白鬼を見てきた息子達が白童子を導いてはくれるだろうが──黒童子を黒音と黒羽が導くように──もうしばらくは死ぬ訳にはいかないと思う。
寝所に入ると、白鬼は身を横たえた。
疲れた――
先に逝った方が楽だったな、と宰鬼をうらやみつつ、白鬼は目を閉じた。
そして現在。
黒童子と呼ばれた小鬼は宰鬼となって久しく、白童子と呼ばれた小鬼は白鬼となったが、後に一度封じられてつい最近蘇ったばかりだった。
「俺がいない間、新たな白鬼を作ろうとは思わなかったのか」
からかうように白鬼が尋ねる。
「自分と同じ記憶と性格を持った白鬼なんて御免だよ」
宰鬼は笑った。
早いうちに分けてこそ、他の兄弟よりも近く双生児よりも同じでありながら、異なる二つの役割を担う要の鬼となる。
彼が再び二つに分かれて新たに白鬼を作るのは無論不可能ではなかったが、御免被りたいのが正直なところだった。
「それにそんな事をしたら今頃君は、自分の不在を埋めていた、私に良く似た白鬼を自分の手で殺さなければならなかったよ」
白鬼は二人もいらないのだから。
宰鬼白鬼は並の方法では死なないため、今回の白鬼のように一時的に封じる以外は寿命を待つしかない。
それを殺すには白鬼と言えども苦労するはずだ。すぐには再生しないくらい微塵にして焼き尽くすか、食い尽くすかしなければならないだろう。
「その方が手っ取り早かったかもしれんな。そいつを食えば死んでいた間の記憶と知識を簡単に埋められる」
まんざら冗談でもなさそうな白鬼の口ぶりに、宰鬼はしばし沈黙する。背筋が薄ら寒くなるのを感じたからだったが、理性ではその言葉に素直に納得してもいた。
必要であれば己の兄弟であろうと一点の迷いもなく殺す、それが白鬼だ。その為にこそ白鬼は存在している。鬼族の白い闇。皮肉な事に一度殺された事で白鬼の闇はさらに深くなり、歴代の白鬼の誰よりも彼は白鬼だった。
白鬼なくして宰鬼はなく、逆もまた然り。
「俺がいなかった間生きていたお前は俺より早く死ぬぞ」
「もちろんそうだろうね」
白鬼の言葉を、彼は涼しい顔で受け止めた。白鬼の不在が長引けば長引いただけ、その事を考える時間が彼にはあった。そして答えは既に出ている、そこに帰結するしかない答えが。
「その時は、私の頭と心の臓を食らえばいい。そうすればこの色を君のものにして君が宰鬼になれる。そして白鬼を作れば君と同じだけ生きるだろう」
二つに分かれ生まれた鬼の一人が白髪に赤い目であるのは、それが頭と心臓を無いところから生み出す事と関係があると言われている。
過去に例がないので断言は出来ないかもしれないが、概ねそれは間違いではないだろうと宰鬼は思っている。伝聞では、首を切られた者はいないが宰鬼が腕一本落とされた時も白鬼が腕を引き千切られた時も、そこから生まれた鬼は白髪に赤い目であったと言う(そしてそれは当然のように白鬼が始末したと伝えられている)。彼らの代では、一族の小鬼が肘から先を落とされ、白い髪の小鬼が生まれた。その赤い瞳の鬼を殺したのはこの目の前にいる白鬼だ。
であるとすれば、半身である宰鬼の身体を取り込めば白鬼の髪も目も、おそらく本来の黒になるのだろう。頭を食らえばその記憶と知識も共に己のものとするので、一つに戻るのだと言い換える事すら出来なくはない。流石にそれを試した白鬼は過去にいないが、今のように極端に宰鬼と白鬼の寿命がずれた事がないのだから仕方がなかった。
白鬼が宰鬼に成った時鬼どもの中に訪れる混乱は、想像するのも恐ろしい気がしないでもないが──何しろ、限りなく白鬼に近い宰鬼はかつていたためしがない──こればかりはもう仕方がない。
「俺が宰鬼など、出来る筈がない。それにお前も言っただろう、今更同じ性格の片割れなんぞ御免だ」
不貞腐れたような白鬼の横顔を見やり、宰鬼は微笑む。
五百年近く封じられていた白鬼と、その間一人で鬼どもをまとめていた彼との残された時間の差は、今更埋められよう筈もない。宰鬼を白鬼と同じ方法で同じだけ封じたとすれば話は別だが、そのような事は全く意味がない。白鬼の寿命が長いのならば、その時には彼が宰鬼になるしかないのだ。本当は、考えたくないだけで白鬼にも良く判っている筈だった。
「あまり早く逝くな」
ぽつりと白鬼が呟いた。
「見れば判るだろう、心配しなくてもあと百年は生きてみせるよ」
彼の姿は白鬼とほとんど変わらず若いままだ。白鬼と同じ程には生きられなくとも、死を語るには早過ぎる。
ようやく白鬼が戻ってきたのだ。次代の宰鬼白鬼の事など考える事は無い。今はまだ。
「だからしばらくは、その事は忘れておいで」
宰鬼は柔らかに微笑んだ。
現宰鬼&白鬼の誕生話でした。
この話を書く前二人の名前をどうしようか考えていて、いっそ思いっきりベタに「刹那」とか「那由他」にしようかとも思ったのですが、あまりにもベタ過ぎて哀れなのでやめました。
「烏」の入った名前と「鷺」の入った名前で二人で「
最後の方の現代部分は、時系列的に「鬼面」と「外界の娘」の間あたりです。
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