カーラミア

 カドルの地。そこには砦があり、女戦士を構成の中心としたタリトマ族が住んでいた。
 一族の長は女。一族で最も強い、長い黒髪の女だ。
 その傍らには黒髪の女とオレンジ色の髪の女が見られる。緋色の鎧を纏い、剣を携えた女たちは常に称賛を浴びていた。
 タリトマ族に仕事を依頼する者達、彼女達の中で腕を磨こうとする者達、外部の者の目には戦士であろうと女らしさを捨ててはいない彼女らは戦女神のように美しく映った。
 しかし子を持ったその時、戦女神は聖母となる。

          Ψ

「あの方はどうして子供を産まないんだろう?」
 廊下を歩いていると、食堂でキアレックが話しているのが聞こえた。
 随分と、素朴な疑問だこと。
 足を止め、ドアの陰でカーラミアはふっと笑った。
 キアレックぐらいの歳だとあまりカーラミアの年代の者たちの過去の話は知らない。彼らが子供がいないのを疑問に思うくらいの歳の女は自分しかいない。
「キアは知らないのね。カーラは子供が産めないのよ。もう十何年も前、あんたが生まれるちょっと前にお腹に傷を負ってね。命は助かったけど、もう、子供は産めないの」
 そっと、カーラミアは腹部に手をやった。そこには大きな傷が残っている。この傷は、一生消えない。消すつもりはない。
「あんた、カーラに余計なこと言うんじゃないのよ」
「判ってるよ」
 心外そうにキアレックが応じる。この少年は族長の息子だ。彼女の一番大切な親友の息子。彼はこの、女戦士ばかりの一族の中の変わり種だった。
 ただでさえ男の生まれる数は少なく、そして生まれても大半が戦士としては使い物にならないのが普通の女系一族にあって数少ない、戦士として一族の中でやっていけるだけの才能を生まれながらに持った少年。もっとも、血筋を考えればそれも不思議はなかったけれど。
「でも、辛いだろうな、やっぱり」
 呟くような声にカーラミアは心臓を掴まれる思いがした。あの日彼女の叫びを聞いたのはキークトリアだ。今そこでキアレックと話しているサリアムでも、ましてやキアレックでもない。
「当たり前でしょ」
 辛い……辛い?
「辛くなんて……」
 カーラミアは呟いて右手で目を覆った。
 廊下の壁に寄り掛かって、左手を腹に置いて。
 あの日、身体中の血が流れ出てしまうのではないかというくらいの血を彼女は流した。自分の命さえ、捧げても彼女は構わないと思っていた、あの日。
(私の命でいいならあげるから……!)
(カーラ!)
 キークトリアにも随分と辛い選択をさせてしまったとは思っている。けれど、あの時カーラミアには自分の命よりも大切な物があったのだ。
(キアお願い、私はいいからこの子を……)
 彼女の中に息づいていた小さな命。
(この子を助けて!)
 自分の最初で最後の子供を守りたかった。
 何にかえても守りたかったのだ。
「カーラさん……?」
 通りかかった年若い後輩に声を掛けられてカーラミアは顔をあげた。
「どうかなさいました?」
 無邪気な顔で笑いかける。カーラミアは微笑んで彼女の肩に軽く触れた。
「いいえ、何でもないの」
 彼女にとって、一族の若い女戦士たちは妹も同然だった。あるいは子供たちと言うべきか。族長の片腕であり、一族をとりまとめる自分の態度がどれほど周囲に影響を及ぼすかも十分に承知している。取り乱すわけにはいかない。
 カーラミアは食堂に足を踏み入れた。
「お茶を貰える?」
 サリアムの隣に腰を掛けた。彼女は、カーラミアが一族の二番目とするならば、三番目にあたる。もう数十年共に族長の傍らでやってきた、これもまたカーラミアの大切なもの。
 サリアムがキアレックに手を振ると、彼は立ち上がって、カーラミアにお茶を用意しに行った。
「いたの」
 ばつが悪そうにサリアムが囁く。
「ええ。別に気にすることないわ」
 本当のことだもの。そっと呟く。
「どうぞ」
 目の前にカップが置かれた。カーラミアはちょっと目を上げ、微笑む。
「ありがと」
 戦士としてはまだまだ未熟なこの少年は、あまりにも一族の特徴が薄くて一見余所者にさえ見えかねない。
 明るい色の髪が多い中での黒髪。もっとも、カーラミアもキークトリアも黒髪だったが。顔立ちも一族のものとは微妙に違う。
 それでも彼もまた、カーラミアの可愛い子弟に違いはなかった。
「あの……」
「なに?」
「いえ……」
 口ごもるキアレックに彼女は笑った、心から。
「私の事はあんたが気にする必要ないわ、アレック。私は辛くはないから。これは本当よ」
 言葉を失う彼を前にカーラミアはお茶を飲み干し、立ち上がった。
「ごちそうさま。サリアム、キアどこにいるか知っている?」
「族長なら私室にいたわ」
「ありがと」
 今ではキークトリアをキアと呼ぶのは自分一人だ。今はもう、キアと呼ばれているのはキークトリアではなく、キアレックだった。それもまた、一つの時の流れではあるだろう。
 カーラミアはキークトリアの私室に向かった。


 あの場にいたのはキークトリアと医者代わりのまじない婆の二人だけ。放っておけば確実に自分も死ぬのを承知していて、それでも言いたいことだけ言ってカーラミアは意識を手放したのだった。
 長い間暗闇を彷徨っていた、それとも夢を見ていた気がする。
 目が覚めた時、子供は彼女の中から消えていた。
 そして彼女は生きていた。傷跡こそ残っているが、彼女は今でも生きている。
「私。入っていい?」
 キークトリアの部屋のドアを叩く。
「どうぞ」
 いらえがあった。ドアを開き、中に入る。
「どうしたの?」
「別に、特に用事はないんだけど……、仕事?」
 カーラミアは尋ねた。キークトリアは軽い革の鎧を着ようとしているところだったのだ。
「いいえ。依頼に誰かが来る予定ではあるけれどね。身体動かそうと思って。手伝ってくれる?」
「いいわよ」
 カーラミアは歩み寄り、鎧の紐を結ぶのを手伝ってやりながら言った。
「アレック知らなかったのね、私が子供産めないって事。サリアムと話してたわ」
 手を止め、キークトリアが彼女の顔を見る。カーラミアは紐を結びおえると、頷いた。
「私が聞いてたの知って困ってるみたいだったから、気にするなって言ってあげた」
 今はもう、子を得ることは出来ないけれど、自分は何一つ失った訳ではなかった。
「カーラ……」
 カーラミアはキークトリアを鏡の方に向かせると、長い黒髪を束ねて結んでやった。
「こんな感じ?」
「ええ、ありがとう。キアレックの成長はどう思う? カーラ」
「これ以上は望めないくらい、ってところかしらね。数年後が楽しみだわ」
 初めてキークトリアの顔に笑みが浮かんだ。
「ありがとう」
「私こそ。ねえ、キア」
 片手を彼女の肩に置いた。
 抱きしめたい、と思う。けれどきっとそうしたらキークトリアはもういいからと笑うだろう。
「何かあったら必ず私に言うのよ」
 ふっとキークトリアは微笑み、カーラミアの手に自分の手を重ねた。彼女の言葉の下に潜む、もっと大きな言葉を聞き取ったかのように。
「わかってるわ」
 一生彼女には頭が上がらないだろう。
 そう、思った。

END      





 えっと、一応ちょこっと話の背景を書くと、キークトリアの父親はアレクスのお祖父さんです。んでアレクスの父親よりもキークトリアは年上。結婚する前の子供だから。
 普通タリトマ族では妊婦は仕事しないで砦に残ってることになってるんですが、カーラミアは仕事で遠征してる時に妊娠してることが判ったので仕事は終わらせてから砦に戻ろうと思ってたんだけど、その仕事で傷を負わされて死にかけたんですね。
 わざとぼかして書いてある部分ありますが、続き(真相)を書く覚悟は出来ていません。
 カーラミアは黒髪で、身体張って生きてる強い人です。キークトリアも黒髪で、まあ似てるんだけど彼女の方が何つうか母性愛の強い人、かな。彼女は子供三人いるし。
 とにかく、綺麗で強い女の人が好きだなあ、私。
 可愛くて儚いよりも綺麗で強いほうがいい。
 もうちょっと成長すればライムも綺麗で強い女の人になりそうな気がするんですけどねー。


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