キアレック

「ねえ、もう少し気をつかって髪の毛整えなさいな」
 後ろで結んだキアレックの黒髪は、もちろん櫛は通っている。ただ、丁寧に切り揃えてはいない。
 別にこれで充分ではないかとキアレックは思う。
「いいんだよ、俺はがさつな傭兵で、お貴族様じゃないんだからよ」
 言い返された少女はちょっと傷ついた顔をした。
 彼女は非のうちどころもないくらい美しく装っていた。今日の午後には目的地である屋敷に着く。相手の男のためにキアレックと共に来た女戦士たちが今朝、いつこんなことを女は覚えるのだろうという腕前で飾りたてた姿だった。真珠を連ねた糸を編み込んだ長い金髪に縁取られた、近づきつつある運命に対する不安の浮かぶ顔も華奢な体つきもまだまだ幼い。
 黙り込んだユリアはキアレックと同い年だが、十六歳にして嫁いでいこうとしている。寿命が長く、そして自由を謳歌する暗域の者はそう早く結婚することはない。この度の婚儀は珍しいといってよかった。
(これは単なる人質だ)
 複雑な思いで彼はユリアを見つめる。彼女の警護に彼らを雇っているのは彼女の父親だ。彼女を無事に送り届けるのが彼らの仕事、だが実際のところ彼らを雇う必要があったとは思えない。おそらく箔を付けたかったのだろう。
 歳が近いから話し相手にと馬車の中に残されたキアレックは他の誰よりも早く仕事を終えて帰りたかった。
「悪かったよ」
 柄にもなく謝ってしまった。
 ユリアは小さく微笑んで首を振った。明るくしようと努める彼女の前向きな姿勢は好ましいものだった。キアレックの一族、タリトマ族において何よりも大切とされるのは強さだ。肉体的な強さ、精神的な強さ。ユリアは間違いなく心が強かった。
「あなたはどうしてあの人達と傭兵をやっているの?」
「だから、『あなた』はやめようぜ。キアでいいって」
 同い年でしかもこっちは雇われている身だ。あなたというのはふさわしくない。
「でも、カーラさんはアレックって呼んでたわ」
「俺をアレックって呼ぶのはあの人だけだ。みんなキアだよ。アレックがよけりゃそれでもいいけど」
 元々キアと呼ばれていたのはキアレックの母親だった。だが今母には別の呼称がある。だから彼がキアなのだ。その中で母の一番の友人であるカーラミアだけは今でも母をキアと呼んでいるので、彼のことはアレックと呼ぶのだった。
「じゃ、アレック。どうして?」
 カーラミア以外からアレックと呼ばれるのはどうも慣れない。だがどちらにしろ、今日限りだ。
「何が?」
「タリトマ族の男の人は外に出ていかないといけないんじゃないの?」
 ああ、と彼は思った。よくある誤解だ。女系のタリトマ族では極端に生まれる男の数が少ない。しかも、女戦士は数多く輩出する血筋でありながら、男性はあまり戦士向きの人材が生まれない。だからたまに男性が生まれても、ある程度成長すると一族の中に留まることを望まず、外に出ていってしまうのだ。少しは残る者もいるが彼らは戦う事はせず、女達の中で静かに暮らすのみだ。あまり目立つことはない。
 キアレックのような変わり種は数えるほどしかいなかった。戦士としての才能を授けてくれた両親に感謝するべきだろう。もっとも、タリトマ族のほとんどの例に漏れず彼は父親を知らないのであるが。
「別に出て行かなきゃいけないわけじゃない。俺みたいなのもたまにはいるさ。他には二人だな。あとの男はほとんど出ていったし、残ってるのは留守番と子供だ。あとはみんな女。タリトマ一族が女しかいないと言われるゆえんだな」
「女の人で出ていった人はいないの?」
「そりゃいるさ。俺の上の姉のようにどうしても戦士になれなかった、なりたくなかったのもいるし、いい腕をもちながら望まれて嫁いで行ったのもいる。たった一人の男を掴まえていたいと思ったら、出ていくしかないからな。一族の中に一族でない男を置くことは許されていないから」
 外の世界から強い血を求めることはするが、外の世界から人を求めることはない。一族の中にいるのは全て同じ血で繋がった者たちだった。
 それが当然の姿として古くから成り立って続いてきているということは、この一族の者はあまり人を愛することをしないのかもしれない。キアレックの姉弟は全員父親が違うようだし、それぞれの父親に母は執着していない。
「アレックのお母さんはカーラさん?」
「いや」
 なんで? と彼女を見返す。
「あなたとカーラさんだけだから、黒髪の人は」
 また「あなた」に戻っている。注意する気も起きずキアレックは諦めた。
 確かに、赤毛の多い中で黒髪の二人は目立つ。黒髪は珍しく、殆どが赤毛かオレンジ色の髪だったが、黒髪が二人だけという訳ではない。今回の同行者のなかでは二人だけだったというだけのことだ。
「違うよ。あの人には子供はいない。俺の母親は黒髪で、歳の離れた二人の姉はオレンジだ。オレンジ色と緋色の髪が多いけど、黒髪の父親の血が濃いと黒髪にもなるってことだな。たまに黒髪もいるし、茶色もいないわけじゃない。ま、多分そのお陰で俺は男でも戦士として通用してるんだろうから、感謝してるけどね」
「私の夫になる人は黒髪だって聞いたわ」
 呟いてユリアはキアレックの頬に手を伸ばした。前髪を少し持ち上げてとまどった彼の瞳を覗き込む。まるで同じ黒髪の彼女の将来の夫をその中に見ようとするかのように。初めて会う相手を愛することが出来るかどうか、自らの心に問いかけるように。
 彼女は相手の顔を知らない。向こうも彼女を見たことはないだろう、少なくとも生身の彼女自身は。
「でも俺ほどに若くはないだろうから、覚悟しておくんだな」
 冗談まじりに言ってやる。もっとも彼女の夫になるのは、彼女の父が人質として差し出した相手の義理の息子であるから年寄りではないだろうが。
「いじわるね」
「それに、この子ほどには子供じゃないから安心するんだね」
 窓の外から声が飛び込んできた。そしていくつかの女の笑い声。
 キアレックが混じっていることで、目的地に着くまでにユリアとの間に間違いが無いようにとの信頼のない依頼主の厳命で、馬車の窓は開け放たれている。だったら侍女も付けないユリアと馬車に二人きりにするなと彼としては言いたいが、そこは傭兵としての経験の少ない彼のこと、あまり仲間に信頼されていないため外には出されず、何かの時、最後の最後は体を張って彼女を守れとのありがたい命令を今回の護衛隊のリーダーであるカーラミアから頂いている。
「うるさいな!」
 キアレックは窓の外に向かって怒鳴った。
「でなきゃカーラもキアを外に出してるからね」
 そうだろうとも。ユリアの手前、声には出さずに胸の内で毒づいて、キアレックは腕を組んだ。
「あなたが子供なら、同い年の私は結婚できる歳なのかしらね?」
 笑みを含んだ問い掛けには紛れもなく彼女の本音が混じっていた。
 否定するのはあまりにも彼女に対して残酷な仕打ちだとキアレックは返事に詰まり、それからこう言った。
「俺は子供じゃない」
「あんたたちは二人共子供よ」
 馬車の戸が開かれ、器用にカーラミアが馬上から乗り移ってきた。
 キアレックよりいくつ年上かなど、考えるのも嫌になるくらい歳の離れた先輩であり母の親友、一族の中で二番目に強い女戦士。戦女神のように美しい女だ。
 長い綺麗な黒髪は動きやすいように編まれて背に垂れ、赤い軽い鎧には細かい傷がたくさん付いている。
「あんたにまだ一族の女が解禁にならないように、この子もまだ結婚なんてするべきじゃないのよ」
 キアレックは現時点では外で何をしても構わないが、一族の女には手を出してはいけないことになっている。釈然としないが彼にはどうしようもない。
 カーラミアはユリアの隣に座ると、離れなさいとキアレックを追い払った。別に俺から近づいたわけじゃねえや、と思いつつも不満げに彼は離れて座りなおした。
「でも私は準備が出来ているわ」
「出来ていないわよ」
 あっさりとカーラミアは言う。
「でも相手が息子のほうで良かったわね。キュビラックの息子なら知っているから、数年待つように説得してあげるわ」
 それなら一緒にいる間にお互い心構えが出来るでしょうと彼女は笑う。
「何で……」
「普段仕事にでない私が何故今回出てきたと思ってるの。キアに頼まれたからじゃないの。私なら彼を説得出来るからよ。キュビラックの義理の息子のカルディオは私の弟なの」
「結婚しなくても一緒に暮らすなら同じじゃないですか?」
「全然違うわよ」
 だからあんたは子供だっていうの。何か言うたびに墓穴を掘るのは嫌なのでキアレックは黙った。
「どうして?」
 ユリアは声をあげた。抑えていた不安が爆発したかのように。
「どうしてそんなことが言い切れるんですか。そんな、カーラさんの説得で気を変えるような人が、どうして私なんかを欲しがるんです。ありえない、そんな都合のいい話、私は信じない」
「あなたを欲しいのはカルディオではなくキュビラックだからよ。それにもし本当にそうなら、悪い話じゃないでしょ?」
 カーラミアは怒りもしなかった。
「それはそうだけど、でも」
「いいから、考えるのはよしなさい。もうちょっとで休憩するからね。お昼にしましょう。それからアレック、あんたは食べたら先に帰るのよ」
 それこそ寝耳に水というものだった。
「どうして!」
 立ち上がった拍子に馬車が揺れて、よろめいたキアレックは壁に手をついて体を支えた。
「女だけで来ましたって形にしたほうが印象がいいからよ。彼女のために我慢なさい」
 有無を言わさずカーラミアは言った。母のいない所、彼女の言葉は絶対服従の至上命令だ。通常ならばこんな襲われるかどうかも判らない軽い仕事で出てくる立場にいない彼女がキアレックのような若輩者とここにいる、それだけで彼はもっと小さくなっているべきなのだった。
 彼は唇を噛んで横を向き、それから服従のしるしに胸に拳を当てて頭を下げた。
 それを見て満足そうに微笑んだカーラミアは外に停止の命令を出し、キアレックの肩を軽く叩いて出ていった。多分彼女のいうことは間違ってはいないのだろう。それでも仕事を完了させずに隊から外れて引き返すのは、やり残しがあるようで少し気分が悪かった。こんな事なら最初から、今回の仕事には加えないでいてくれれば良かったのだ。何もせずに帰るのでは意味がない。
 馬車を降りて食事をしているとき、ユリアがつと寄ってきて尋ねた。
「一人で帰るのに食事どうするの?」
「別に、どうにでもなるさ。街に立ち寄ってもいいし、狩りをしてもいいし」
 一人で動くのは身軽でいいものだ。たまに一人になるときがキアレックは嫌いではない。
「気をつけてね」
「ああ」
「五日間ありがとう」
 彼女はキアレックの目には物珍しい金髪の頭を少し傾けて綺麗な笑顔を見せた。不安は消えていないのだろうに。多分何が待ち受けていようと彼女ならばうまくやっていけるだろう。彼女の心の強さを彼は高く評価していた。
「いえいえこちらこそ」
 ふざけたようにキアレックは言って、それから続けた。
「幸せになれよ」
「努力するわ」
 キアレックはカーラミアに挨拶して彼の代わりに馬車の中に入る女の馬を借りると、一人隊列を離れた。
 帰り道、ふと考えたのはカーラミアが自分の弟を知っているということは、当然父親が誰か知っているということで、珍しいなということだった。
 そういえば母のキークトリアも父親を知っているのだった。というよりも、母の父親は一族の誰もが知っている。傭兵や戦士を生業とする者はほとんどいないため決して武力の方面で抜きんでて目立っているわけではないが、伝統的に優れた能力を持つ者を生み出す古い一族、目端の利く者ならばその一族の根底に流れる戦士の血に気づかずにはおれぬ、クラリス一族。その血がキアレックにも流れている。タリトマ族と両方の血を引いたからこそ母は一族の族長にまでなったし、キアレックは男でありながら戦士として通用するのだ。父親を知らずとも祖父が誰かは彼は知っていた。
 もっとも、そちらの血のつながりを便りに連絡を取ることは出来ない。タリトマ族の子供はタリトマ族の女だけの子供であり、女が望むからこそ戦士がそれに応じたに過ぎず、責任も義務も男にはないし、男が望んでも養育権は与えられない。だからこそ一族は一時でも一族の砦の中に入れる男を厳しく選ぶのだ。そうすると、カーラミアが弟に会おうというのは、禁じられてはいないが多少慣習から外れたことだった。
(キアに頼まれたからじゃないの)
 母に。族長に。
 ただユリアを過ごし易くしてやるためだけに、母はカーラミアに頼んだのだろう。
「いいとこあるじゃないか」
 呟いて、キアレックは微笑んだ。
 早く帰って、母親に会おう。
 馬に鞭をあてたキアレックは、引き返さずに隊列とともに目的地に行き、さらにそこを過ぎて北へ向かえば祖父の孫が住んでいることを知らなかった。
 それはキークトリアとカーラミアしか知らない事実であり、決して二人はそれをキアレックに教えはしないだろう。キアレックはただ、女戦士たちの集うタリトマ族の砦へとまっすぐ馬を進めるのだった。

END      





 


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