男と女と戦士と砦

 ──また一人、出ていく。
「俺、砦を出るわ」
 キアレックがサイルの告白を聞いて浮かんだのは、そんな感慨だった。
 数少ない男がまた一人出て行く。
 戦士にならない者は必ず出て行かなければならないと定められているわけではない。戦士ではなく、大工仕事や鍛冶仕事を一手に引き受けて重宝されているタリトマ族の男もいる。しかし女戦士ばかりの砦で生きる道を見つけられなかったならば出て行くしかないのだと、判ってはいるけれど。
「そっか……」
 こころなしか沈んだ声で言ったキアレックに二つ年上のサイルは笑った。
「お前は大丈夫さ。ここで戦士として立派にやっていける。でも俺は判らないんだ、ここで何をすればいいのか。少なくとも戦士にはなれない。自分の才能くらい判ってる。だから、外を見てくる。するべきことを探しに」
 出て行くには遅いくらいだろ、むしろ。
 明るい声でサイルは言った。
「アイラルは何て?」
 キアレックはサイルの母の名を出した。
「別に。そんなもんさ、タリトマ族の女なんてな。でもひとつ収穫があったけど」
「何だよ」
「父親の名前」
「って……」
 目を見開いたキアレックを面白そうに眺めながら、サイルは判ったような口を利いた。
「要するに、結構わかってんだよな、言わないだけで。だいたいいくらなんでも心当たりあるだろう、自分の子供の父親が誰かくらいさ。別に親を訪ねていく気はないけど、もし会ったら顔ぐらい見てやれるだろ。見たからどうって事もないけどな」
 確かにそれは察しがついていた。彼女たちが父親の名を言わないのは、判らないからではない。現に父親が判っている者も幾人かいる。ただ父親には用がないからだ。男にしても、そのつながりを追ってこられては迷惑なだけだということも承知している。逆に、男から子供を渡せと言われてもタリトマ族の女は子供を渡すわけにはいかない。
 結局、いないものとして父親の存在は黙殺される。
 砦を出て行くのなら、何かの役に立つこともあろうかとサイルの母親は思ったのだろう。
「いつ行くんだ?」
「来週あたりかな」
「その前に一杯付き合えよ」
「望むところだ」
 約束を交わしてその場は別れた。
(父親、ねえ)
 考えたこともなかった、とキアレックは呟いた。


「サイルが出て行くそうですよ」
 外に出てキアレックの母、族長であるキークトリアの姿を見つけて近寄るとキアレックは言った。
「聞きました。その方が彼も幸せになれるでしょうね」
 それで、と先を促す。
「サイルは父親の名をアイラルから聞いたそうですが」
「何よ、聞きたいの、あんたも」
 キークトリアの態度がくだける。族長の仮面が落ちて、母親の顔になる。
「いや、別にそういう訳でも」
「ならいいけどね。聞きたいと言われても教えてあげられないから、私には」
「それってどういう……」
 軽く笑ってキークトリアは訓練場に出た。
「言葉の通りよ」
 剣を抜く。黒光りした、一族では彼女だけが持っている黒い魔剣。切っ先をキアレックに向けた。
 キアレックも剣を抜いた。
「私には判らないの」
 彼女の剣は稽古といえどもいつも容赦がない。真剣にやらなければ怪我をするばかりだ。
「それってあんまり」
 無責任、と言おうとした途端、刃が迫ってくる。油断も隙もない。
「いい女と言いなさい」
 その太刀筋とは裏腹な、もてる女は辛いとでも言いたげな笑み。
「はいはい」
 とりあえず、今日のところは珍しく族長の指南を受けられて幸運だった、と思うしかなさそうだった。


 キークトリアに一礼して訓練場を出ると、声を掛けられた。
「よう、キアレック」
 見ると、訓練場の入口の芝生に座って様子を眺めていたのは食客のバウルだった。
 彼はタリトマ族ではない。外の男だ。もう一月近く砦にいる。なかなか腕も立つので女たちの評判もいい。
「こんにちは。入らないんですか?」
「ああ、いいんだ。何だ、お前けっこうやるんじゃないか」
 タリトマ族の男は使い物にならないって聞いてたが。
 キアレックは苦笑した。
「たまには変わり種もいますよ。まだまだ未熟者だって言われますけどね」
「はは、違いない。でもその歳であれだけやれりゃタリトマ族の戦士とてやっていけんじゃないの」
 期せずして、同じ日に二人から同じ事を言われてしまった。
「よっぽど族長が強い男を選んだんだな」
「そうですかね」
「判らない」と言い切るような母親なんだけれど、とは言わなかった。そこまで部外者に言ってやる必要もあるまい。
「俺程度じゃ嫌らしいからな、あの方は」
「え?」
 聞き返すと、バウルは笑った。
「族長が俺の部屋に来たことはないってこと」
「もうこれ以上子供を生むつもりはないと思いますよ、あの人は」
 三人生めば充分よ、と前に彼女が言っていたのを聞いたことがある。確かにタリトマ族の女戦士は自分と同程度以上の強さを持つ男を好む。とはいえ、気に入れば相手の強さなどどうでも良くなってしまうのも本当の事で、彼女たちは己の本能と感情のままに生きているとさえ言える。
 それはさておき、ちょっと興味がわいたので聞いてみた。
「もう結構砦に居ついてますよね。あんたの子供が欲しいって何人くらい来ました?」
「さてねえ」
 上の空で首筋を掻いた後、にやりと彼は笑った。
「ここはいい所だな! キアレック」
 それで全てわかった気がした。キアレックは苦笑する。
 強くて、そしてこういういかにもさばさばした男こそ、タリトマ族の女にとって理想的な男だ。ほれぼれするような筋肉の付いた体つきと、鋭い野性の獣の目を持った戦うために生まれた男。
「昼間はいかにもきびきびした戦士って顔をしてるのに、やっぱり女なんだなって思うよ。面白いよな、タリトマ族ってのは」
「それでずるずる居ついちゃった訳ですか?」
「まあな、俺みたいな男には居心地がいいよ、ここは」
 実力が全てを決めてしまいかねないこの砦の空気を居心地がいいと言えるのは、バウルが外の男で、そして充分な実力を持っているからだ。サイルは多分そうは言わないだろう。
「でもそろそろ潮時だとは思ってるけどな」
「出て行くんですね」
「ああ。俺は流れ者だし、ひとところにずっといるのも性に合わないしな」
 いい経験させてもらったよ、とバウルは言った。
「飯食わせてもらったし、俺より強い女がいるってのも新鮮な感じがしたね。俺も修行が足りないさ。もっと気張らないとな」
 そう、確かどの程度の実力があるのか彼が来た最初の頃に見た時、彼はかなり上位の実力の女戦士と互角に渡り合ったのだった。
「あれからサリアムには勝てたんですか?」
「結局一度も勝てなかった。結構傷ついたぜ」
 サリアムは砦で三番目の実力者だ。そうそう勝てる相手ではない。タリトマ族では強い者が頂点に登りつめる。要するに、一族で最も強いのは族長であるキークトリア、その次に強いのはカーラミア、その次がサリアムだ。この三人の位置はもう数十年変わっていない。
「何年かしたらまた再挑戦しに立ち寄るかもしれないから、お前もそれまでにもっと成長しとけよ」
 軽くキアレックの頭を小突いてバウルは笑った。
「お前がいつか男の身でタリトマ族の族長にまでなったら、この砦にも新しい時代が来るかもしれないな」
 プレッシャーになるようなことを言ってバウルは立ち去った。バウルとサイルが途中まで同道するのを聞いたのは、後のことだった。


「じゃあ、元気で」
「たまには連絡寄越せよ」
 サイルとバウルを砦の門まで見送りに出たキアレックは、サイルと固い握手を交わした。
「頑張れよ」
「お前もな」
 その上から、バウルの手が二人の手を包んだ。
「期待してるぜ」
「努力しますよ」
 まだまだ先は見えないけれど、キアレックはバウルに笑いかけた。
「お待ちしてますよ、また砦に来てくれるのを」
「ああ、じゃあな」
 二人が見えなくなってからキアレックが踵を返すと、憤然としたサリアムとそれを宥めるカーラミアが見えた。
 どうやら、バウルに対して怒っているらしい。
「どうかしましたか?」
「あいつ、最後の最後に私から一本取って勝ち逃げしたのよ。もう時間がないなんて言って、信じられない」
 腹を立てているサリアムには悪いが、キアレックは今頃心の中で舌を出しているだろうバウルの事を思っておかしくなった。実力はまだサリアムの方が上とはいえ、一度でも勝ったことで溜飲を下げているに違いない。
「あんたが油断するからいけないのよ。アレック、気にしないで行っていいわよ」
「はあ…」
 こちらも面白がっているとしか思えないカーラミアに言われてキアレックはその場を後にした。
 こうして入れ代わり外からも人が来るし、出ていく者もいる。それぞれが違った風景を砦に残していく。
 結構、面白いんだよなあ。
 閉鎖的と外からは思われているタリトマ族の砦も、中に入ればそうでもないことがわかる。色々なドラマが見られて面白い。サイルのように砦を出ようとは決して思わないだろう自分をキアレックは知っていた。
(お前がいつか男の身でタリトマ族の族長にまでなったら、この砦にも新しい時代が来るかもしれないな)
 族長とまでは言わずともまあ頑張ってみるか、と彼は微笑んで一つ伸びをした。

END      






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