旅の夢

 特殊な繊維から出来ている、紙に似た小型のスクリーン上に次々と文字が並んでいく。
「えーっと、そうだな、次はやっぱりサブマスターか。どうせ使うのはアグラムだが……何かあった時あれの言うこと以外は耳も貸さないんじゃ困るしな」
 初老の男は滑らかな手つきでキーを叩く。
 それに合わせ、彼の手元近くにある入力確認用のスクリーンには再び文字が浮かび上がっていく。
 ここはこの家のメインルームだ。
 男はやがて作業を終えると、傍らに立っていた青年に言った。
「用意ができたので明日、運んでくれるように連絡しておいてくれ」
 黒髪の青年は軽く頭を下げた。
「了解しました、マスター」
 その頭には象牙色の一本の角が生えていたが、それを気にする者は誰もなかった。


 誰か来ているらしい、と思っていたらアグラムはじきに父親に呼ばれた。
「はいはい、今いきますよ」
 かりこりと暗赤色の髪をかきながらアグラムは立ち上がった。
 どうせ、科学歴史考古学者の父が呼ぶ用事と言ったら、「発掘に行くから留守を頼む」だの、「資料の整理を手伝え」だのとろくなことはないのだが、放っておくとますますうるさくなるのでこちらの用でもないかぎりなるべく言うことはきくようにしている。
 わがままな親を持った子供の、自然に身についた知恵であった。
「……何、その棺桶」
 アグラムの第一声に、長ったらしい肩書を持つ父親はずるりとすべった。
「ど、こ、が、棺桶だ! どこでそういう言葉を覚えるんだ、おまえは」
「え、だって人口の激減し始めた三五〇年ぐらい前から、一部の地域でまた火葬をやめて棺桶入れて土葬にしだしたって記憶してるけど。親父が言ったんだぜ」
 長細い金属の箱の中に人が横たわって入ってるのを見れば、しょっちゅう家の中にどこかから古臭い資料を運び込む父親に育てられれば誰でもそう考える筈だ。
「それは合ってるが、そこまで覚えたのならそれに冷凍設備がついていなかった事も覚えておいてくれ。もしこれが棺桶なら、中身はミイラか骨だけだ」
 我が息子ながら情け無い。こんなことも知らんとは。嘆く父親を尻目に、アグラムは金属の箱の上部、ガラスになっている部分から中を覗いた。
「あ、なんだ新しいアシスタントか」
 ようやく納得がいく。中に入っていたのは人間ではなかった。大体は人間に良く似ている。しかし人間にはありえない薄紫色の髪、そして何よりも額の上、象牙色をした一本の角が、それが人間ではないことを示していた。
 現在家にいるアシスタントはアグラムが生まれる前からいるので、アシスタントがどのような梱包で購入した家庭に届くのか、彼は見た事がない。なるほど、こうやって届くのかと彼はなんとなく感心する。
「ふーん、ようやく増やすことにしたんだ、アシスタント。いいんじゃない、俺も楽になるよ」
 彼の言葉に父親は一瞬何か言いたげな顔をしたが、ガラスの蓋を開けた。
「起きなさい、ええと? Χカイ7882−36型・675号」
 説明書──といっても書いてあるのはメーカーの連絡先と整理番号ぐらいだが──を見ながら彼は言った。
 閉じていた目がゆっくりと開く。濃い紫色。今の今までただの物体であった人形ひとがたに、命の宿る瞬間。アグラムは止まっていたロボットが動き始めるところを初めて見た。
「Χ7882−36型・675号です。あなたがマスターですか」
 当然、頷くものと思っていた。だが彼は意表をついた答えをそれに返した。
「いや、わたしはサブマスターだ。マスターはこっち、わたしの息子だ」
「はぁ!?」
 思いも寄らぬ言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「なんだ、何か不満か?」
 ぶんぶんとかぶりを振る。
「ありがたく、ちょうだい致します! でも、いいの?」
「おまえも一人前だからな」
 気味が悪いくらい、ラッキーだ。
 起き上がり、箱の中から出ていたΧ7882−36型・675号は軽くアグラムに頭を下げた。
「よろしくお願いします。初期データは出来ていますか? 簡単な事だけ分かれば充分ですが」
「──?」
 アグラムは父親を見た。どうせなら女性型のロボットの方が見ていて楽しかったなあ、という感想は、臍を曲げられてやっぱり自分のにしよう、と言われるのを恐れて口に出すことはできなかった。
「そこに呼び出してある」
 彼は部屋の端を示した。そこには通常は格納されている入力用のテーブルが小型スクリーンと共に現れていた。
「失礼します」
 Χ7882−36型・675号は、そこに歩み寄り、人間の使用する入力用キーボードの脇にあるガラスのパネルに手を置いた。アシスタントはデータの入出力をこのように直接やりとりするのだ。そしてデータを読み取りにかかる。
 それを後ろで眺めながら、アグラムは父親に訊ねた。
「……なあ、あれほんとにくれんの?」
「疑い深い奴だな。名前をつけろよ、いつまでもあのやたら長いメーカーの整理番号で呼ばされるのはかなわん」
「ああ」
 なんとなく、嘘のような心持ちでアグラムは頷いた。目の前では、彼の物となったロボットがデータの読み込みを終えつつあった。
 Χ7882−36型・675号はパネルから手を離し、アグラムに向き直った。
「マスター・アグラム=デュイ、登録しました。私は整理番号Χ7882−36型・675号、今からあなたのアシスタントです。もしよろしければこのケースはメーカーに返却してください」
「──命令したら、お前がやってくれるのか?」
 自分のものだという実感があまりにも薄く、扱い方も良く判らないままアグラムはそれに聞いた。
「はい。それが私の役目ですから」
 当然の事への、躊躇のない即答。わずかに実感が出て来たような気がする。
「じゃあ、それが最初の命令だ。その間に俺はお前の名前を考える」
「了解しました、マスター」
 四七〇年前までは大きな家庭用コンピューターが行っていた仕事の大部分を、人間の大きさまで小さくした人型コンピューター「アシスタント」は片づけてくれる。家庭用の三文字は便宜上ついているが、ほとんどまったくと言っていいくらい、オールマイティーである。
「それでだな、ものは相談だが……」
 部屋を移すと、珍しくアシスタントに頼まずに自らコーヒーを入れてくれながら父は言った。
(そらきた)
 アグラムは身構えた。これだけのことを突然してくれるからには、何か余程面倒なことをさせようと企んでいるに決まっている。それを見て取ったか、父は片眉を上げた。
「なんだ?」
 アグラムはやれやれと肩をすくめる。
「いや、別に。聞きますよ」
「そうか? おまえ、旅に出たいそうだな」
 ぴく、と一瞬間の反応。ああ、ばれた。
 アグラムは嘆息した。これはまだ、父の耳には入れたくなかった。
 数十秒の気まずい沈黙が二人の間に流れた。
「──誰が、言ったの?」
 先に口を開いたのはアグラムだった。
「それはどうでもいい事じゃないか? どうなんだ、アグラム」
「……そうだよ、俺は外に出たいんだ」
 ほんの少しの間でいい、窮屈なこの都市まちから開放されたい。
「今すぐなんて言ってないだろ。もっと大人になって、自分に責任が持てるようになったら、少しの間でいいから、外を見て回ってみたいんだ。だからその時だけでいいから……!」
 吐き出される、封じられた思い。外に出れば、何かが見つかるような気がする。今のままでは、何も見えない。
「別に責任なんぞ取れなくていいから、今すぐ行く気はないのか」
「──え?」
 アグラムは絶句した。
「どうなんだ」
 当惑、不信、僅かな期待をない交ぜにした表情でアグラムは逡巡したのち、首を縦に振った。
「そりゃあ、もちろん──」
「なら、行け。ついでに、カドゥルに寄ってくれ」
「……げ」
 カドゥルといったら、空珠の反対側だ。それはどうでもいいが、確か何もないつまらない所だとか。何もない、という言葉は、考古学者には宝の山と聞こえるらしい。
「『げ』とはなんだ、『げ』とは。カドゥルに行ったらサジルという男を探して、あるものを渡してほしいんだ」
 単なる人探し──。アグラムはほっとした。自分の代わりにいって何かの発掘でもさせられるかと思ったのだ。仕事以外で発掘などするくらいなら、人探しのほうがよっぽどましだ。
「いいよ、わかった」
 愛想良く笑って頷く。こうして親子の交換条件は、めでたく成立したのだった。


「マスター、何か?」
 部屋に入ってきた彼のアシスタントにアグラムは言い渡した。
「お前の名前は今からエピドラだ。あと、五日後にここを発つからな」
「わかりました。どちらへ行くのですか?」
「どこでもいい。俺はあちこちを回りたいんだ。途中でカドゥルに寄るって事以外、何も決まってない。ああ、カドゥルに行ったらサジルという男を探すから、それを覚えといてくれ」
「了解しました、マスター」
 アシスタントは、いつだって出来る限りの忠誠をマスターに注いでくれる。そんな常識がアグラムにはなぜかとても新鮮に感じられ、うれしかった。金で買える忠誠、それでもアグラムは今まで自分に対するそれを手にしたことはなかったのだから。
「エピドラ」
 用もないのに、呼んでみたりして。
「何でしょう?」
 すぐに戻ってくる問い掛けに、照れた笑いを浮かべる。
「いや……用はないんだけど、なんか、うれしくてさ」
「何がでしょうか?」
 首を傾けてアグラムの次の言葉を待つ、エピドラ。
「お前が、俺のもんだって事がだよ。お前、自分がどれだけ高いか分かってるか?」
「一四七五ドムというのは、高いんですか?」
 無邪気に聞き返したエピドラに、アグラムはがっくりと肩を落とす。
「高いも高くないも、一四七五ドムっつったら親父の収入でこそ一か月分だけど、おれの収入にして一年分弱──」
 そこまで言ってアグラムは口をつぐんだ。あの父親がぽんと出してくれる額ではありえない。良く考えれば、すぐに分かったこと。
「不安だ……絶対なんかある」
 すっかり疑い深く育ってしまったアグラムは、なんとなく落ち込んでしまった。
「大丈夫ですよ。何かあるにしても、私を連れて行かせざるを得ないからサブマスターは私をマスターに買い与えたのでしょう。でしたら、私がいれば何とかなるのではないでしょうか?」
「だといいけどな」
 大きな溜息をついて、アグラムはソファに深々と腰掛けた。
「一つ、お聞きしてよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「なぜ、旅に出たいのですか?」
 アグラムは傍らに立つエピドラを見上げた。
「何でそんなことを聞くんだ?」
「まだデータ不足ですから、マスターの考えも行動も読めませんから。その方がお手伝いしやすいですし」
 薄い紫色の髪がさらりと揺れて、エピドラの微笑を縁取る。象牙色の一本角がそれに映えて、太古の伝説の妖精を思わせた。
 アシスタントがまず最初に与えられるデータは、必要最小限のものだ。マスターの性別、特徴、職業に能力などの一般的なもの。後は少しずつ、学習していく。性格診断のようなものをやってデータとして蓄積する事もあるが、アグラムはまだやっていない。おそらくサブマスターである父親のデータは、彼のアシスタントの持つデータからのコピーが可能なのである程度は入っているのだろうが。
 アシスタントの理解は、エピドラだけの問題でなく、マスターであるアグラムにも重要な事だった。
「そうだな……親父は旅が俺のやりたい事だと思ってるだろうけど、俺は旅のための旅をしたいんじゃない。俺がやりたいのはそんな事じゃない。俺がやりたいのは──」
「……」
 エピドラは黙ってアグラムの次の言葉を待っていた。
「やりたい事を、見つけること……」
 今の仕事は腰掛け的なものであって、生涯の仕事には成りえないし、そうしたくもない。本当に自分の生涯を捧げられるもの、それさえわかれば、別にそれが金にならないことでも良かった。それならば副業として今の仕事をしても構わないのだ。自分の気持ちをはっきり見きわめたい、そのために外の世界に出ていきたいのだ。
 エピドラはやはり黙って、そして了解のしるしに軽く目を伏せて頷いた。


 五日後、カートに食料やその他の必要な荷物、父から預かった何やら怪しげな箱を詰め込んだアグラムは、エピドラと共に旅立ったのだった。
 この都市ともしばらくのあいだお別れとなる。彼が生まれ、そして育ち、今まで一歩も外に出たことのない閉じられた世界。けれど大部分の人間は一生涯、生まれた街から一歩も外に出ないまま死んでゆくのだ。だからこれはまたとないチャンス。堪能しなければ損をする。
 有能で忠実なアシスタントを道連れに、アグラムの心は晴れやかだった。


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