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     鳥の夢

「マスター」
 色褪せた絵画や欠損して不完全な彫刻、数々の古代美術品をゆっくりと見ながら歩くアグラムの背に、呆れ返ったエピドラの声がかぶさる。
「家にいない間ぐらい、歴史から頭を離したらどうですか? 何のために都市を出たんです。毎日毎日、博物館と美術館を見て回るためなんですか、マスター?」
「……お前もうるさいなあ。毎日って、ここ来てまだ二日目だろ。それに昨日は資料館一つ行っただけじゃないか」
 不快気にアグラムは口をとがらせた。タイリスというこの市は、彼の住んでいる都市と比べるとはるかに自然が多く、見ていて気持ちがいいのでもうしばらく滞在したくなる所だ。
「あれ?」
 エピドラを無視し、アグラムはつきあたりに飾られた一枚の絵画に目をとめた。
「何だ、これ。鳥……違うな、人面鳥か?」
 黒い翼を背に生やした、血まみれの剣を持った人間。幻想的に仕上げた絵だ。
「珍しいですね。伝説の妖精をモチーフにしたのは」
「エルフ? これがエルフか?」
 アグラムはじっくりとそれを見直した。淡い色で描いたたくさんの人々の真ん中に立った、黒と赤に彩られた妖精、そしてその足元に倒れている女。四百年程前の作で、タイトルは「エルフの裁き」。
「妖精に鳥の翼があるとは知らなかったな。角があんのは知ってたけど」
 アグラムは記憶を探った。二本の角を生やした、伝説の救国の妖精、それぐらいしか彼は知らない。また、いるはずのない物を学ぶのは性に合わない。
「黒き翼持つエルフ舞い降りたり、ですよ。三千五百年から四千年位前この地にあったダイルという国、その国に危機が訪れた時、黒い翼を持つ妖精が人であって人でない助け手を連れて現れ、国を救うという伝説があったんですね。けれどダイルが滅ぼされた時妖精は現れなかった。それでも滅ぼした方はいつ妖精が復讐にくるかと恐れ、神殿を造ってそれを祭り、怒りを鎮めようとしました。その国でエルフは神になったんです」
 アグラムはもう一度絵を見た。神、というイメージではない。もっと禍々しい、血ぬられた生き物──救国の妖精? 反逆者に無慈悲に下される恐ろしい死の裁き。だが、伝説は伝説でしかない。ましてや復讐になど決して来ることはない。
「でも、この絵は神じゃないだろ」
「だから珍しいんですよ。それから海の向こうでエルフは翼と角がなくなって、黒い鳥に乗り兜をかぶった姿であらわされる復讐の神エルハとなります。それは有名な壁画が残っていますが」
「ああ、あれね」
 うんざりしてアグラムは呟いた。それなら父の資料室で映像を見たことがある。なんでもその映像がデジタル化される前のオリジナルがかなり古いものだとかで、現在見られる壁画よりも良い状態の時のものが映っているらしく、狂喜した父の姿が子供心に不気味だった。アグラムにしてみれば画面は悪いし音は雑音だらけで聞き取りにくいしで、何が嬉しいのか少しもわからなかったのだが。
「お前、詳しいな」
 そういうと、エピドラは肩をすくめた。
「アシスタントの基本データに入ってますから、よっぽど古いタイプの物でなければ皆知っています」
(便利な奴……)
 アグラムはくっくっと笑ってエピドラを見た。
「……?」
 家に帰ったら代金を払えなどと言われるのではないかという不吉な予感もあるにはあるが、アシスタントというのはひょっとしてもの凄く便利なものかもしれない。
「お前、いい奴だな」
 くすくす笑いながらエピドラに言ったが、彼には訳が判らなかったらしかった。
「鳥が見たいんだよ!」
 次に進もうと階段を上ると、高い子供の声が聞こえてきた。幼い少年の声。
 妙な事を言っている、そうアグラムは思った。タイリスには鳥がいるはずだ。一時絶滅しかけたが今は世界で最も鳥の多い土地になっている。
「お願いです、マスター。そう無理を言わないで下さい」
 心底困ったような女性の声が少年の声に答えた。
 階段を上りきったそこには、広い部屋がひとつあるきりだった。時代もののドラマででもなければ普通はまず見られないような、機械臭さの残るとてつもなく古風な部屋。
「……パートナー」
 エピドラがアグラムの隣で呟いた。
 部屋にあったのはまず真っ先に目に入るのが巨大なコンピューターだった。壁を一面埋めつくし、床の四分の一の面積を使っている。そして、反対側の壁は少し下向きになった大きなディスプレイが上部四分の三を占め、下は幾つかのボタンがあって、テーブルも兼ねているようだった。
 そして、そのディスプレイの前に女が一人立っていた。
「マスター……」
 悲しそうに女はディスプレイに映った茶色い髪の小さな少年を見つめた。
「ねえ、サーラ、鳥はどこにもいないの? そんなことないよね? 鳥が見たいんだよ。空を飛べるんだよね。どこにでも行けるよ。鳥はみんな空珠から出て行っちゃったの?」
 宇宙へ、宇宙へ──
 そんなことはありえない事だと、アグラムは良く知っていた。当然のことだ。けれど、それはなんと美しくもの悲しい想像だったろう。蒼い宇宙へと群れを成してはばたいていく鳥の姿が目に映る気がした。この子供、おそらくはもうとうの昔に死んでいるであろう少年の表情があまりにも純粋で、アグラムはなんとなく心が痛かった。
「ようこそ。このフロアの案内人です」
 見ると、そこには男性型のアシスタントが一機立っていた。
「案内人?」
 案内もなにも、ここには大昔のコンピューターが一つあるだけではないか──一瞬そう思った。
「見るだけではこの意味がおわかりにならないでしょうから、ご説明いたします。ここにあるのは五五〇年前のパートナーで、名前はサーラ。マスターはあれに映っている少年で、飛来伝染病で十一歳の時に亡くなりました」
 幼い顔は、十一歳にはとても見えない。これは、何歳の映像だろう。しかし、この歳でマスター?
「パートナーってのは、家族で共有したんだろ、昔は」
 アグラムはエピドラに尋ねた。
「そうですね。本体が一つでも、それが必要なだけ付属ロボットを作ってくれますから、いくつも持っていても財産とスペースの無駄使いですが、必ずしもそうとは限らなかったようです」
 昔の人間の考える事なんて私には判りませんよ、とエピドラはこう結んだ。
「両親が外国に行っているときに彼は飛来伝染病にかかってしまいました。そのため両親は家に帰って来ることが出来なくなってしまい、他の地に居を構えてパートナーを購入したのでサーラのマスターは彼だけなんです」
 案内人は言った。
 画面の中の少年は色が白く、確かに健康そうには見えなかった。飛来伝染病──宇宙船の乗組員が宇宙から知らずに運んできた、死亡率99%の致命的な伝染病。宇宙から来たものだからまとめて飛来伝染病と言われた。空気感染するものはごく少なかったが、軽く触れるだけでも伝染するものがほとんどを占めた。今ではたった一か所、宇宙病理研究所の冷凍保管室にのみ、最後のウイルスのサンプルが残されているだけだが、その当時は世界中を恐慌に陥れたものだった。機械には伝染の心配がなかったから、全ての世話はパートナーに任された、とこういう訳か。
 ふむふむとアグラムが聞いていると、エピドラが口を開いた。
「それで、このパートナーが資料としてここにいるのは何故なんですか?」
「それは、彼女がタイリスの自然を呼び戻したからです」
(鳥が見たいよ、サーラ)
(サーラ)
(ごめんなさい、マスター)
(鳥はいません)
 どんなに彼女の主人が望んでも、彼女自身が望んでも、叶えられない望み。
「マスターの望みは出来る限り叶えるように作られているパートナーですが、サーラはマスターの最後の望みを叶えることが出来なかったのです。当時、タイリスの自然環境は最悪でした。鳥はおろか、生物がことごとく絶滅の危機に瀕していました。サーラはマスターの死後、知識と行動力の全てを鳥の住める環境作りに捧げたんです」
 血を吐くような祈りも──それが人間ではないものの祈りだとしても、その心は紛れもない本物の心、真実の祈り──それでも、奇跡は起こせない、努力なしでは叶えられない。
「けれど見る側はともかく、今でも資料としてこのような所で目的もなく留まっていても、彼女には何にもならないでしょう」
 エピドラは納得できないようだ。アグラムはサーラ──ロボットの方の──に目を移した。
 自分の思いの中に沈み込むかのようにただ、記憶の中のマスターを見つめ続ける。役目を果たし終えたなら、次のマスターを見つければ良かったのだ。
「彼女がそれを望みました。……望んだのだそうです」
「しかし」
 言い掛けたエピドラを、案内人は遮った。
「あなたは幸せですね」
 突然の、話題の転換──に、思えた。
「どういう、意味ですか?」
「失礼ですが、目覚めてどれくらいになりますか?」
「──二十六日です。それが何か」
 エピドラにとってはおそらく、屈辱的な回答。経験の足りない若輩者だという、動かしようのない事実。
「我々は人間に比べて、悲しみを感じる事がとても少ない。わかりますか、多分あなたはまだ知らないでしょう。マスターに拒絶された時、マスターが傷付く時、マスターが悲しんでいる時が我々の悲しむ時のほとんどです。自分のことで悲しむ事はあまりない。だから、コンピューターは悲しむ事に慣れていないのです。ほとんど知らないと言ってもいい。そんなものがマスターに死なれたら、どうなると思います?」
 大き過ぎる悲しみが免疫のない心の中にふくれあがる。アグラムはわかる気がした。大事な人を失ったことなどないけれど、想像はできる。まだ知識でしかわからないエピドラ、悲しみという経験のない彼にはわからないかもしれないが。
「サーラは次のマスターに仕えることを拒否し、当時のここの館長の勧めに応じて資料となったのです」
「エピドラ、もういいだろう」
「……はい。申し訳ありません」
 エピドラはやはり、よくわかってはいないようだった。
 少し困惑しているようだ。
「この部屋には鳥は飼ってないんだな」
 アグラムは呟いた。
「サーラのマスターが見たがったのは空をはばたいている鳥で、籠の中でじっとしている鳥じゃなかったものですから。きっと外出も出来ず自由な鳥に憧れていたんでしょう」
 案内人は二人に微笑みかけた。
「サーラにきけば、当時のことは何でも教えてくれます。では、ごゆっくりどうぞ」
 悲しみを知らない事は、幸せなのですか?
 エピドラは聞くことができなかった。案内人であるアシスタントのマスターは今、どうしているのかも聞けなかった。
 アグラムはサーラに歩み寄った。
「何かご質問はありますか?」
 長い栗色の髪、光彩のないグレーの眼。パートナーの作るロボットには角はない。情報やエネルギーを受け取る必要がないからだ。エネルギーは体内で自分で作り、情報は本体が送ってくる。現在のアシスタントとは違う。
 寂しげな彼女の微笑が胸に痛い。五五〇年、こうして彼女は微笑んで来たのだろうか。
 そんな思いにとらわれて、つい馬鹿な質問をしてしまった。
「君は、何の鳥が好き?」
 彼女は目を丸くして、それからくすくすと笑った。
「珍しい方ですね。わたしは烏が好きです。人間の中でも平気で生きていく強さを持った、黒い鳥」
「カラス、ね」
 それなら、家の窓からでも見える。彼女の主人に一番見せやすい鳥だろう。しかし、昔はそれすらいなかった。
 巨大な烏に乗った神の壁画、それを思い出してアグラムは尋ねた。
「カラスに乗った神様のこと、知ってるかい」
「ええ。エルハでしょう、復讐の神様。でもウイルスに復讐は出来ませんものね」
 アグラムはエピドラを連れて外に出たが、サーラが最後に言った言葉が心に残った。
「マスターを失って確かに悲しいけれど、それは私がマスターに愛されたしるしだから、いいんです。私が幸せだった証拠ですもの。きっと、本当は今でも不幸せではないんです。失って悲しくないのは、もっと悲しくて不幸なことだから」
 その笑顔は寂しげではあったけれど、苦難を乗り越えた女性の持つ綺麗な笑顔だった。
 カートに乗り込んだアグラムにエピドラは聞いた。
「このまま宿に直行しますか?」
「ああ」
 二人の頭上を烏が飛んでいった。
 自分は死んでから、エピドラにサーラと同じ気持ちを残すことが出来るだろうか。マスターに愛された証拠だから、失った悲しみと共に生きていくのは辛くはないと。アグラムは黒い鳥が飛んでいった空を見上げながら思った。
(鳥が飛んでいくのを見せてね)
(いつか見せてくれるよね)
(ねえ、サーラ)
 タイリスは鳥のたくさんいる街だ。


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「鳥」(トリ)と「烏」(カラス)は一画違い。
 見づらくてすみません、でも「鴉」より「烏」の字が好きなのです。


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