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         始まりの夢

 アグラムはあまり機嫌が良くなかった。彼の隣ではエピドラがパネルに手を置いて、カートを自動操縦にするために目的地を入力している。最終目的地は彼の家である。そう、それは予定よりもはるかに早い帰宅であった。
 後ろにはブルーと、そしてもう一機の男性型アシスタントがいる。浅黒い肌に長めの黒髪、薄茶の瞳と角を持った、「サジル」である。
(サジルがアシスタントならそう言えってんだよ)
 何が「サジルという『男』を探して」だ、とアグラムは心の中で父親に悪態をつく。エピドラの報告によればサジルがいた一帯はまともな人間が一人で長期間暮らせる所ではなかったというし、それを予期していたからこそ、アグラムにエピドラを付けてよこしたのかもしれないが、無邪気に納得はできない。
 アグラムは後ろを振り向き、サジルを見た。
 アシスタントにしては珍しい黒髪のせいか、くたびれきった衣服のせいか、えらく生意気に見える。だが、既に自宅にいる父親のアシスタントも黒髪であることを考えれば、必ずしもそのせいとは言えないだろう。
 エピドラと共にアグラムのもとにやって来たサジルは、今すぐアグラムの家に連れていけと言ったのだった。家を出て以来初めて父親に連絡を入れればさっさと連れてこいと言うし、反論すればエピドラを買った代金を払うなら待ってやると脅迫される始末。まったく面白くない。
 エピドラの衣服も乾いた泥の跡がまだ結構残っているし、ブルーも長いこと放り出されていた身であり、汚れ具合は五十歩百歩だ。どいつもこいつも文明圏に着いたら身なりを整えてやらなければならない。払いは父親にさせよう、とアグラムは口の中で呟いた。


 ここも、文明圏と言ってもいいものだろうか?
 カドゥルに最も近い古びた町で多少げんなりしながらアグラムは辺りを見回した。
「変人ばっか……」
 はあ、と溜息をつく。カドゥルへ向かうか、そこから来た歴史学者と考古学者、その卵達が落としていく金で成り立っている小さな町だ。公には自分もその内の一人かもしれないが、一緒にはして欲しくない。本気でそんなものの研究に命を掛けているのは変人だけだとアグラムは思っていた。でなければどうしてこの人種の人口がここまで少ないのか説明できない。当然、言うまでもなく父親も変人である。
 勿論、その存在意義は認めている。誰かがやらねばならない事でもある。だがしかし。もっと他にやるべき事が人間にはあるのではないだろうか。
 しかし、誰かがやらねばならないことを少数の変わり者が喜んで引き受ける事で、世の中というのはバランスを取っているものかもしれない。
「ま、いいか」
 アグラムはとある店の前でカートを止めさせた。そこは主にアシスタントのための衣料品を売っている店であり、世界中に店を出していた。
「自分に合う服を買ってこい。払いは親父でな」
 エピドラにカードを渡して三人を店に送り出した。
「あ、エピドラ」
「はい」
 行きかけたエピドラが戻ってくる。アグラムは彼に財布を投げて渡した。
「どうせ帰ってから必要になるから、二三着好きなの余計に買っておけ。そのうちまた買ってやるから、とりあえずそれぐらいでいいだろう。そっちは現金でいい、俺が払う」
「分かりました。ありがとうございます」
 にこ、とエピドラは笑みを見せた。それから続ける。
「サジルですが、あれは随分古いタイプのアシスタントですね」
「そうなのか?」
 アシスタントは外からは同じように見えるので気付かなかった。
「はい。初期のものです。マスターの登録方法が今のものとは違います」
「それってあの、しちめんどくさい……」
 アグラムはげげと思った。今でこそ初期データ一つで登録できるが、昔はそのプログラム内容を専用の機械に入力し、それによって作られた音声化した信号を聞かせ、さらに同じプログラムの入った小さなチップを体内に内蔵して初めて登録が完了する。パートナーからアシスタントへの移行の時期でもあるし仕方ないような気もするが、今の時代にそんなことはやっていられない。
「そうです。お預かりしたサジルに渡した箱の中には、チップも入っていました」
 アグラムは頭を抱えたくなった。まったくあの親父、何を考えているんだと言いたくなる。
「わかった、行ってこい」
「はい。失礼します」
 エピドラを見送ってから、はっと気付いた。サジルを自分のアシスタントにしようと父親が企んでいるのだとしたら、父にあげようと思っていたブルーを、どうすればいいのだろう?
 今更ブルーをメーカーに引き渡すにはあまりにも時期を逃してしまっていることを思ってアグラムは悩んだが、連れて帰ってから考えるよりないようだった。


「うん、これこそ都会だぜ」
 上機嫌でアグラムは言った。寄り道せずに来たので五日で都市に帰り着いた。不満はあれど、生まれ育った住みやすい都市はやはりいい。
「帰ったぜ。親父呼んでくれ」
 父親のアシスタントに声を掛けると、アグラムは家の中にアシスタント達を入れた。
 やがてやって来た父は、アグラムのことなど目もくれずサジルに話し掛けた。
「ああ、久し振りだな、サジル」
「はい。お約束を果たしてくださって、ありがとうございます」
 サジルは慎ましく頭を下げた。
 意外と裏表のある奴だ。
「一緒に、チップも受け取ってくれるな?」
「そういうお約束でしたから」
 二人で訳の分からない会話をしている。
「何の話だ?」
「ちょっとな」
 そう言って父親は笑い、サジルを示した。
「今日からおれのアシスタントだ。よろしくな。……見慣れないアシスタントがいるが、買ったのか?」
 ようやくブルーに気付いたようだ。そのことでちょっと、とアグラムは別の部屋に引っ張り込むとかくかくしかじかと説明した。
「いくらなんでもそんなにいらん。お前が使えばいいだろう。維持費の半分ぐらいはしばらく払ってやる」
「う──う、ん。まあ、いいけど」
 二人も使いこなせるだろうかと少々不安に思いながらも他に手はないのでアグラムは頷き、戻ってくるとエピドラとブルーを伴い自室に向かった。


「エピドラ」
「はい」
「お前に登録したときのプログラムの内容、覚えてるな?」
「はい」
「それを、もう一度作り直してくれ」
 エピドラは怪訝そうな顔をした。
「何に使うんです、そんなもの?」
「サジルが増えたからブルーは必要ないってさ、うちの親父殿は。だから俺がもらう」
 人間が二人でアシスタントは四人。これは結構珍しい。
 それを言うなら、一人でアシスタントを三人も連れていた自分もかなり人の目には奇異に見えたことだろう。
「全て同じでいいんですか? サブマスターは?」
「同じで……いや、サブマスターはいらない」
 カドゥルで感じた不安を思い出したアグラムは慌てて言い直した。ブルーに父親の言うことをきかせたら、何をしでかすかわからない。
「それとも、お前にしておくか?」
「本気ですか?」
 疑い深い目がアグラムに向けられる。
「冗談だよ」
 アグラムは笑った。
「なにのんきにしゃべっとるんだ。さっさと研究所へ行け」
 父親が顔を出し、アグラムは首を傾げた。
「なんで」
「仕事に決まっとろうが。何十日休んだと思ってる。これから忙しくなるんだ、溜まってる分だけでも片づけて来い」
 脳裏をよぎったのは、彼の受持ちの部屋一杯に詰め込まれた未整理の資料とカビ臭い本とディスクと遺物の山だった。ドアを開けた途端に流れ出てくる物体と埃。考えるだけでめまいがしてきた。
 帰った途端にこれは無体というものだ。灰色の日常に逆戻り、あんまりだ。
「冗談じゃないぜ」
 力なく呟く。
(これはもう俺の手に負えない)
「エピドラ──」
 言いかけて口をつぐむ。エピドラには仕事を言いつけたばかりだ。
「ブルー、来い。エピドラ、後頼むな」
 これはブルーに押しつけるに限ると思い、研究所に行って手順から全て説明すると家に逃げ帰った。
「おまえのマスターもろくな奴じゃないな、エピドラ」
 呆れたアグラムの父の言葉に、エピドラはメインルームでパネルに置いた手を離すことなく振り返り、悪意のない笑顔をみせた。
「サブマスターほどじゃありませんよ」
 なかなかふてぶてしい奴ではあった。


 めでたくブルーはアグラムの正式なアシスタントとなり、エルヒムと名付けられた。それから三日、さしもの抜群の処理能力を持ったアシスタントでも、ためこまれたアグラムの仕事は処理しきれていなかった。
 研究所の廊下の窓から外を眺めながら、アグラムはぼーっと休憩していた。要するにアグラムよりもエピドラとエルヒムの方が仕事が早く、なんとなく足手まといになるかっこうになったため、いじけているのだった。
 外には木々を模した空気浄化装置があちこちにあり、滑らかな形の建物が遠くまでそびえ立っている。その中を流線型をしたグレイッシュ・トーンのカートが飛んでいく景色は、彼が物心ついたときからまったく変わっていなかった。カドゥルやその他の小さな町とはまるで別世界だ。生まれてからここから出たことがなかったから別に何とも思わなかったが、どうやらこれは異常な状態だ。木々はちゃんとまだ存在しているし、建物はこんなに必要ない。こんな風景で安らいでいる自分は病気かもしれない。
「どうぞ」
 振り向くと、エピドラが飲物を差し出していた。
「ありがとう。進んでるか?」
「いえ、あまり。なにしろ時代から何から全てばらばらですから」
 スピードの違いはあれど、困る理由は同じらしい。少しほっとした。
「エルヒムは」
「続けています。励みになるようですね、するべき仕事が沢山あるのは」
「そう、だな」
 マスターもなく過ごした年月は、アシスタントにとってはどういうものなのだろう。
『自分が存在する必要がないと、毎日思い知らされることですよ』
 わからない──そんなことは、自分には。
「マスターは、もう旅には出ないおつもりですか?」
「そういうわけでもないけど……どうして」
 せめて今ある分だけでも片付けておかなければ、もう一生研究所からは逃がしてもらえない気がする。
「見つけたんですか?」
 真面目な顔でエピドラがこちらを見ていた。
「……何を」
 随分と、自分は口が軽かったらしい。そうアグラムは思った。アシスタントが自分のものになったばかりで、浮かれていたに違いない。
「マスターがやりたい事をです」
 こいつがものを忘れるはずなどないから、そう言うだろうことはわかっていたけれど、アグラムは少々狼狽した。
「う……まあ、な」
 及び腰なのが自分でわかる。
「じゃあ、旅に出る必要はないわけですか?」
「必要はないが、欲求はあるな」
「じゃあ行きましょう」
 性急な奴だ。
「あれはどうするんだ?」
 ドアが開いたままの自分の部屋を指し示した。元の量の半分以上は軽くあるから、三人で取り掛かっても一週間は間違いなくかかる。
「エルヒム一人で十分です。もちろん、彼を連れていって、私がやってもいいんですが」
「うーん……」
 だんだんその気になってきてしまうあたりがいい加減な証拠だ。
「ちょっといいよなあ。でも都市の方が過ごしやすくていいんだけどな。お前、そうじゃないか?」
「私は別に……マスター、それは都市病ですよ。もっと他に目を向けるべきです」
 アグラムは苦笑した。自覚はある。
「そうだな、行こうか……病気を治しにな」
 そうだ、どうせそのうちこんな研究所とはおさらばするのだから。少なくとも非常勤にはなってやるつもりなのだから多少の迷惑が掛かろうが知ったことではない。
 そこまで考えの及んだアグラムは開き直った。
「出発は明日だな」
 一人で言って、一人で納得する。
「帰って支度しよう」
 思い立ったが吉日とばかりに向きを変えたアグラムにエピドラが声を掛けた。
「誰を連れていくんです?」
「お前を連れてくよ、今回はな。もともとお前が俺のアシスタントなんだしさ。それでいつか、エルヒムと三人で行こうぜ」
 飲み干したグラスは自分で片付け、一人で家に向かいながらくすんだ景色に目をやった。
(都市は俺には必要だ)
 必要なだけだ──愛してはいない。
  カドゥルのような場所も愛せない。都市に生まれ育った人間は、自然しかない所では生きていけない。
(俺は一生この都市で生きていく)
 生活の場など、もうどうでもよかった。どうせ、都市に生まれた者は都市に暮らし、都市で死んでいくのだ。そんなことは初めから判っていた。納得がいっただけだ。
 問題は、ここでどう生きるか。
 だからもう、いいのだ。旅に出るのは、途中でぶちきられた分を取り戻すだけのこと。
 さて、とアグラムは思う。
(いつ言えばいいんだろうな、アシスタントあいつらに)
 父親なんぞは問題外である。もう一度学校には二三年行くことになるだろうが、研究所の給料のおかげで学費は払えないことはない。
(俺は心理学がやりたいってことを──人工知能の)
 出した結論がこれだった。
 歴史など、表面だけ知っていれば十分だ。必要になったら、その時に調べればいい。人間の心も詳しく知りたくはない。知りたいのは、生み出した人間の手を離れて個性と心をつくり出したアシスタントをはじめとした人工知能の内面だ。
 セルディムにいたアシスタント・ドッグにも、もう一度会って話を聞いてみよう。恨みはないのか? それでもマスターを信頼しているのか? 人間である自分には、わからないことが多すぎる。
(ああ、そうか……)
 旅に出る目的も、あながちないわけじゃない。
(決意を固める旅ってのも、悪くないじゃないか)
  アグラムは、一人笑った。
 旅の続きは目の前にあった。
 続きのようで続きでない、探索ではなく始まりのための旅が。
 見上げると、都市も空だけは他と変わらない青さを見せていた。

     遠くの同じ空を見に行こう
     そこには
     始まりが待っている

END    


BACK Absence.



 うわー、なんというか、何もかも青い……。

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