Vampire Bat


 学校から帰ると、机の上に小さな人形が立っていた。
 黒いスーツ、黒いタイを小粋に斜めに結んで黒のマントを背に垂らしている。
 うつむいて黒いシルクハットを目深に被り、白い手袋をした指先で帽子のつばを軽く押さえた状態で、その人形は静かに机の上の中央に立っていた。
 鞄を置いて私はしばしそれを見下ろし、入ってきた自室のドアを再び開ける。
「あの怪盗紳士のフィギュア、何?」
 隣の部屋の弟に聞くと、怪訝な顔で問い返された。
「何の話?」
「あたしの机の上に置いたでしょ」
「知らねえ。部屋に入るとうるさいだろ」
 確かに。
 それに弟がフィギュア買うならロボットかモンスターだろうし。
 じゃあ誰が置いたんだろ。
 それにしても、と私はまた部屋に戻ってそれを見下ろした。
(地味……)
 どうせマント着せるならもっとはためかせた形に作ればいいのに。
 椅子に座って手を伸ばし、その人形のマントの端をつまむと持ち上げた。
「そう、こういう感じ……って」
 そのマント、予想に反して布で出来ていた。
「フィギュアじゃないってことは、着せ替え人形……いやでも小さすぎるし」
 よくよく見ればもちろんその怪盗紳士の衣装はシルクハットも黒い革靴も手袋もきちんとした素材で出来ているみたいだった。
 だからってこの十センチもないサイズの人形、普通はフィギュアだと思うでしょうが。お菓子のおまけレベルにしては細かいけど。
「誰が着せ替えだよ」
 声がした。
「へっ?」
「俺は人形じゃない」
 何か……すごく近くで聞こえるんですけど。
「いつまで掴んでんだよ」
 目の前の小さな怪盗紳士が、マントの端をつまんでいた私の指を振り払った。
 私は目を丸くする。
 動いたよ、これ。
 私はちょっと茫然としつつ呟く。
「怪盗紳士が動いた……」
「怪盗紳士ってのもやめろ」
 ソレは不快そうに続ける。
 手袋をはめた手でシルクハットを取った。
 さらりと、肩につくかつかないかの黒髪が揺れた。
 ヤバイ。
 マジで人形じゃないよこれ。
 微かに紫がかった黒い大きな瞳が私を見上げた。
「人が寝てる邪魔しやがって」
 机のド真ん中に立っているのはどこのどいつだ。
 私はそこで勉強しなきゃいけないんですけど。
「まあ女ならいいや」
 言葉遣いは全然紳士じゃなかった。
 その場にシルクハットを置くとソレは軽やかに机を蹴り、私の左肩に着地した。
 そこだと良く見えないんですけどね、ミニチュア不逞紳士さん。
 小さな小さな手が私の首に触れる。
「睡眠の邪魔した詫びとして、お前の血をくれ」
 引っかかれたような小さな痛み、それから──
 ぺろりと、何かに舐められた。
「──っ!」
 思わず、無言でがしっと握り締めると机の上にソイツを叩きつけた。
「何すんだよ!」
「それはこっちのセリフでしょ、何なのよあんた!」
 鏡を取り出して見ると小さな傷からごく少量の血が滲んでいた。たぶん血が止まったらもうわからないくらいの小さな傷。
「俺はロード。吸血鬼だ」
 立ち上がり、シルクハットを拾うとソイツは胸を張ってそう言った。

 何か変な物が目の前で変な事を言っている……。
 夢だと思いたい。
「頭痛い……」
 しかも小さいし。
 おまけにひょっとしてコイツ咬みついた? この乙女の首筋に?
「なんだ、その不服そうな顔は」
 あんまりだ。
「こんな小さい吸血鬼がいていいの?」
 私の手より小さいし(しかも動いてる!)。
 映画とかアニメのモデルがあるフィギュアなら、クリーチャーは別としてある程度顔形が整ってても当然だけどコレ違うし。いや一応整ってはいるけど、小さすぎるよ……。
「どうせ吸血鬼なら人間サイズの方が夢があるのに」
 吸血鬼はホラーで耽美で美青年で、そして何より普通の人間の大きさじゃないと駄目でしょう!
「何考えてるんだお前」
 相手も呆れている。
「俺は怪盗でも人形でもない吸血鬼で、身体の大きさは生まれつきだ。変な奴だなお前」
 そう言って、それから彼は私の顔を見上げてニヤリと笑った。
「でもお前の血はなかなか美味いぜ」
 べち、と思わず私は奴を掌で叩き潰した。
「一度ならず二度までも……」
 よろめきながら起き上がると奴は私の指に咬みついた。
「黙って血よこせ!」
 ああ、なんか手元で小動物がもがいてる……。
 このサイズなら、ちょっとやそっと血を吸われたところで死にはしないのは確かだと思う。それに、指先じゃないから後でペンを持つにも支障はない。
 後で痒くなるのは嫌だけど……それはないかなたぶん(蚊じゃないし)。
 なんかもうどうでも良くなってきた。
「あーもう、早く済ませてよ」
 こっちはまだ制服だし、やる事が色々あんのよ。
 投げ遣りに言うとちょっとムッとしたみたいだけど、私がそれ以上何もしないと理解したのか、小さな吸血鬼は食事に取りかかった。
 別に首筋である必要はないのね、とその様子を見ながら思う。
 どこからでも血は吸えるんだ、この吸血鬼。
 ………。
 って、吸ってないし。
 気付いて私は更に脱力した。
 ぺろぺろ、ぴちゃぴちゃ、傷口から滲んでくる血を舐めている。
 その様子はやっぱり小動物だった。
 ああ、また私の中にある吸血鬼の耽美ホラーなイメージが……。
「……私の夢はどこに」
「変な奴」
 がっくりとうなだれる私をよそに、ミニチュアの怪盗紳士の顔をして、奴はしばらく私の血を舐めていた。
 この状況をなし崩しに受け入れている私は一体何なんだろう。
 何か狐につままれてるような気もするけれど、これはこれで一つの運命なのかもしれなかった。

 あれ以来、一週間おきくらいに自称吸血鬼のロードは私の所にやってきて血をねだっていく。
 それくらいの頻度で血を飲めば十分なのだという。量だって毎回大した量は飲んでない。よっぽど燃費がいいんだろう。身体の大きさからすれば妥当かもしれないけれど。
 どうして私なのかと聞けば、「味が気に入った」とふざけた答えが返ってくる。
 そして今日でもう四回目。なのだけど。
「他あたって」
 私は窓を閉めてロードを締め出した。
 外は金色の三日月の光る晴れた夜、時刻は午前一時。この位が彼の活動時間らしい。
 確かに夕方はまだ寝ている時間なんだろう。最初の時、どうして人の机の上で 立ったまま寝ていたかは別として。
「何でだよ」
 ドンドンと窓ガラスを叩いている……つもりなんだと思う。
 彼のサイズで何をしようと所詮どうという事はないけれど。
 私は彼が入れない位の一センチ程度の隙間を開けた。でないと彼の声はガラス越しだと良く聞こえないから。
「明日から試験なの。あんたに血を取られてる時手が使えないんだから、その間勉強出来ないじゃない」
 あえて、血を「吸われる」とも「なめられる」とも言わなかった。
 大した量の血を取る訳でもないけど、彼の食事は思ったより時間が掛かったりする。
「なんだ」
 拍子抜けしたような声を出すと彼は明るく笑った。
「手じゃなくてもいいだろ、首で」
 良くない。
「十年早いのよ、この小動物が」
 ひく、と一瞬ヤツの顔が引きつった。それでも笑顔を保つ努力をする。
 死活問題なんだろうから当然か。
「またまた、そういう可愛くない事言ってると咬み付くぞ」
 いや、わざわざそんな事言わなくても普通にいつも咬みついてから血取ってるし、あんた。
「弟のとこに行きなさいよ、隣の部屋で今頃ぐーすか寝てるわよ」
 それを聞くと、くだらない冗談を聞いたとでも言うようにロードは肩をすくめた。
 馬鹿にしたような「ハッ」という笑い付きで。
「吸血鬼の男がオスの血を吸えるか」
 何が男だ、生意気に。
「身長八センチで何が男よ。この体格差で男も女もないでしょ」
 ぴくりと再び彼の顔がひきつる。
「あるね。人間のオスの血は不味い。それに言っとくけどな、これでも一族の中じゃでかいんだよ俺は」
 一族。
 まじまじと私は彼を見た。
 こんなにちんまい吸血鬼が他にもうじゃっといるわけか……しかももっと小さいのが。
「一族、いるんだ」
 吸血鬼の一族って、聞こえはいいけど現実はこのサイズなのよね。
 ちょっと溜息つきたくなる。
「この国にはいない。……いや、故郷でももう生きてはいないだろうけど、同じ種族の奴はいても」
 吸血鬼の故郷と言えば、それはやっぱりあそこでしょう。
「故郷はトランシルヴァニア?」
「いや……」
「違うの?」
 期待した私が馬鹿なのか。
「しばらく住んでたことはあるけどな」
 ひょっとして、こいつって若作りか? でも大きさから言って実は短命ってこともあるかもしれないし。
 人間で言えば見た目は十代後半から二十代後半だけど……。
 私が見間違えてるのかな、小さいから。
 っていうか、こんなミニサイズの吸血鬼の外見年齢なんかわかる訳ないじゃん!
 ふと我に返ると、ガラス越しにこんなやりとりをしてる図はちょっと、いや、どう考えてもおかしい。まあ、こんな小さい黒い影が窓枠に立ってても、窓際に何か置いてあるくらいにしか近所からは見えないだろうけど。それ以前に明かりのついた窓は見える範囲にないけどね。
 結局そうして話していても勉強にはならないので、仕方なく中に入れてあげる事にした。
「ロード、あんた私が寝るまで待ってなさいよ。これ終わった後なら血飲ませてあげるから」
 どうせ寝不足が続いているから、血を取られようと気にせず眠れるだろう。
 窓を彼が通れる細さに開けると、ぱっと彼の顔が明るくなる。
「いいのか?」
 この笑顔の裏にあるのは食欲なのよね……と、少し虚しく思う。
「いいよ」
 彼が中にひょいと入るのを見届けて、私は窓を閉めた。
「あとどれくらいで終わる?」
 うきうきとした口調でロードが言う。うんざりしながら私は言った。
「結構眠くて限界だから、一時間か二時間位かな」
 彼は窓枠伝いに歩いて来てひらりと机の上に飛び移り、更にその上の本立てに飛び上がって腰を下ろした。数学の教科書ガイドの背表紙を背もたれにして腕を組む。
 視界の上の方に足を組んだ黒ずくめの吸血鬼の姿が入って、何だか気が散る。
「だいたい、吸血鬼のマントの裏地は真紅って相場は決まってんのよ。何で黒なのよ」
 どうでもいいことをぶつぶつと呟きながら、英単語を書き連ねていく。
「うるさいな、漆黒が俺の美学なんだよ。ほらそこ綴り違うぞ。“absurd”だろ、“e”じゃなくて“u”だ」
 慌てて私は単語帳をめくる。その通りだった。
 「absurd」、不合理で馬鹿げているのはこいつの存在だ。
 私はシャーペンを強く握り締めた。

 ふと目が覚めたら、朝の六時前だった。
 なんてこと、目覚ましがなるより早く起きてしまった。しかも寝た気がしない……。
 でもあと十分もすれば目覚ましが鳴るのよね。起きて文法の一つも確認した方がいいか……。
 左手の人差し指の付け根に昨夜人が寝てる間に付けられたらしいロードの咬み傷が残り、血は止まっているのを寝惚けまなこで確認してから起き出して時計のアラームのセットを解除すると、ベッドを下りてカーテンを開けようと手を伸ばした。
「……?」
 何か今、視界の隅に黒いものが入った気がする。
 目を上げるとカーテンレールの上、一番端にロードが座っていた。
 まだいたんだ……。
 良く見ると、軽く足を組んで腕組みして、シルクハットを目深に被って微動だにしない彼はどうやら眠っているらしかった。
 考えてみれば昨夜窓をロックしちゃったから、外に出られなかったんだろうな。悪い事したかも……。
 もう朝で明るいし、出て行けっていうのは酷かもしれない。どうせ寝てるならまあいっか。
 暗い方がいいかとカーテンを閉めたまま、私は部屋を出た。


 午前中の試験をこなし、友達とお昼を食べてから私はよろよろと帰宅した。
「ただいまー……。ちょっと仮眠するね」
 だめ、今は何やっても頭に入らない。寝よう。
 部屋に入るとカーテンを閉めきったままで少し薄暗い。窓の方を見るとカーテンレールの上にロードは……いなかった。
「移動した?」
 最初の出会いを思い出し、机の上に目をやったけれどそこには何もなかった。
 いやその前に。
 何かあったよ、カーテンに。
 再び窓に目をやる。さっき見たカーテンレールの端の上でなく、下に。
「……!」
 それが何なのか確認すると声にならない悲鳴を上げて、私はドアに張りついた。
 カーテンレールの端にぶら下がってる黒いモノ。
 大きさは十センチもない。
 そして眠っているらしく、私が帰ってきたのに気付いた様子もない。
 確かに吸血鬼と言えばお約束かもしれないけれど、でもこれは。
「何なのよこれ……」
 泣きたい気分で呟く。
 私の部屋の窓にぶら下がっていたのは、小さなコウモリだった。

 こんな時にショックを受けていても仕方がないので私は無理矢理立ち直った。
 その場でたたき起こすような大人げない真似はせず、きっちり二時間仮眠を取った後、まだ寝ていたその「コウモリ」が動かないのを確認しつつ明日の試験に備えてテスト範囲の勉強をし、途中夕食とお風呂を挟んであとは部屋にいた。
 どうせ気付いてないだろうし後で面倒だからもちろん家族には一言も「部屋にコウモリがいる」なんて言わない。
 だけど、ちゃんと説明はしてもらうわよ、ロード。
 夜も更けて目を覚ました「コウモリ」は自分の姿にうろたえたようだった。
「起きたの、コウモリさん」
「え、いや、あはは」
 バタバタと部屋の中を飛び回った挙げ句、観念して奴は私のすぐ傍のカーテンに両足で掴まってぶら下がった。
「ロードなんでしょ?」
「ああ」
 はーっと溜息を一つ。
 どうでもいいけど、コウモリの格好で人間臭い溜息つくのはやめてほしい。
「吸血鬼はコウモリに変身するっていう通説が立証されたというべきなのかしら?  それとも……。ねえ、ロードのサイズから言うと吸血鬼よりコウモリの方が似合うわよね?」
「そうはっきり言うなよ」
 くるりと回りながらコウモリは机の上──つまりは私のノートの上──に飛び降りた。着地した時にはそこにいつものロードが立っていた。
 黒いマントに身を包んだ、黒ずくめの小さな吸血鬼。
「確かに本性はそうかもしれないな。でも俺はこの姿を得て吸血鬼になったんだ」
 開き直ったなコノヤロウ。
「本性って……」
「まあ、いわゆる吸血コウモリだな」
 ……今と同じじゃん!
 つまり、吸血コウモリが人の姿に化けたって事?
「長く生きると吸血コウモリは吸血鬼になる事もあるんだよ。特別な奴だけだけど。普通の吸血鬼サイズになるまでにはまだもうちょっと修行が足りないけどな。ほら、この国にもいるだろ、滝登って龍になる鯉とか、尻尾が分かれて妖力つく猫とか」
 あんたはどこの民族学者だ。
「つまり化けコウモリと」
「言い方は気に入らねえが、それに近いな」
 あっさりとロードは認めた。
 何が悲しくて吸血コウモリに血を吸われなきゃいけないのよ、しかもテストの前日に。
 ああ、私ってつくづくついてない。
「吸血鬼になってから故郷を出ていろんな国を回ってる。この国は半年位だな。もうしばらくいるからよろしく頼むぜ」
 しかも居直られてるし……。
「だからなんで私に頼むのよ」
 がっくりしながら呟くとロードは肩をすくめ、事も無げに言った。
「適当に獲物選ぶと不味いから」
 私の血は美味……。
 それは喜んでいいのでしょうか、神様。
 そんな私にインチキミニチュア吸血鬼は笑顔で続けた。
「夜になったし、お前も忙しいだろうから俺も出てくよ。窓開けてくれ」
 屈託も罪悪感のかけらもない彼の態度にはもはや返す言葉も無い。
 私はのろのろと部屋の窓を開けた。
「じゃ、また来週来るから」
 やっぱり来るのね。
 溜息をついて私はロードを送り出した。
 これでいいんだろうか、私の人生。

 そして翌週。
 私の部屋にロードの怒号が響いた。
「お前何やってたんだよ!」
 試験が終わったから友達とケーキバイキングでストレス発散して何が悪いのよ。
 試験の結果は置いといて、全て忘れて数十種類のケーキを食べ放題。天国じゃない。
「もっとバランス良く食え、血が不味くなる! しかもなんでよりによって俺の食事の前日にそんな食い方するんだよ」
「あんたの都合なんて知るわけないでしょ!」
「この砂糖魔神!」
「ヒステリー吸血鬼!」
 私達は延々と口論を繰り返した。
 結局奴は一日我慢して次の日の夜に再び姿を現すと、まだ不味いと文句をいいながらも他の獲物を探すことなく私の血を要求するのだった。
 どうやらしばらくの間、この小さな吸血鬼は私の健康のバロメーターにもなるらしい。
 なんだか釈然としないところはあるけれど、ここはやっぱり。

 すべて世はこともなし、と言うべきなのかもしれない──

END      
(2005.11.2)

TOP Vampire Bat U


 お馬鹿作品ですいません(^^;)
 かなりいい加減な話です。物投げないで下さい。
 女の子の名前さえ出ませんでした〜……。

 チスイコウモリ、いわゆる吸血コウモリ。英名は「Vampire bat」。
 学名は「Desmodus rotundus」、棲息地は南米で体長は約6センチだそうです。
 もちろん日本には吸血コウモリはいません。
 私も調べていて知ったのですが、血を吸うコウモリは3種類しかおらず、うち2種類は鳥の血を吸うので哺乳類の血を吸うのは1種類しかいないそうです(だからロードは哺乳類の血を吸う「ナミチスイコウモリ」で確定ですね)。
 いやー、最初この話考えた時吸血コウモリって20センチ位かと思ってたもので6センチは意外でしたねえ。
最大でも10センチにはならないようなので、ロードは8センチです(笑)
 だからシルクハット入れればもう少し大きいでしょう(でも10センチ以下)。

 あ、それとロードは何やら混同しているようですが、「鯉の滝登り」は日本じゃなくて中国です。
猫又は日本産の筈……ですよね?

RAY's TOP
INDEX

web material by “FULL HOUSE