Vampire Bat U   Beautiful Night 1


 目が覚めたら首筋に小さな傷が出来ていた。
 何だろう? 何か痒くて寝ながら無意識に引っ掻いたのかしら。
 会社の同僚にも聞かれてそう答えたら、先週も似たような事を言っていたと指摘された。
 そう言えばそうかもしれない、先週は首じゃなくて手だったんだけど。
 そしてさらにそれから一週間、家に帰るとテーブルの上に妙なものがあった。

 仕事から帰ってきてマンション(と名前は付いているけど印象はアパートに近いかも)のドアを開け、私は絶句する。
 これは何事?
 テーブルの上には、昨夜部屋飲みしたワインのグラスが何故か倒れており、残っていた中身がこぼれて広がっていた。
 空になっていないボトルを仕舞うまではやったけど、グラスを片付ける元気はなかったのよね、昨夜。で、朝は時間無くて駅のファーストフードで食べたからテーブルの上は昨夜のまま。
 昨夜のままの筈なのになにこれ。しかもそのワイン溜まりの脇に黒い塊が……。
 ネズミかと思った、黒い塊を見た瞬間。
 今までネズミが出た事も、何か食べられていた事もないけど、他にワイングラス倒すような動物いる?
 ああ、あれがネズミの死骸だったら片付けるのは私しかいない。この部屋に住んでるのは私だけなんだから。
 でも生きてたらどうしよう。死骸と生きているのを捕まえるのとどっちがまし?
 パンプスを脱いで部屋に上がる勇気が出なくて、しばらく私は玄関で固まっていたけれど、そうしていても仕方がないので恐る恐る中に入った。
 部屋のドアが開いていて良かった、閉めていたら知らずに開けて心構えもなくいきなり一メートル数十センチのところでご対面という事態になるとこだったわ。
 黒い塊はまだ動かない。
 部屋の入口で私は立ち止まった。あれネズミじゃないかも。
 バッグは肩に掛けたまま。何だか判らないけど、突然動いたり襲いかかられたら逃げ出す準備は万全だ。
 何か黒い布に包まれてるのかな、そこから黒いものが出ていてその向こうに小さい黒いものがある。
 私はそっと近付いた。
「……人形?」
 思わず私は呟く。それまでなるべく音を立てないように無言だったのも忘れて。
 黒服の小さな人形が、黒いマントにくるまって寝ていた。
 黒いシルクハットが近くに落ちている。
 ……って、人形が寝ますか。子供が遊ぶミルク飲み人形じゃあるまいし、最初から寝ている形に作ってあるに決まってる。
 それにしてもなんか、ものすごく良く出来てない、これ?
 多分大きさは十センチ弱だと思う。黒い靴を履いて、こちらも黒いパンツに包まれた足がマントから出ている。黒髪で、こんなに小さいのに睫毛まである。それにマントや服は普通に布地で、肌はなんだか生っぽい。
「生きてるみたい」
 言ってから考える。
 これが小人じゃ無い限り、誰かが不法侵入して置いて行ったって事になるんだ、これを。緑の小人じゃないよね、これ黒いし。
 ネズミの方がましだったかも。無くなったものがないか部屋中調べなきゃ。
 バッグを置いて、広がってるワインに気をつけながら、気持ち良く眠ってる風情の人形の頬を指先でつつく。
「……嘘」
 柔らかいよ……。
 どうしよう……おまけに動いた。
 私はその瞬間思考停止かつ硬直。
 のろのろとそれは目の前で起き上がった。
 全身黒で固めた衣装、斜めに結んだ赤いタイ。そして背中に黒いマント。
「……」
 私は固まっていたけれど相手はこちらの様子には頓着しなかった。目を開けて、ちょっとぼんやりとした様子で辺りを見回す。その目は暗い紫色だった。……ひょっとしたら酔っぱらっているのかもしれない。グラスに残っていたワイン飲んで酔って寝ていたのかも。そしてそれは、私がそれをつついたまま固まっていた指に目を留めた。
 小さな手を伸ばして私の指先に掴まり、そして──

 かぷり。

 カプリって……。
 痛みと共に私は正気を取り戻す。
 黒い小人が私の指先に食らいついて、そこから出た血を目を細めて幸せそうに舐めていた。
 正気を取り戻したつもりではいたけど、本当は全然正気じゃなかったのかもしれない。だって、それを見ながら私の心に浮かんだ言葉は、「どうしよう、可愛い」だったんだから。
 私は指一本動かせないまま固まってそれを見ていた。
 一体どれ程時間が流れただろう。かなりの時間を掛けてそれは傷口から私の血を舐め、満足したのかまたテーブルの上で寝てしまった。
 身体をくの字に曲げてマントを身体に巻き付けて、幸せそうな平和な寝顔。
 ちょっとかわいい、かも。
 でも……それで結局、これは何なの?
 テーブルにこぼれたワインを拭きながら、私は溜息をついた。

 昨日もだけど、夕食は外で食べてしまったのでシャワーを浴びてテレビを付けると、その音のせいか黒い小人がテーブルの上で目を覚ました。
 テーブルの上だと固いからかわいそうかなと思ってタオルハンカチを四つに折ってみたのはいいけれど、つつくのはともかく掴むのはちょっと恐かったので結局寝ている横に置いただけだった。サイズ的にはそれで丁度くらいかな、大きめのものなら。
 テーブルの上に紅茶のカップを置いてテレビを見ていて、カップを取ろうとそちらに目を向けると、目を覚まして起き上がったそれと目が合った。
「あ……」
 起きてる。
 近くに落ちていたシルクハットを拾って手に持ち、私を見上げていた。
「……」
 こういう場合、何て言うべき?
 正体を訊ねるのと、私の部屋にいる理由を聞くのと、その他聞かなきゃいけない事は色々ある。これが本当に生きてて喋れて意思の疎通が出来るとしたらだけど。
 でも私の口から出たのは至極真っ当で、でもなんか変な挨拶だった。
「えと、おはよう」
 いや、そうじゃなくて。私は内心頭を抱える。
「じゃなかった、あなた誰?」
 小人か、はたまた宇宙人か。どっちにしても人の指に噛み付くようなものは普通じゃない。かわいいと思ったのはひとまず置いておいて、私はそれに向かい合う。
「帰ってきてたのか」
 返ってきたのはごく普通の日本語。良かった、話が通じるわ。
 肩につくかつかないかの黒髪と白い肌。形としては人間の白人男性をそのまま小さくした感じ。見た目は……判りにくいけど二十代?
 細身の黒のスーツは襟が高めで赤いタイが良く似合い、時代錯誤なマントと違って随分スタイリッシュ。
「帰ってきたらワインがこぼれてその横で寝てたけど」
 そう言うと彼はにこりと笑顔を見せた。
「ああ、あれなかなか美味いな! 血の方が美味いけど。……いや、なんか血吸ったような記憶も……」
 首をひねる彼の前に私は絆創膏を巻いた人差し指を突き出した。
 本当に、こんな事になるならうっかり右手の人差し指でつつくんじゃなかった。ペン持ったら痛いじゃない。左手にするんだったわ。
「あ……」
 やっぱりさっきは酔っていたらしい。少し記憶が甦ったのか、彼はその場に座り込んだ。
「そうか……もっと味わうんだった、もったいない」
「もったいないって、私の血でしょ。大体嬉しそうに飲んでたじゃない。だからあなたは何なのよ」
 消毒したしバイ菌とかは大丈夫よね、多分。今更気になってきた。
「まだわかってなかったのか。俺は吸血鬼だ」
 そう言って、ばさりと彼はマントを背にはね上げた。
「きゅう……?」
 途中で語尾をぼかした私に彼は嫌そうな顔をした。
「口ごもるなよ」
 だって、仕方ないと思う。馬鹿馬鹿しいもの。
「それはあの、夜な夜な美女の生き血を吸って、十字架とにんにくと太陽に弱いというのが定説の、あれの事?」
 胡散臭そうな疑いの口調を彼は無視する事にしたらしい。
「そう、それだ。つっても、十字架もニンニクも太陽も俺には関係ないけどな」
 弱点なんか無いぜと言わんばかりの偉そうな態度。
「随分掟破りな吸血鬼ね、大きさもだけど」
「うるさいな。仕方ないだろそんな事」
 大きさについては言ってはいけないみたいね。
「本当に吸血鬼?」
「三回も血吸われて信じないのか? ああ、一回しか自覚ないか」
 三回。私はしばし言葉を失う。
 ……三回。
「三回!?」
 そんなの知らない!
「今日と、先週と、先々週」
 私の反応に満足したのか、彼は楽しそうな意味ありげな笑みを浮かべた。
 それって、ひょっとして……寝てる間に出来てた小さい傷の事なの?
「……先週首から血取った?」
「お前がそんなむき出しにして寝てるからだぜ。見つかっちまったから言うけど、これからしばらく血貰いに来るからよろしくな」
 ミニサイズの吸血鬼はあっさりと犯行声明と継続宣言をしてのけた。
「小人の世界の吸血鬼なら、小人から血吸って欲しいんだけど」
「知るかそんなの。小人がいたとしても小人の血じゃ足りない」
 とっても現実的な返答。
 でもどうやら、どこかの変態さんが私の留守に入り込んで人形を置いて行った訳でも、ネズミがグラスをひっくり返した訳でもないってところはちょっとは安心していいかな。ある意味もっと変だけど、危険はなさそう。……ないよ、ね?
「ねえ。あ、名前ある?」
「ロードだ」
 それはまた偉そうな名前と思ったけど、それはあえて追及しないでおこう。
「お前は?」
 私?
「私は美夜。美しい夜と書いて、みや」
 彼はそれがいたく気に入ったらしかった。
 美しい夜、と呟いてから私を見上げてにこりと笑う。
「いい名前だな」
 くらりとした。
 駄目だ、こんなに胡散臭いのに、可愛い……。私の馬鹿。
「ありがと。血吸われても吸血鬼にならないよね?」
「なるわけないだろ」
 心外だという風に彼は肩をすくめた。
 なら、別にいいかな。どうせ取られる血はちょっとだし、人助けの献血か野良猫に餌やるんだと思えば。
 それに、と絆創膏を巻いた指先を見つめる。
 酔っていたとは言え、無心に血を吸ってる彼はちょっと可愛かった。美味しそうに餌食べる小動物を愛でるような気分で何だか癒される。野良と言わずペットでもいいんだけどな……。
 我ながら常識はずれだなあと思いつつ、私はロードに言った。
「じゃあいいわよ。でも次から手はやめてね。水に濡れるたびにしみるから家事するのも嫌になるし、ペン持つの痛いと仕事にも差し支えるし。それならまだ首筋の方がましなくらいだもん」
 それを聞いた瞬間、彼は声を上げて笑った。
「ハッ! さすがにケツの青い学生とは言う事が違うぜ」
 何の事だか判らないけれど、何やら彼は上機嫌だった。
「もう一つ白状すると、この二週間俺この部屋にいたんだけど」
 きらりと、紫暗の瞳をいたずらっぽく光らせてロードが言い、私は動揺する。
「うそ……」
「いつもは血吸う時だけ来るんだけどさ、お前昼間いないだろ。寝るのに邪魔が入らなくて丁度いいんだよな」
 あっけらかんと笑う。
 吸血鬼だから昼間は寝てるんだ……よりによって私の部屋で。そりゃ確かに朝から夜まで平日はいないわよ、仕事だもん。でも全然気付かなかったけど、それって問題じゃない?
「ど、どこにいたの?」
「あそこ」
 けろりとして彼が指差したのは、ベランダに面した窓の上のカーテンボックス。
 確かに、あんなところの上は死角だった。
「あそこ埃っぽいぞ、掃除しろよ」
 小姑みたい、生意気に。
「で、今後もしばらくいるつもりだけど構わないだろ?」
 事後承諾ー!?
「か、かま……。う……。構わない……けど……」
 罪のない笑顔で返事を待っているのを見て、つい首を縦に振ってしまった。
「だよな! じゃあよろしく頼むぜ」
 にっこり笑顔で言われて釈然としないものを感じつつ、可愛いなあと思わず和んでしまった馬鹿な私だった。
 うん、これはペットだペット。
 私は自分に言い聞かせる。ここペットOKだし、大丈夫。そういう事にしとこう。
 こうして小さな吸血鬼と私の奇妙な生活が始まった。


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えーと、これは心のままに適当に書いていく手抜き話なので、多分今後もオチはないです。
許せる方だけ読んで下さい(^^;)

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