−1−
その出会いは、偶然というよりはむしろ必然であったろう。
同じ地点を回って行動している以上、いつかは誰かが彼に会うだろう事はもちろん予測していた。それが自分だっただけのことだ。
その日アルカム・クラリスは、単身で敵の拠点の一つを急襲していた。
遠い昔に断たれた道を再び辿るように、確実に目の前の敵を倒してゆく。今の代の戦士であるアレクスを助け、今度こそ長い戦いを終わらせるという名目はあったが、それが今日まで続いているのは自分が弱かったからだという負い目も確かにあった。
己の負債を返し、今はどこにあるのかも判らない恋人をもう一度腕に抱くために戦っているのだ。
もう、かつてのように戦いの中で殺される事はない。彼の肉体は既に滅び、この世にはないのだから。
敵を切り倒し、返り血を浴びながらアルカムは皮肉に思う。
剣にも魔術にも傷つけられない、今の方が生きていた時よりもずっと戦い易い、と。
そして、やがて見える範囲に人の姿はなくなり、後は隠れている者がいないか、そして各所に一つある黒水晶を探して割るのみになった。
一部屋一部屋ドアを開け、中の様子を見てゆく。人の気配はもうないようだ。いや、誰か外出していて戻ってきたのか、階下に人がいる。だがそれは後回しだ。
アルカムは次の部屋の奥に仰々しく台座に置かれた黒水晶を見つけた。水晶玉だ。基本的にどこにあるものも球形をしていたが、時折違う造形のものがある。その場合は多少やっかいな時もあるが、今回はその心配はせずに済みそうだった。
ゆっくりと近付いて、血のついた剣を一旦持ちかえると水晶を掴み、振り上げて床に叩きつけた。
音高く砕け散った黒水晶の破片を見下ろし、アルカムは息をつく。
「一か所終了だな」
音を聞きつけたのか、人の気配が近付いてきた。そうだ、まだいたか、と彼は思い直す。どちらにせよ、終わっている事に変わりはなかったが。
しかし、やって来たのは敵ではなかった。
アルカムにとっては初めて会う相手であり、相手も自分を知らない。
それでも一目で判る程、それははっきりしていたのだった。
長い黒髪と闇色の瞳は彼自身も持っているものだった。
年の頃も同じ位だろう。アルカムが死んだ時の年齢と同じ位という意味だが。
不審げにアルカムを見ていた相手が口を開いた。
「───誰だ」
──そのうちに誰かがこいつと鉢合わせする事になるだろうとは思っていたが、俺だったって訳か。
アルカムは剣についた血を拭って鞘に落とし込んだ。もう剣は必要ない。
「俺はアルカム。アルカム・クラリスだ。お前はアレクスだろ?」
彼と自分は似ていないと思う。それでもこの顔立ちは紛れもなく一族の血を引いたものだった。
だとすれば、こんな所にいるのはアレクス以外ありえない。
一族の最も年若い、そして生きている戦士だ。
「冗談も大概にしろよ。お前は誰だ。どうして俺の名を知っている?」
彼の手にした剣は刀身も黒かった。めったに見られない代物だ。
それをはっきりとこちらに向けてはいないものの、相手が何者なのか判じかねている様だった。
「リョオから聞いた。俺は、例のアルカムの甥にあたる。名前は同じだけど本人じゃない。この姿は生身に見せかけているにすぎない、他の奴に力を借りてね」
「ずっと、留まっていたのか」
死んだ後もずっと、五千年近くもの間。
「そういうことだ」
その長さは体験した者にしか判らないだろう。
ゆっくりと、アレクスは剣を鞘に納めた。
「なぜこんな所にいるんだ?」
その問いには真実、こちらの意図が読めないという響きがあった。
アルカムは苦笑する。
「そりゃないだろ、お前の加勢に来てるのに。他に二十五人いるぜ、方々に」
意外な事を言われたといった顔でアレクスは言った。
「俺は助けなんていらねえよ」
リョオから多少気難しい男だと聞いてはいたが、どうやら彼は本気で誰の手も借りずに敵を全滅させるつもりらしい。たとえ時間がかかったとしても。
「まあ、そう言うなよ。これはお前だけの問題じゃないんだ。俺達にだって関係ある。みんなの問題だ」
「じゃあ、勝手にしな」
言い捨てて、くるりと背を向けるとアレクスは部屋を出て行った。
アルカムはそこに取り残される。
普通それだけで立ち去るか?
つまりこういう奴なのか、とアルカムはリョオの顔を思い浮かべつつ後を追った。
「待てよ、せっかく会えたのに」
追いついて、隣に並ぶ。返事はなかったが、アレクスも拒否はしなかった。
己の子孫の一番年若い戦士が彼であることに少しばかり複雑な感情を覚えたが、だがそれ以上に興味があった。
彼の強さと精神力と、そしてリョオとの関係に。
そしてそれはおいおい判明してくることになる。
いくつかの部屋を見て回っているアレクスに、アルカムは声を掛けた。
「何してるんだ?」
戦いの後で荒れた部屋が多い。火事にならなかったのは幸いだったが。
「泊まれそうな部屋を探してる」
一瞬耳を疑った。
「お前、ここに泊まるつもりなのか?」
外に出れば宿もあるというのに。
自分は死者だからどこでもあまり関係ないが、何も好き好んでこんな所で夜を明かさなくとも良さそうなものだ。
「悪いか? 宿を探すより簡単だろう」
何か文句があるかと言わんばかりの口調に少々呆れる。
これは、相当くせがありそうだ。
「俺は構わないけどな。お前はそれでいいのか」
「ああ」
アレクスは客室らしくあまり使われていなかった様子の部屋に入り、ベッドに覆い被せられていた布を取り払った。
「ここでいいか……。お前はどうする?」
「俺は適当にやる。気にするな」
アルカムの言葉に彼は頷き、そして今度は外に出て行った。
廊下や階段、入口付近の血の跡や夥しい砂といったものを見事なまでに無視して歩く姿に感心しつつ、今度は何をするつもりかとアルカムは後に続いた。
表に待っていたのは一頭の馬だった。アレクスのものらしい。
ごく少ない荷物を載せて静かに主を待っていたのだが、それはただの馬でもなかった。
「おいアレクス、」
同類だからこそアルカムには一目で判った。
「なんだ」
手綱を取り、何事もないようにアレクスが応える。
馬はどこかに繋がれていたのではなかった。アレクスの命令に従ってそこで待っていたのだった。利口な馬だ。
だが問題はそんな事ではなかった。
「お前は承知してるのか。この馬の中には別の馬の霊がいる」
黒いその馬は生身であり、生きていた。アルカムのように完全に死んだものではない。だがその中に死んだ馬の霊が入っている。
どうやらその馬も見た目は同じく黒いようだ。それがこの馬の身体を動かしている。乗っ取っていると言ってもいい。
「わかってる。俺がこの馬を使えと連れて来たんだからな。中に入っているのが俺の馬だ。奴らに殺された」
お前にはわかるんだなとアレクスは言った。
言うことやることはともかく、かわいい所もあるじゃないかというのが正直なところだった。愛馬にそこまで情を掛けるとは!
建物の脇にある厩に近付くと人の気配がした。
アレクスとアルカムはほぼ同時に歩みを止める。
馬をその場に残し、二人はそっと近付いていった。
アレクスが音もなく剣を抜く。アルカムは見物するつもりで剣は抜かなかった。どうせ、こんな所に隠れているのは大した相手ではないのだから、アレクス一人で十分だろう。
厩の中は明かりもなく、薄暗かった。四頭の馬がいる。
入口に立ち、アレクスは声をあげる。
「中にいる奴、出て来い」
どうせ言うだけ無駄かと思ったが、思いがけずいらえがあった。
「出て行くけど、武器はしまってくれよ」
二人は顔を見合わせる。声はまだ幼さの残る少年のものだった。
数歩退がってアレクスは剣を鞘におさめた。
万が一これが罠だったとしても対処出来ると思ったのだろう。
馬の身体の陰から現れたのは、痩せた十二、三歳の少年だった。
「お前は?」
「クラバール。ここの厩番をやらされてる。あんた達は誰?」
おびえてはいるようだが、それを見せないように努力して少年は言った。
「ここの奴らを皆殺しに来た」
そう言ってアレクスは手を伸ばし、少年の前髪を持ち上げた。
瞳の色を見るのだろうとアルカムは思う。「敵」ならば、オレンジ色の瞳を持っている。
「お前は奴らとは無関係みたいだな。お前も攫われてきた口か?」
「お前『も』って?」
横からアルカムは訊ねた。
「前に女を攫ってきていた所があった」
アレクスは答える。いかにもありそうな事だった。
考えると胸が悪くなるけれど。
「攫われた、んだと思う。目が覚めたらここにいて、逃げられないように呪縛されていたから……」
元々は気の強いらしい少年は、アレクスとアルカムを交互に見て、思い切ったように言った。
「ちょっと前に呪縛が解けた。二人のおかげなんだね?」
「そんなようなものだな」
アルカムは笑って言った。面白くもなさそうにアレクスが続ける。
「俺は何もしてない」
「同じことさ」
今までも、これからも、敵を殺していくのなら。
「一人で家まで帰れるか? 俺達は送って行ける程の余裕はないけど」
その点が少々気になるところだった。
まさかこの街に住んでいたのではないだろうから、自分達が日数を掛けて彼の家まで送り届ける事は出来ない。
自分の黒い馬を連れて厩に入って行くアレクスは放っておいてアルカムは訊ねる。
「それとも、この辺りに頼れる当てはあるか?」
少し考え込んだ後、少年は言った。
「通いでここに食料やなんかを運んで来る人がいる。おれのことも気にかけてくれてるから、たぶん力になってくれると思う。そこに行ってみるよ」
「そうか」
己の薄情さを嫌というほど自覚しつつも安心する。
この子の世話をしてやり、家に送り届けてやる程の時間も精神的余裕も持ち合わせてはいないのだから。
それはアルカムでなくともアレクスとて同じ事だ。
「送って行こうか」
そう言うと、少年に苦笑まじりに断られてしまった。
「いいよいいよ、そんな返り血だらけの格好で来てくれても、向こうがびっくりするよ」
言われてみればそうだった。
アレクスはともかく、自分はまだ血まみれなのだった。
「それにおれ、まだやることあるし」
「何を?」
首を傾げるアルカムを置いて、少年は厩に戻って行った。
「その馬、お礼におれに世話させてくれない?」
中で馬の背から鞍をおろしていたアレクスに少年は言う。
「他には何も出来ないからさ、せめてそれくらいさせてくれよ」
アレクスは手を止め、少年の顔を見ていたが、やがて手綱を彼に渡した。
「じゃあ、頼む」
その時、アレクスには見えなかっただろうが、アルカムははっきりと見ていた。
そこにいる生身の馬と良く似た漆黒の馬は、上方に浮かんで彼らを見下ろしていた。
賢そうな黒い瞳は死してなお、主に忠誠を誓っているかのようにアレクスを見ている。
それは同じく魂だけの存在であるアルカムにとって、会ったばかりのアレクスの深いところを信頼させるに足るものだった。
馬から下ろした荷物を持ち、軽く馬の首を叩こうとしたアレクスの手がふと止まる。
「ったく……」
呟いて、それから改めて馬の首を叩くと厩を出て行った。ひょっとしたらそこに己の愛馬がいないことに気づいたのかもしれない。勘のいい奴だ。
──あいつと一緒に行動するなら馬がいるな。
そう思い、少年に訊ねる。
「ここにいる馬一頭貰っていいか? 残りは売るなりして旅費と慰謝料にすればいい、多分中にも金目の物はあるだろうし。俺達は金はいらないから」
どうせ自分の馬じゃないから、という少年の快諾を受けてアルカムも外に出た。
外に出たところで己の身体に手をかざす。すると音もなく、空中に散るようにして血の汚れは消えていった。
アルカムの持つ剣は実在の物だが、衣服は彼が作り出している。返り血が彼の魂を汚す事はない。
それから、アルカムは一度振り返った。
少年は厩で寝泊まりしていたのだろうか。奴らも随分とひどい真似をする。
Dark Sphere | NEXT |
「アルカム」と「アレクス」。そして「アルカム」はもう一人います。
この一族の男子は基本的に「ア(二文字目はラ行が多い)」から始まる名前なので、微妙に覚えにくいかも?