それぞれの想い

「殺してやりたい男がいるんです」
 グートと名乗った少年は、鮮やかなオレンジ色の瞳をきらめかせてそう言った。
 ここは女戦士たちが集うタリトマ族の砦だ。訪ねて来た外の者の話を最初に聞くのは上層部の者の役目であり、今回はサリアムが相手をすることになっていた。
「母を殺した男です。母は、幼かった私を庇って死にました。あいつは俺を……私を見下ろして言い放った。八年待ってやると」
「それは、どういう意味?」
 サリアムは尋ねた。
「私が母の仇を討ちたいのなら、八年待っていてやるということです」
「つまり、八年を越えたらあなたを殺しにくる?」
「多分そういう事はないでしょう。八年の間は私が行ったら相手をしてやってもいい、ということだと理解しています。おそらくそれを過ぎたらわざわざ相手をするつもりはないのでしょう」
「で、今は何年目?」
「七年経とうとしています」
 少年をじっと見つめた。まだかなり若い。成人もしていないくらいで身体も出来上がっていない。彼が自分の手で人を殺そうとしているのならば、大層心もとない、とサリアムは思った。
「時間がもう少ししかないわけね。まあ、無理にでも向かっていけば向こうにその気がなくても相手にならざるをえないでしょうけどね。それでどうしたいの、私達を雇うつもりなら相手を調べる必要があるけど」
 弾かれたように彼は顔をあげた。
「いえ……! こちらで訓練を受けることも出来るんですよね? 雇うほどの金はないんです」
「ええ、それなりの報酬は多少頂くけれど、高めの宿代程度ね。部屋を用意するからここでしばらく待っていてくれる?」
 サリアムは立ち上がりドアに向かったが、足を止めて振り向くと聞いた。
「殺したい相手の今の居場所は判ってるの?」
 判らなかったら調べるのに手を貸すことも出来る、と言うつもりだったが、それには即座に答えが返ってきた。
「ええ。逃げも隠れもしてませんからね、奴は。どこかに行ったとしても、捜し出してみせます。銀の妖魔を連れたクラリス一族の男を、倒すために私は生きてきたのですから」
 一瞬心の表面をざり、とやすりで擦られたような気がしたが辛うじて微笑みを返すと、サリアムは部屋を出た。


 サリアムはキークトリアを捜し回り、タリトマ族の族長である彼女に事の次第を報告したが、彼女は随分と冷静だった。
「構わないでしょう、私のことは気に掛けなくてもいいから、他の人達と一緒に扱ってやって頂戴」
「いいのね?」
 サリアムは念を押した。キークトリアは半分クラリスの血を引いている。父親の身元は伏せられるタリトマ族でもまれにそれが明らかにされている場合もあるのだ。
「ええ。でも、キアレックには会わせないようにしてね。私は女だし、少しくらい向こうの一族の面影があっても判らないだろうけど、あの子は男の子だから。一族丸ごと目の敵にしてたらちょっと危険だものね」
 キアレック。サリアムはキークトリアの息子のことを思った。彼女の上の二人の子供は女だが、三番目の子供は女系で通ったタリトマ族には珍しい男子だったのだ。
 そして、朱色やオレンジ色の髪の一族の中でキークトリアが数少ない黒髪であるように、彼女の父方の血が色濃く受け継がれているのだった。
 一見してタリトマ族とは判らないくらいの顔立ちと、母親譲りの黒髪。胸の内に復讐の暗い炎を燃やしている少年には、面影の似ている子供は危険かもしれない。
「まだ小さいしそんなには目立たないかもしれないけど、一応ね」
 そうね、と頷いてサリアムはそこを去った。支度をしないといけないし、グートの実力も見て今後のスケジュールも立てなければならない。だから、キークトリアがカーラミアの所に向かったのは見ていなかった。


 族長はもとより、サリアムが稽古の相手をしてやるほどのことではなかったので、その日から滞在することになった少年の相手は別の者がすることになった。
 外から訓練のために砦にやって来る者をサリアムなど上層部の者が受け持つことは滅多にない。強い者程上にいくタリトマ族の、上位の者達を引っ張り出すぐらい強い者はそうそういはしないのだ。
 とはいえ、たまにそれを見学することはある。
 最初の日、サリアムが訓練場の隅で訓練の様子を見ていると、カーラミアがやってきた。
「新しい子って、あれ?」
「そう。あの一族の誰を狙っているにせよ、余程のことがない限り無理って感じね」
 グートが狙っている仇本人かは知らないが、キークトリアの血縁というだけでなくサリアムもカーラミアもかつてその一族の男の一人に実際に会ったことがあり、その実力を自分の身をもって知っていた。そしてそこから推測すれば彼以外の他のクラリス一族の者の実力も薄々想像出来る。それを目の前の少年の実力と照らし合わせると、仇と彼との実力の差は少々の事では埋めることは出来ないと思う。
 可哀相とは思いつつもはっきり言うと、カーラミアが隣に腰を下ろしたのを見て取り、続けた。
「族長もそれを見越してたんじゃないかしら」
 少しばかり訓練を積んだからといって勝てる相手ではないから、気の済むまでやらせてやれと言うことではないかという気もする。
「一応血が繋がってるのに、殺すのに協力するのもなんだしね」
「そんなに甘いかしら、キアが」
 小さくカーラミアが笑う。
 カーラミアだけは未だに族長であるキークトリアをキアと呼んでいる。それは別に不敬ではなく、二人の絆のようなものを感じさせていた。
「……そんなことないか」
「そうよ」
 責任ある族長の立場で私情を挟むわけがない。それに、キークトリアの父親が判っているのはたまたまなのだから、知らなければ他人だ。それが本来のあり方であり、父方の血には関わらないのが一族の暗黙の内の決まり事となっている。
「……でもまあ、説得して煙に巻いてみるのもいいかもしれないわね」
 え、と彼女の顔に目を移すとカーラミアは少年を見ていた目をサリアムに向け、艶やかに微笑んだ。同性の目から見ても彼女はひどく魅力的だ。数年前に傷を負い、彼女は子供が産めない。やはり彼女の様に強く美しくなっただろう子供が生まれる可能性がなくなったのを残念に思った。一族の二番目の位置にいる彼女の子供ならばきっと素晴らしく強い女戦士になっただろうに。
 キークトリアと同じく、珍しい長い黒髪を揺らして彼女は立ち上がった。
「そうしたらキアも後味悪くないし、あの子も無駄に命を捨てることもない。ばんばんざい」
 じゃあね、と去っていった彼女の後ろ姿を見ながら、それも悪くないかも、とサリアムは思った。


 グートの殺そうとしている相手にも家族があり、死ねば泣く者がいる。その相手に当時のグート位の子供がもしもあったならば、その子供を残して相手を殺すことが出来るのか?
 自分と同じ境遇の子供がもう一人増えるというのに。
(ああ、だめだ。これじゃ説得力がないわ)
 サリアムは溜息をついて思考を中断した。
(一族丸ごと恨んでたら意味ないもの。聞いてみないとわからないけど)
 カーラミアの話にヒントを得てグートに話をしてみようかとも思ったのだが、彼女もそうそう暇ではない。
 それに、話の切り出し方も慎重に考えなければならなかった。
 彼と話をする機会もないまま数日が過ぎていた。
 どうせ数か月は砦に留まるだろうから急ぐ事もないのだが、まだ幼いキアレックといつ鉢合わせしないとも限らない。
 グート担当の教師役の女とキアレックのお守りをしている女とで密かに調整をしているのだが、どちらも自分が直接係わっていないだけに気が気でない。どうやらそれはサリアムに限らずカーラミアやキークトリアもそうらしい。
 もっとも、キークトリアは己の息子とはいえ、立場もあるから表向きそんな素振りは出さない。それはカーラミアもサリアムも同様だった。ただ、時折そこにいるはずのない時間に、視界にキアレックまたはグートが入る位置に互いがいるのに気づいて苦笑したりする。
 こう気を揉むのならいっそのこと、一度グートの前にキアレックを出してみた方が早いのではないだろうか。そうすれば、彼がどう反応するのかが判る。
 気にもとめなければそれでよし、もしも殺意を抱いたならば、心構えが出来ているからその場は防げるだろうし、それから後は厳重に互いを隔離させるなり、対策を講じることも出来る。
 そんな事を思い始めた頃、それをグートの担当者にもキークトリアにも持ちかける間もなく、それは起こった。
 外からの仕事の依頼を誰に割り振るか打合せをしようとサリアムはカーラミアを呼びにやった。
 打合せをする室に向かう途中の廊下の窓から、訓練場が見える。そこにはいつもの通りグートがいた。
 ひょっとしたら何かの拍子で変貌するかもしれないが、彼女から見れば彼はまだまだヒヨコだった。誰であれ、一人前の戦士を相手に殺し合いをして勝つことが出来る力量はまだない。その意欲・努力は好ましくさえあるのだが。
(あんな所に)
 訓練場の片隅にカーラミアの姿を見かけてサリアムは微笑した。
 カーラミアは年若い女戦士達の相手をしてやっている。暇な時間に妹分の訓練に付き合ってやる量が、彼女もサリアムも確実に増えていた。
 後ろで束ねた黒髪が緋色の鎧の背に映えている。
 キークトリアの剣はしなやかな優美さがあるが、カーラミアの剣は隙のない気迫に満ちている。敵が気付いた時には既に肘から先が無かったりしかねない、危険な女だ。体格から言えばカーラミアの方がキークトリアよりも多少細身に見えるだけに、その対比は面白い。
 カーラミアを呼びに行った女が彼女に近づいていくのが見えた。じきに戻ってくるだろう。そう思ってサリアムが窓を離れた時だった。
 何を言っているのか彼女のいるところからは聞き取れない、いくつかの叫び声が上がった。
「………?」
 その声の中に潜む響きが緊迫したものに聞こえて、再び窓の外を見た。
 先程グートがいたところに、カーラミアが立っていた。
 周囲に血が飛び散っている。
 ただならぬものを感じてサリアムは窓から飛び下りた。三階から地面に着地し、訓練場に向かって走りだすと血に濡れた剣を手に下げたカーラミアと、少し離れたその前に立ちすくんだ幼い子供が見えた。
 訓練場の入口で子犬を抱えた、黒髪の少年。
 逃げた子犬を追いかけて、やっとのことで捕まえて抱き上げたそのままの姿勢で、彼の子守を頼まれている若い女に抱きしめられたまま立っていた。
 金縛りにでもあったように目を見開いた、族長キークトリアの息子、キアレック。
 グートの姿はそこになかった。
 その代わりに辺りは血に濡れ、沢山の砂粒が地面に同化しようとしている。砂に吸い込まれていく鮮血。
「カーラ」
 サリアムが駆け寄って声を掛けると、彼女はゆっくりと見返した。
「殺すつもりじゃ、なかった」
 感情の欠落した声。
 おそらくは本当に殺してしまうつもりなど無かったのに動いてしまった自分に動揺している。
「うん」
 サリアムは頷いた。
 カーラミアはキアレックを守りたかっただけだ。
「キア」
 サリアムは呆然と立ち尽くしたキアレックを振り向き、地面に片膝をついて彼の顔をのぞき込んだ。
「今ここに来たらいけないって、言われなかった?」
「……言われた」
「今は理由なんて判らなくていいわ。今何が起こったか、判ってる?」
「………」
 彼は声もなく、こくりと頷いた。
「判ってるならカーラに謝って、自分のいるべき場所に戻りなさい」
 彼は唾を飲み込んで、サリアムの背後に立っていたカーラミアを見上げた。
 サリアムは立ち上がり、脇によける。
「ごめんなさい」
 小さな子供は呟いた。
 己の為に望んでいなかった殺しをした女戦士に償いをする術を彼は持たない。あまりにも彼は幼過ぎた。
「それとね、どうもありがとう」
 おとなしくしている子犬を抱いたまま、彼はぴょこんと頭を下げた。まあ、それだけ言えれば上等と言うべきなのだろう。
 カーラミアは笑みを作り、ぽんと少年の頭に片手をのせた。
「あんたが無事で良かったわ」
 それはまだ、「作った」と言うにふさわしい笑みではあったが、それでもカーラミアはとりあえず立ち直ったかに見えた。
 子守の女に連れられて去っていくキアレックを見送りながら、愛されてるなあ、と思う。
 キークトリアの息子だ。男子であっても戦士になれる望みはあった。たとえそうでなくとも大切な友人の息子をサリアムもカーラミアも心から愛していた。
「……可哀相な事しちゃった」
 キアレックを見送ってカーラミアが呟く。
 標的になったのが幼いキアレックでなかったら、多分彼女もグートを殺しはしなかっただろう。この砦では大抵の者が自分の身は自分で守れるのだから。
「ごめんね」
 カーラミアのその言葉は、グートを指導していた女に向けられたものだった。彼女もまた、少し呆然としている様子だ。カーラミアは彼女の肩に優しく手を置いて、その場を後にした。


「私ね、結構気に入ってたのよ、あの子のこと」
 並んで歩きながらカーラミアは言った。
「ひたむきで努力家だったから。あの情熱は私好きだった。別に目的が復讐でも構わないじゃない? 強くなりたいって気持ちには変わりないもの」
「そうね。実のところ私も嫌いじゃなかったわ。いつキアと鉢合わせするかって気にはしてたし、あんまり見込みないかなあとも思ってたけど、でも見てれば熱意は感じ取れたしね」
 彼の努力の先にあった目的が、キークトリアと少しは血のつながった者達を殺すことだと判っていても、結局のところそれは彼女の父方の血、タリトマ族とは関係のない一族だ。キークトリア本人と、キアレックを除いては死のうが生きようがあまり関係はない。気持ちの上では多少ひっかかったとしても。
「でも、アレックに切りかかろうとするあの子見て、頭が真っ白になっちゃったのよね。修行が足りないわ」
 苦笑する彼女をサリアムは微笑んで見守る。
 カーラミアが子供を産めなくなった後にキークトリアが産んだキアレックは、多分彼女の中で我が子にも等しい位置を占めている。友人の子供としてキアレックを愛するサリアムよりもその思いは強いだろう。
 サリアムはそれを思うと胸が痛むと同時にそんな彼女を愛しいと思う。
「着替えたらすぐに行くから、少しのあいだ待ってて」 そう言って離れていくカーラミアに頷いて、サリアムはキークトリアがもう着いているだろう室に向かった。
 キークトリアに事の成り行きを説明する。
「複雑な気分ね。あの子が死なずに済んだのは嬉しいけれど、多分両者を生かしておく方法はあっただろうから。もう、言っても仕方がないけれど」
 そうね、と返したきり二人は黙った。
 暗域では他人の命は軽いのだ、戦士たちの砦では殊更に。そうして少しずつ少年の死は受容されていく。もとより、グートは身寄りがなかったため砦に怒鳴り込んでくる親族もいない。
「可哀相に」
 誰がとは言わずにキークトリアは呟いた。


 そんな事もあったが、少年はまっすぐに成長した。
 キアレックも戦士の端くれとして時折仕事に出るようにもなっている。
「そんなこともあったみたいですね」
 当時の事にサリアムが触れると、彼はさらりと言ってのける。
「覚えてるの?」
「良く覚えている訳じゃないけど。あっと言う間にカーラさんが殺しちゃったから、顔とかは全然。でも若かったみたいなのは薄々覚えてる。ひょっとして今の俺と同じくらいかな」
「……ああ、そうね」
 年は同じ位でも、実力は今のキアレックの方がずっと上だ。そう言ってやるほどサリアムも親切ではなかったが。
「考えてみれば因果な商売ですよね、戦士なんて」
「まあ、恨みの一つや二つ、買ってもしかたないわね。その覚悟がないとやっていけないのは事実だわ」
 正直なところ、サリアム個人としてならいざ知らず、やはりタリトマ族というくくりではどこでどんな恨みを買っているかは計り知れないものがある。だから、クラリスという一族としてキアレックが殺されかけてもそれはそれで不思議はなかったのだ。
「族長の父方もろくなことしてないってことかなあ。今生きてるからいいんですけど、別に」
 キアレックの発言に苦笑する。まるで他人ひと事だ。
「一つ、覚えてるんだ」
 キアレックが呟く。
「目の前で、剣を振りかざした奴が砂粒になって崩れていくと、その向こうにカーラさんが立ってた。すごく綺麗だったな」
 返り血を浴びて血塗れの剣を持った彼女をそう表現するあたり、根っからのタリトマ族だと思う。
 サリアムはにっと笑ってみせた。
「カーラに惚れるには二十年早いわよ」
「そんなんじゃないですよ」
 慌てたような顔の彼を見ると笑いがこみ上げてくる。
 もちろん、彼の母親と同世代のカーラミアや自分のような年代の女は彼にとって女の範疇に入っていないことは重々承知していたのだが。
 こんな、血の気の多い強い女に囲まれて、なおかつそういう女を綺麗だと言うような彼が将来どんな女を望むのか、それを見るのは随分面白い見物かもしれない。
 何にしろ、命あっての物種だ。
 当時は未知数だったキアレックもどうやらタリトマ族の戦士としてこの先もやっていけそうだし、冷たいようだがグートが死んでキアレックが生き残ったことを今は素直に良かったと言える。おそらくカーラミアもそうだろう、とサリアムは思った。

END      





 これはキアレックが子供の頃の話で、昔の話なので壁紙を時計にしてみました。
 さてさて、これは「死と夜の中で」でも少し触れているエピソードと繋がっています。
 グート少年、彼はアレクスに母親を殺された男の子です。
 ってことはキアレック、アレクスに似てるってことだよなあ……。性格似てなくて良かった……(笑)
 まあ、一応血は繋がっていますからね。


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