Vampire Bat U   Beautiful Night 2


「この前から思ってたんだけどさ」
 とある土曜の夜。ベッドに仰向けに寝転んで目を閉じた私に上方から無粋な声が投げ掛けられる。
 目を開けると窓の上、カーテンボックスの上に腰掛けていた小さな吸血鬼が私を見下ろしていた。
「何?」
 ロードという名のこの小さな吸血鬼が私の部屋に居ついてからそろそろ二か月になろうとしている。これは私が彼に気付いていなかった期間も含めてだけど。一人暮らしで世話が大変なので今までペットを飼えなかった私と、彼の言うところの美味しい血と昼間静かな寝場所があるという互いの利益が一致して、今のところなんとなくうまくやっていた。
「その顔怖いんだけど」
 私はがばっと起き上がった。
 失礼な……!
 彼の言いたい事は判らない訳じゃなかった。今私の顔は両目と口の回りを除いてグレーのクレイパックで覆われている。
「いいじゃない、週一の私のリラックスタイムなんだから文句言わないで」
 そう、これをやるのはだいたい土曜か日曜の夜。本当は回数増やしたいけど平日はそんな余裕がないのでごくたまにローションパックするくらい。
 そしてロードの週一の食事も金曜か土曜の夜なのだけど、そう言えばこうしてボケッと私が寛いでいてもパック中にロードが吸血行為に及んだ事は一度も無い。そっか、嫌だったんだ、この顔が。
「そりゃ構わないさ。ただ見た目怖いぞって言ってるだけで」
 思っても言わないんじゃない、普通。あ、吸血鬼だから普通じゃないか。
「そのうち見慣れるわよ、多分。止める気はないから」
 ミニチュア吸血鬼と違って人間の女は手間がかかるのよ。
 テーブルの上に置いたノートパソコンを開く。さっきメールチェックをしたまま電源を切っていなかったのでスリープしていたそれのスピーカーをオンにして、音楽用のCDを入れると勝手に再生を始める。私は再びベッドに転がって目を閉じた。
 二曲終わったらパックを洗い流すことにしている。時間を計って時計とにらめっこなんてやっていたら寛いでいられない。
 オーディオセットなんて上等なものはないので、音楽はもっぱらパソコンで聴いていた。ロードはこういうものは珍しいらしくて面白がったけど、ノートパソコンのスピーカーで聴く音なんて、多分本当はお粗末なものなんだと思う。私は細かい事気にしないけど。
「なあ、美夜」
 今度の声は上からじゃなくてわりと近くからだった。下に降りてきたらしい。
「なあにー?」
 私は目を開けた。やっぱりカーテンボックスの所にもうロードはいない。でもうっかり横を向いてシーツにべっとりとパックをくっつけると大変なので彼の姿を探しはしなかった。
「これ何?」
 これってどれ、と仕方なく上半身を起こしてロードを探す。
 ロードは、私が化粧品と鏡を並べたボックス棚の上にいた。普段メイクはここの前でしている。
 そして今は並んだ化粧品の横に小さめの黒い箱が置いてあり、その上にロードが座っている。
「あ……」
 しまった、ロードが起きる前に隠すの忘れてた。驚かせようと思ってせっかく内緒にしてたのに。
 黙ってこちらを見ているロードに私は苦笑を返す。
「見つかっちゃった」
「見つかったって、隠してねえじゃん」
 呆れた様にロードはそこから立ち上がった。
「隠すの忘れてたんだってば」
「で?」
「で……って、だからそれは」
 言い掛けて私は肩をすくめた。まあいいか、見つかっちゃったものはしょうがない。
「プレゼント。ロードにあげる」
 それは、先日出掛けた時に通りがかったお店のショーウィンドーに飾られていたジュエリーボックスだった。
 黒塗りの、棺の形をした小さな箱。見つけたその場で私はレジに向かっていた。
 元々は半分に仕切ってあって、六角形の棺の足側、つまり狭い方には指輪を立てて入れられる様になっていた。それをロードに見つからない様に会社で仕事の後や休憩時間にこっそり改造したものだ。
 中を取り外して薄く綿を貼り、その上から黒のベルベットの生地を貼った。蓋側にあった鏡も同じように覆う。
 本当は黒より真紅の方がそれらしい感じになるんだろうけど、ロードは黒が好きだから嫌がるだろうと思って、黒にした。
 昨日やっと出来たから家まで持ってきて、今日細かいところ点検したまま置いといたのが敗因だったわ。
「棺桶ねえ……」
 難しい顔でロードはひょいと片手で蓋を開けて中を覗き込む。
 箱の大きさは少し彼には余裕がある。ロードの大きさなら三人位は入れるだろう。
「元はジュエリーボックスなの。昼間寝る時のベッドにどうかと思って。どう? 改造というか、内側のリフォームとしては自信作なんだけど」
「まあ、悪くはないけどな」
 なんとなく、歯切れが悪い言い方。
「あんまり嬉しくない?」
「いや……。でも俺死んでないし、別に棺桶である必要はないんだけど」
 まあ、吸血鬼つったらこうなるよなーと、ロードは呟いた。
「そうなの?」
 っていうか、吸血鬼の棺桶ってそういう理由なんだ、知らなかった。
「まあな。俺色々規格外だし」
 大きさもね、と私は思ったけど勿論口には出さなかった。
 中に入ってロードは蓋を閉める。それからしばらくして再び蓋が開いた。
 縁に手を掛けて起こした身体をこちらに向けるとにこりと笑う。
「光は入らないし居心地はいいぜ。ありがとう」
 一瞬私は固まった。
 今ありがとうって言った? ありがとうって。
 私はちょっと感動する。なんてストレートな……。可愛いじゃないの。これだからいけないわ、小動物並の大きさで人間の言葉を喋る吸血鬼なんて。
 辛うじて私は体勢を立て直し、笑みを返した。
「どういたしまして」
 ペットの巣を買い揃えて環境を整えてあげるのは飼い主のつとめよね。うん。
 しばらくロードは私の顔を見ていたけれど、やがて笑顔が消えて脱力した様な顔で溜息をつくと、肩を落として部屋のドアを指差した。
「もう、いいから顔洗って来い」
 ほんとに失礼ね。
「駄目。もうちょっと我慢してて」
 もう一度ベッドに倒れ込む気にはなれなかったので、棚の上から除光液の壜とコットンを取るとテーブルの前に座って両手の指先のマニキュアを落とし、除光液の匂いに嫌な顔をするロードを放っておいてようやく洗面所でパックを洗い流す。
 ちょっとした嫌がらせだけど、やり過ぎだったかな。窓開けなかったし、ロードの大きさで近くのあの匂いはきついかも。
「こら」
 気付くと洗面台の上にロードが来ていた。部屋にまだ残る除光液の匂いから逃げてきたものらしい。
「お前今わざとやったな」
「気のせい気のせい」
 私は白々しく言いながら、化粧水を肌になじませる。
 美容液にクリームと鏡に向かっていると、面白くなさそうな顔をしたロードは洗面台を蹴って軽やかに飛ぶと、私の肩に着地した。
「落ちても知らないわよ?」
 言いながら私は、あまり前屈みになってロードが落ちないように気をつけながら手を洗う。
 けれど余裕で私の肩の上の位置をキープしながら、ロードは言った。
「あんな匂いの中で食事するのは俺は嫌だぞ」
 そうして数歩、パジャマの襟を踏み越えて来た。
 風呂上がりの鎖骨に土足で立つなー!
 ……と、思ったけど悪いのは私かと我慢した。首をかすめるロードのマントがくすぐったい。
「今日はどこから血吸っていいか私に聞かないわけ?」
 鏡に映る──彼は鏡に映るのだ。さすが規格外ミニ吸血鬼──ロードを見ながら私は訊ねた。
 そう、普段なら一応彼は私にお伺いを立てる。毎回同じ所に傷を作るのは嫌だし、一週間でまだきれいに消えない傷だってある。
 だから右腕の次は左腕とか、血を吸う場所は毎回少しずつ違う。
「そんなに謙虚な気分じゃない」
 不機嫌に呟いて彼は紫暗の瞳を細めると、少し顔を傾けてカッと口を開けた。
 小さな牙が私の首筋を切り裂く。
 それは瞬間的な小さな痛み。彼の大きさで人間の私にもたらす傷なんて、うっかり新しい紙の端で切った傷みたいなものだった。そうでなければ誰が好き好んで毎週吸血鬼に血を与えたりできるだろう?
 私は鏡に映るロードを眺めた。ちょっと近過ぎて直接は見えないから。
 ロードは傷口から滲む血を唇で受け、赤い舌で舐める。目を細めたその様子は相変わらず恍惚として幸せそう。しょうがないなあ、もう。
「部屋戻るよー」
 そう言うと、血を飲むのに夢中で生返事を寄越すロードを肩に乗せたまま、部屋に戻った。
 部屋ではまだパソコンがCDの再生を続けている。
 私は窓を開けて風を通し、除光液の匂いを追い出した。
 ロードはまだ当分血を吸うのをやめそうにない。私は座り込んで爪を切り、それから磨いてクリームを塗り込んで時間を潰した。
 マニキュアは今夜は塗らない。今度はマニキュアの匂いでロードが怒りそうだし、爪も休ませたいし、それに明日は日曜だ。塗るのは明日の夜でいい。
 じっとしたまま、他に何かやる事はあったかと考える。
 そっか、週末にアイロン掛けないと来週着る物に困るかな。
 しばらくしてロードはようやく食事を終え、そのまま人の肩に腰を下ろした。
「やっぱお前の血最高」
 どうやらすっかり機嫌は直っているみたい。満足気に人の首に頭をすりつける。
 何その小動物な仕草。ペット扱いする私に合わせてるの? 可愛いからいいんだけど。
 でもどうせ褒めてくれるなら私の顔見て言ってよね。
「ロード、今日これから出掛ける?」
 だから肩に座られると見るの首が痛いんだってば、と思いつつ私は彼に訊ねた。
「別に用はないけどなんで?」
 そう答えて、彼は両手を私の肩につくとひょいとテーブルの上に飛び降りた。黒いマントが首をかすめる。
「うん、暇ならその辺にいてくれると嬉しいなって。一人だとつまんないし」
 ノートパソコンを床に下ろし、部屋の隅からアイロン台とアイロンを持ってきてテーブルの上にアイロン台を置いた。
「なにお前、まだ寝ないの?」
「やる事色々あるのよねー」
 言いながらアイロンにスチーム用の水を入れると、テーブルに置いてコードをコンセントに差し込んだ。
「それ触らないでね、熱くなるから」
 ハンカチやハンガーに掛かったブラウスなどを取りながらロードにそう言って、なんだか子供に言い聞かせるみたいだと苦笑する。
「ふーん、別にいいけど」
「あ、そうだ。その棺桶どこに置く? カーテンボックスの上? 光入らないからどこか下に置く?」
「どこでもいいよ」
 あまり興味もなさそうな返事。
 タンスの上だと朝着替え出したりするので引出し動かすからうるさいだろうし、やっぱり窓の上の方がいいのかな。
「お前が邪魔でないならそこのままでもいいし」
 そこって、そこ?
 私は化粧台代わりのボックスに目を向ける。少し脇にずらせば別に邪魔にはならない。ロードの寝床を本来のジュエリーボックスとして見たら鏡を中心として両脇にジュエリーボックスを置いてるような形になるけど、それは別に関係ないか。
「カチャカチャうるさくない?」
「別に、平気じゃね?」
 そういうもの?
 とりあえず、しばらくはそこに置いて様子を見る事にした。

 CDが再生を一度終えてリピートを始める。
 別のCDに交換するのも面倒なのでそのままにしていた。
 雲もほとんどない夜空には金色の月が輝いて、多分ロードには絶好のお散歩日和。ごめんね、これ終わったら寝るから、そしたら思う存分出掛けて頂戴。
 アイロンを掛ける私の手元を、ロードはテレビの上に寝転んで見ている。そう言えばここ数日、彼のシルクハットを見かけない。
 でも時々微妙に服装変わっているのよね。黒ずくめには違いないんだけど。時々タイが黒だったり赤だったり、ポケットチーフが白かったりする。ジャケットの形とかも違ったりするし。
「ねえ、ロードの服はどうなってるの?」
「どうって?」
「時々変わるじゃない。シルクハットとかも。どうなってるの?」
 ああ、と気のない声を出して彼は身体を起こした。
 座ったまま片手を前に出す、と、その手に黒いシルクハットが現れた。
「こんな感じ。服や靴も同じだ。俺の意識で出来上がってる」
 目の前で、白かったロードのドレスシャツが黒になって形も変わり、黒かったタイが真紅に変わる。
 随分便利なのね。
「楽で羨ましいわ」
 小さく息をついて、私はアイロンを掛け終わったブラウスを畳んで脇に置いた。
「まあな。で、わざわざ人のベッドまで用意してくれるって事は、かなり長い間ここにいていいって事だよな?」
 にこやかにロードが問う。
「特に問題なければそのつもりだけど。これまではどうしてたの?」
 腕を組んでロードは少し考える。
「味見だけなら一回限りかな。わりと美味ければ三・四回通う。気に入った味なら半年位はこっそり通うな、うん。でもお前より前の女はやっぱばれて、で、週一で行ってたんだけど二か月ちょっとでやめたかな。その後お前に会うまでは美味い血を求めてあちこち点々としてた」
 前のも血は美味かったんだけどなーと、残念そうに考え込むのでちょっと笑ってしまった。
「嫌がられてやめたの?」
「嫌がられたっつうか……。まあそれもあるけど、どうにも性に合わなくてな、お互いに。うるさいし、ガキだし、嫌がらせみたいに人の食事の前に限ってドカ食いして血不味くするし。しばらくは我慢したけど他探した方が建設的だと思って」
 思い出してまた腹が立ってきたらしく不機嫌な顔をしたけれど、すぐに気を取り直したみたいでこっちを見ると笑顔を作る。
「その点お前はいいよなあ」
 健康的ってこと?
 くるくる変わる表情にちょっと和みつつ、気になって聞いてみる。
「でも帰りに会社の人と飲んできたりするよ?」
「酒はいいんだよ、酒は」
 そう言えば最初の出会いからして人のお酒飲んでたもんね。お酒はいいのか……。
 除光液の嫌がらせはいいのかなっていう疑問はあるけど、まあ血吸ったら一発で機嫌直ったしね。血が不味い方が問題なのね、きっと。
「じゃ、互いの意志も確認したし、どっちかが飽きるまでって事でいいよな」
 言われてちょっと考える。
 ロードが来てからは今のところ友達や家族がここに来た事はないけど、遊びに来たらどうするんだろ。その日だけ出て行ってもらえばいいかな? うん、多分それで大丈夫。
 そう思って私は軽く答える。
「いいよー」
 どっちかが飽きるまでって、多分ロードが私の血に飽きる方が早いんじゃないのかなーと思いつつ、その時はそれで仕方ないかなとも思う。
 でも当分の間はこの吸血鬼は私の部屋に住み着くってことで。
 それはちょっと、楽しい想像だった。


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