Vampire Bat U   Beautiful Night 4


 もう、信じられない。
 人のバッグに忍び込んで来るなんて。
 会社まで連れてきてしまった以上、このままロードを実家に連れて帰るしかない。一度マンションに戻ってロードを置いてくるには時間が掛かり過ぎてしまう。
 私は驚きと腹立たしさもさることながら、ロッカーの中にロードがいると思うと気が気じゃなかった。
 個人のロッカーだから他の人に気付かれる事はないだろうけど、それにしたって。
 なんていうのかな、学校の裏で拾った子猫を隠してる小学生の気分?
 でも猫ならまだしも手のひらサイズの黒ずくめ吸血鬼じゃ、ばれたら保健所どころかオカルト雑誌の取材ものだ。
 それでもとにかく一応滞りなく仕事を終えて、定時の三十分後には私は席を立っていた。ま、金曜だし特別忙しい時期じゃないので早い人は定時と共に去って行くんだけど、さすがにそれはちょっと無理だった。
 昼休みにこっそりロッカーを覗いた時はロードもぐっすり寝ていたし、ちょっと心配したけど何事もなく一日乗り切れたのでひと安心。時間的にも多分そろそろ目が覚めるんだろうけど、私が声を掛けるまでは狸寝入りを決め込むつもりじゃないかな。
 私はバッグを少しだけ開けて隅の隙間に財布を入れるとロッカー室を出た。
天ヶ嶺あまがねさん大きい荷物だね、これから旅行?」
 旅行なら金曜の夜じゃなくて土曜から行くし、と思いつつ私は作り笑いを返す。
「実家に帰るだけですよ」
 お先に失礼します、と私は会社を出た。
 さてと、バッグの中で寝てるミニ吸血鬼をどうしてくれよう。
 家に入る前にロードと話がしたいのに、外じゃ人目があるからそんな事できやしない。社内はもっと無理だけど。
 駅かお店のトイレの個室、とも一瞬考えたけどそれってあんまりよね。それに隣に声聞こえるだろうし。外のその辺で見えないようにロードをバッグの中に入れたままでも、バッグの中に話し掛けてる女なんて端から見たら絶対頭おかしいと思われる。
 話し声をとりあえず聞かれないだけなら電話ボックスだっていい。だけど見られず聞かれずという条件を満たす場所なんてその辺にはない気がする。
 どうしよう……。
 誰も来ないまったくの無人の場所なんて、改めて考えると外にはほとんどないのだと、私は初めて気が付いた。
 雑踏で袖すりあうどころか見知らぬ人と肩をぶつけあって歩かなければならないこの街で、人は他人を意識から半ば排除する事で個人の領域を守っているのかもしれない。
 でも物理的にそれを確立するのは少し大変かもね。
 カラオケボックスというのも考えたけど、ロードと話すためだけにカラオケボックス一人で入るのも馬鹿馬鹿しいし、家に着いたら自分の部屋に直行するしかないか。
 そう結論付けて私は真っ直ぐ家に帰った。バッグの中に入っているロードを潰さないように、少しは気を遣いながら。
 やっぱり今の会社から実家は遠い。マンションに帰るルートとは違う線の電車に立ったまま長い事揺られて、家に着く頃にはちょっと精神的に疲弊していた。
「ただいま」
「おかえりなさい、元気だった?」
 キッチンから母が声を掛けてくる。
「うん。みんないるの?」
「あきらはいるよ。朝とお父さんはまだ。朝は塾で、もうすぐ帰ってくるけど」
「受験生も大変だね。荷物置いてくる」
 私は二階に上がると自分の部屋に入ってドアを閉めた。
 タンスはマンションに持って行ったけれどベッドは新しいものを買ったので、実家の私の部屋にはちゃんとベッドが置いてある。家に帰る時は今の古いベッドを処分して、マンションで今使っているものを部屋に置くつもりでいる。
 机もそのままあるけれど、タンスがないだけでも以前よりも部屋が広く感じる。
 さて、と。
 ジャケットを脱いでハンガーに掛けてから、私はバッグを開いた。
「もう起きてるわよね、ロード」
 タオルにくるまったロードをそれごと引っ張り出して声を掛けると、彼はぱちりと目を開けた。
 私の両手の上で起き上がり、指を二本揃えるとわざとらしくこめかみの横で振る。
「よう」
「もう信じられないこの人!」
「吸血鬼だって」
 茶々を入れるロードを呆れて見下ろし、私は彼に強く言い聞かせた。
「なんで一緒に来ちゃうのよ、本当に信じらんない。とにかく絶対この部屋から出ないでよね。家の中じゃなくて外ならいいけど。それから部屋の中でも目立たないとこにいてよ」
「わかってるって」
 軽々しくそう言って、ロードは私の肩に飛び移った。それからぐるりと部屋の中を見回す。
「向こうの部屋より狭い位か? 広さ」
「そうね、でも子供部屋三つ作ってくれて感謝してる、妹と同室とかじゃなくて」
「ああ、妹と弟がいるんだっけ」
 日本の住宅事情にも慣れたのか、ロードから特別な反応はなかった。
 でも妹と二人で一部屋だったら今頃こんな悠長な会話はできていないってわかってるかしら。
「弟はどうでもいいけどな」
 私の肩でカラカラと笑う。弟聞いたら怒るわよ。……怒らないか。
「妹はどうでも良くないの?」
「味見位は興味ある」
「やめなさいって」
 すっかり油断していたその時。
「お姉ちゃん、ご飯……」
 突然部屋のドアが開いた。

「何か言った?」
 部屋の入口に立っていたのは妹の暁良あきらだった。そっか、いたのよね。
「別に……」
 私は肩の上にいたロードを瞬間的に後ろに突き落としたまま肩に手を置いて苦笑する。危なかった……。心臓がばくばくしてるわ。
「肩凝ったなあって独り言」
 背にロードをかばいつつ、バッグの中から紙袋を出した。
「はい、あげる。誕生日のプレゼント」
 手渡しつつ、さりげなく後ろ手にミニタオルを回し、手探りでロードの上に被せる。
「キャーありがとう!」
 何だかわざとらしいけど、これはいつもの反応。
「あ、でも開けてる場合じゃないんだ。ご飯だって」
「んー、わかった先行ってて」
 早く行ってと心の中で念じたその時、とんでもない事が起きた。
「なんでお前がこんな所にいるんだ」
 突然のその声に振り向くと、こっそりと隠れながら様子を覗き見たらしいロードがミニタオルをはねのけて立っていた。
「ばっ……」
 馬鹿ロード、何やってんのよ!
 私は今更遅いと判っていても、慌てて彼を両手で捕まえる。でもそれだけでは終らなかった。
 階下に聞こえないように抑えてはいたものの、それに対する信じられないような妹の言葉。
「あんたこそなんでまた家に来てんのよ!」
 私は二人の間に挟まれて困惑した。
「……」
 これはつまり。
「お知り合い……?」

 どうやらロードと妹は知り合いだったらしい。
「美夜の妹がこいつだって知ってたら来なかったのに」
 おまけにぶつぶつと私の手の中で言うロードを見る限り、仲はあまり良くない。
「お姉ちゃんが今このいんちきミニチュア吸血鬼の犠牲者なの?」
 酷い言われようね。
 そう思った時、以前ロードが話していたのを思い出した。
「前にロードが言ってた反りが合わなくてやめたのって、暁良の事なの?」
 確かそんなような話をしていたはず。
「アキラだかなんだか名前は知らねえけど、こいつだよ」
 ふてくされてロードが言う。しばらくは付き合いがあった癖に、名前も知らなかったのかしら。
 でもとにかく味見の必要もなくなっちゃったわね。
「お姉ちゃん!」
 地団駄を踏みそうな勢いで暁良が声を上げる。
「ああ、うん。犠牲者じゃないけど……今うちで一緒に住んでる。静かにしてよ、お母さんに聞こえたらどうするの」
「住んでるって!」
 だからうるさいってば。
「静かにしなさいよ。私はロードに血と寝場所を提供する、ロードは私のペットの代わりになる。私昼間いないから丁度いいでしょ」
 多分ペット扱いにはロードは異論があるだろうけどね。
「何そのどっかのマンガみたいな状況。こんな妖怪ペットにしないでよ」
「誰が妖怪だ」
 手の中からロードが飛び出そうとするのを私は再び捕まえた。
 静かにしてっていうのに。
「いちいち相手にしないで、ロード。暁良も静かにして。文句言うならそのプレゼントあげないから」
 その効果は覿面だった。
 妹は手にしたプレゼントに目を落とし、しばらく黙って考えると「あたしのとこにまた来た訳じゃないもんね」と呟き、それから仮面のような笑みを顔に貼りつけて空々しく言った。
「うん、わかった。お姉ちゃんが平気ならいい事にする。プレゼントありがとう! じゃ、先行ってるね」
 我が妹ながらなんて現金な。
 暁良は取り返されてたまるかといわんばかりにプレゼントを握り締め、じりじりと後退するとぱたんとドアを閉めた。
「なんだありゃ」
 呆れたようなロードの呟き。呆れたのは私の方なんだけど。
「扱い方がわかれば楽なんだけどね、暁良も。でもロードとは相性悪いか」
 笑いながら言うと、ロードは腹立たしげに私の手から飛び降りた。
「だってあいつガキなんだもんよ。お前が甘やかしたんじゃねえの?」
 そんなつもりはないんだけど。どっちかというと弟の方を甘やかしたかも。
「さあ、元々ああいう性格だけどねあの子。うちにいる間喧嘩しないようにしてね」
 わかったわかったと面倒臭そうに言うロードを残し、私は部屋を出た。
 今日の夕食は弟の帰宅時間に合わせて用意されたようで、私が階下に行くのと弟の朝輝あさきが玄関のドアを開けて家の中に入ってきたのが同時だった。
「あ、朝お帰り」
「ただいま……って、美夜姉帰って来てたの」
「うん、ご飯だから早くおいで」
 そのまま自分の部屋に直行しようとする弟に声を掛けてから、私はリビングに入る。
 食卓には母の手料理が並びつつあった。暁良がそれぞれの箸を並べている。今日は何もしなくて済むんだと改めて思った私は幸せを噛みしめつつ、キッチンに入る。
「朝帰って来たよ」
「そうでしょ。これ運んで」
 当然のように母は言い、器の並んだ盆を私に手渡す。つまり母が帰宅時間を把握出来るほど、いつもきちんと寄り道もせずに塾から帰って来てるんだ。感心感心。
「大丈夫かな?」
 主語を抜かして暁良が問う。ロードが見つからないかってことなら、いらない心配だと思うけど。
「朝は暁良と違って無断で私の部屋入らないから大丈夫」
 その言い回しが気に入らなかったのか、暁良は不服そうな顔をしたけれど本当の事だから言い返しては来なかった。
 部屋に鞄を置いて朝輝が降りてくると父は時間が読めないので先に四人で夕食。父は全員が食事を終える頃に帰ってきたので、久し振りだし晩酌に付き合ってあげた。母はお酒飲まないのよね、飲もうと思えば少しは飲めるんだろうけど。お酒飲まない代わりに喫煙者だったりする。で、父は昔煙草やめたので吸わない。考えてみるとなんだかアンバランスな夫婦かも。
 暁良にテレビのチャンネルを奪われた朝輝はお風呂に入ってしまったし、暁良は見ていたドラマが終わると二階に上がって行った。
 一人暮らしで不自由ないかとか、そういう当たり障りのない話や私の仕事の話なんかをちょっと話しつつ、本当はこういうのは男同士の方がいいんだろうなと私は思う。でもまあ、弟が成人するまではあと五年は掛かるんだから我慢してもらうしかない。

 階段を上り部屋に戻ろうとすると、私の部屋の電気がついているのがドアの隙間から漏れる明かりで判った。
 多分暁良だ。私がいなくてもわざわざロードの所に行くってことはそれほど仲が悪い訳でもないのかしら。
 何を話しているのかちょっと気になって、そっとドアに近付く。
「お姉ちゃんまだ知らないんだ、あんたの正体」
 暁良の声に私は眉をひそめる。正体?
「今でさえペット扱いされてんのに美夜にんなもん見せてみろ、元に戻るなって言い出すぜ」
 元って何?
「元って、今の状態?」
 暁良も疑問に思ったのか、私の代わりに質問してくれた。
「当然だろ」
 何を言っているんだと言わんばかりのロードの口調。ああ、やっぱりあんまりこの二人相性良くない。
「どっちかというとあっちが元じゃないの?」
「馬鹿言え、今はこれが基本なんだ」
 だからあっちってなんなのよ。
 もう部屋に入って二人を問い詰めようかと思い、ドアノブに手を掛けようとすると、暁良が話題を変えた。
「まあ、頑張ってね。あたしもロードが今よりお姉ちゃんに気に入られても楽しくないし。でもあたしが小動物呼ばわりするのは怒るのに、お姉ちゃんのペット扱いは平気なのね。一緒にいてどうなの?」
「美夜のペット扱いはそれほど不快じゃないな、お前と違って俺を貶めようとする意図は感じないし。それにあの家居心地いいし。あの環境下では今の状態が安定した関係の形って気がするから、まあいいさ」
 ロードの暁良への返事はますます二人の間の溝が深まりそうな言い草で、でもなんだろう、私はちょっと嬉しかった。
 ロードの普通のペットと違う所の一つに、そうやって自分の置かれた環境への評価というか感想を、言葉で伝えられる事がある。
 普通のペットは良いも悪いも言えないもんね、態度で少しは伝わるだろうけど。あの小さいマンションでの生活に満足してくれてるんだなと思うと、私はなんだか嬉しかった。こういうの何て言うのかしら。「やすらぎ」? あ、そうか。「小さな幸せ」かな。
 でもそれは別の話として、ロードの「正体」とやらは飼い主である以上必ず突き止めないと……ねえ?
 私は一人心に誓うと、今来たように部屋のドアを開けた。


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「Vampire Bat」一作目で名前のなかった彼女にもめでたく名前が付きました。
 名前はちょっと前には付いていたのですが。
 弟とロードの話も書いてみたいけど、男なので接点が無い(笑)
 ……といいつつ、後で番外編を書いてしまいました。

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